5月。

インドから戻って間もない頃であった。

画家の溝渕ゆう子さんからポエトリー・リーディングの依頼を受けた。

9月に友人達によって行われる「精霊展」会場での

彼女のライブ・ドローイングとのコラボレーションである。

今までポエトリー・リーディングの経験は全くない。

自分が作る詩についても、自信があるわけでもない。

溝渕さんはニューヨークでの個展や

フランスの雑誌への掲載などの経歴を持つ実力ある画家である。

中途半端なことは出来ない。

この話を受けるか、しばらく迷った。







何故、彼女が自分に依頼してきたのかは分からない。

自分が詩の朗読を行う意味があるのだろうか。

しかし、すべての事柄に意味なんてあるのだろうか。

まず、やってみる。

意味なんか後から付いてくる。

金子鉄朗の詩の朗読は良かった。

そんな、パフォーマンスをすればいいだけだ。







自分には何が出来るだろう。

とにかく生だ。

とにかくライブだ。

場の空気を大切にしたい。

自分が発した言葉で、溝渕ゆう子に絵を描かせよう。

溝渕ゆう子の描いた絵を見て、言葉を発してみよう。

用意した詩を読み上げるだけの朗読より

その場で感じたことを大切にして

見に来てくれた方には

言葉の生まれる瞬間を体験してもらいたい。

とにかく生だ。

ビールも音楽も×××も生が良いのだ。







友人から、トランペッターの近藤等則の話を聞いた。

ある日、自らのステージに立った彼は

30分ほど何も吹く事が出来ず、身動きも出来なかったという。

その後、何を思ったのか楽屋からホースを持ち出し

それを振り回しながら、客席を走り回った。

そして彼のライブはトランペットを吹くことなく終わった。

その時、近藤には、そうすることしか出来なかったのだろう。

その時、近藤には、そうすることが自然だったのだろう。







極端な話、何も出てこなかったら、何もしゃべれなくてもいい。

その場で感じたことを大切にしよう。







誰が見ても、誰が描いたかすぐ分かる絵。

溝渕さんの絵は、そんな作品だ。

自らの内側に閉じこもり続けて

飽和してドッカーンと弾けたような絵だ。

おおきな力を持った絵だ。

だんだん開いてゆく。

だんだん広がってゆく。

そんなイメージの詩を読みたいと思った。







8月。

言葉の断片が浮かんできた。

溝渕さんにメールで送った。



闇→光 混沌→調和 沈黙→言葉

光の瞬間に向かって放つ

山の河の森の沈黙

終わりなき巡礼

恒星を回る惑星

砂塵 土砂降り


以上、浮かんできた言霊

かねこ







この言葉たちだけでも絵が描けそう。。。

今の私だったら、沈黙→言葉→思いってなるだろうなぁ。

ふと思ったの。

ごめんねぇ。かねこさんの言霊に付け加えて。。。

言葉は思いをこえられない。

最近、私を救ってくれた言葉。

私は、その思いを絵にしてその思いを閉じ込めたい。。。

目には見えないその思いたち。。

だからきっと私は絵を描いてるのかなぁ??..

こんなに苦しいのに。。。

でも、太陽が昇らない夜★は無いから...

そう信じて。ね。。。

★YUKO∞M★







ふつふつふつ。

日々の生活の中で、言葉が沸き上がってくる時がある。

そんな言葉がなるべく形にならないように

自分の内側にほったらかしにしておくようにする。

まとまらないようにしてとどめておくようにする。

そして、いっぺんに解き放とう。







9月6日

精霊展の開場に行く。

その会場は空気も温度も別の世界のものだった。

作品に込められた思い。

作品に込められた精霊。

とても静かだ。

人々が寝静まった頃には、コトリコトリと動いているかも。

凄い作品だ。

こんな表現は自分には出来ない。

だからこそ自分ならではの表現しなくては。

精霊の捉え方もさまざまだ。

自分ならではの精霊を表現しよう。

上手くやろうなんてしたらダメだ。

エネルギーを放出しよう。

温度を変えよう。







9月8日

それぞれの作品には作家の思いが込められている。

そんな思いを解放しよう。

そして、そんな思いを慰めよう。

空気を動かそう。

自分の声で空気を振るわそう。




「精霊を讃える夕べ」が始まる。

照明が落ちる。

蝋燭に火が灯る

鐘が鳴る。

階段を上がる。

小さなステージ立つ。

客席を見回す。

展示されている作品の気配を感じる。

キャンバスに筆を入れようとしている溝渕さんを見る。

息を吸い込む。

「一枚の花びら・・・・・」