目が覚める。


いつものベッドで生きている。


それを幸せに思う。



目が覚める。


見慣れた部屋で新しい朝に生きている。


それを幸せに思う。



焼け野原で目が覚める。


草原のゲルで目が覚める。


崩れた土壁の横で目が覚める。



混乱・喧噪の中で目が覚める。


湖畔の山小屋で目が覚める。


砂漠の片隅で目が覚める。



新しい朝がやってくる。


ああ。


どんな場所で目覚めようと、幸せなんだ。


生きていることが幸せなんだ。



自然が流れてゆく。


西から東へ。


自然に流れてゆく。


上から下へ。



痛みも悲しみもそのままに。


あるがままに流れてゆく。



血が流れる。


魂に導かれ血が流れてゆく。


時代を超えて。


空間を越えて。


世代を越えて。


魂の後を追うように血が流れてゆく。



また新しい朝がやってくる。


あらゆる場所で。


生きている。

















先日いつものように楽しく飲んで楽しく別れた。

それほど飲んだわけではないのだが別れてからの記憶がない。

更に、朝起きると、鍋が火にかかったままになっていた。

「やっぱり、俺はついてる」

まっ赤なコンロとまっ黒な鍋を見て、そう思った。

幸い何事も無かったのだ。


後で、このことはさすがにやばいと思った。

特にやばいと感じたのは、見た瞬間に「俺はついてる」としか思わなかったこと。

その時、思わずヒヤッとしたり

飲み過ぎないようにしようと思ったり、火事にならなくて良かったと思ったり

もしかしたら命や部屋が無くなってたかもといった反省の気持ちが、全く無かったこと。

単に「俺はついてる」と思って、火を止めてまたグーグー寝てしまった。


ケセラセラが生き方の基本だけど、傲慢にならないように、もっと謙虚に

もう少し注意して生きないといけないと、後で振り返ってから思った。


「コズミック・バース」は、その翌晩に見た夢をそのまま書いた。

「夢」にアップしても良いくらいそのままに。

だから詩とは言えないのかもしれない。



自分の部屋で目が覚めて、幸せなんだと感じている自分がいた。


様々な場所で目が覚めて、幸せなんだと感じている自分がいた。


自然が流れてゆくイメージがやってきた。


「魂に導かれ血が流れる」という言葉が残った。


この言葉は、まさに転生する魂のことじゃないかと夢から覚めて思った。



新しい朝をくりかえす人生という旅


新しい命の誕生をくりかえす魂の旅


あらゆるものが長い旅の途中なのだ。



いやいや何はともあれ火の元には注意しないと。

生きている幸せを抱きしめるために。

あらゆる命を抱きしめるために。



自分は火に包まれて死ぬ夢を何度も見る。

これはきっと前世の記憶なのだろうと思っている。


だから自分は、火で死んだり、火を出したりしてはいけない。

繰り返してはいけない。学ばなくてはいけない。


それは世界が幸福になってゆくプロセスだからだ。