空は快晴なのに、どしゃ降りの雨が降っていました。
那覇を出た船が、まさに久米島に着こうとしていた時でした。
中途半端な時間の中途半端なNHKの番組が
臨時ニュースに変わりました。
そして知りました。
特に旅の間などは、テレビはほとんど見ないのですが
部屋に戻るたびテレビをつけている自分がいました。
テレビには必ずといっていいほど事件の報道が映し出されていました。
島にいる間、ずっと、憤りと、悲しみと、
島にいる間、ずっと、命について考えて、
島にいる間、ずっと、どうして、こんな・・・
自分自身の内側とはうらはらに
海も花も人も、くっきりと鮮やかに、存在していました。
自分自身の内側とはうらはらに
島の風景は、悲劇が幻に感じるくらい、のんびりとしていました。
人なつこい子供達に誘われて、訪ねた小学校の
先生達の妙によそよそしい態度に
事件は現実に起きたことなのだと思い知らされました。
罪のない、ちいさな命に刃を向けた者に対しては
憤りと共に、どうして・・・という疑問がつきまといます。
その時、なぜか、同時に浮かび上がってくる情景があります。
海の中から見上げた太陽。
この情景はどこからやってくるのでしょうか。
ダイビングをやったことがない自分にとって
実際には見たことのない情景のように思います。
もしかしたら、太古の時代に海に生まれた
奇跡の生命が受け継いできた
DNAの記憶なのかもしれません。
希望に満ちた切なくて美しい情景です。
こんな風景を心の中に持っていたら
ちいさな命を奪うなんてことは出来ないでしょう。
全ての命が、愛という奇跡の連続によって
存在していることに気づいていたら
尊い命を奪うなんてことは出来ないでしょう。
南の島の、まどろむような時間の中で
全ての命が愛に包まれますようにと祈っていました。