ホイアンの市場を歩いていた時の事だ。


食事をしていた、ひとりの、お婆さんが振り返った。

「アッ!」

思わず声を上げそうになった。

顔を見た瞬間、この人を知ってると思ったのだ。

どうして知ってると感じたのだろう。

すぐに、ある言葉がよみがえってきた。

「乞食のばあちゃん、元気かなあ」

そうだ、きっと、この人だ。


話は4ヶ月程さかのぼる。


イラストレイターの藤田ヒロコさんと会った。

彼女はこのサイト「静かな振動」を見て

アップされてる写真に何か感じるところがあったようで

自分の作品を見て欲しいと訪ねて来てくれたのだ。


初めて会った藤田さんは恐縮しながらも

内側に非常に熱い何かを秘めているように感じた。

「かねこさんの作品から感じた何かを、表現しないと」

以前、そんな事を伝言板に書いてくれた事もあった。


見せて貰った藤田さんの作品の中で

特に印象に残っているのは、ベトナムを題材にした物であった。

4年前に行ったベトナムでのスケッチや写真のコラージュを

一冊の本にまとめた作品である。

そこには彼女がベトナムで感じたキラキラした

何かを伝えたいという衝動が気持ちよく溢れていた。


その後、彼女はベトナムでの作品を発展させたような

「FLOAT-曖昧ニ漂ウ旅ト日常-」と題した展示会を行った。


その展示を見に行ったときに

近々ベトナムのホイアンに行くことを彼女に伝えた。

その時、彼女が呟いた言葉が

「乞食のばあちゃん、元気かなあ」である。


4年前に彼女がベトナムに行った時に

一番印象に残っていて、今でも会いたいと思ってるのが

ホイアンで会った乞食のお婆さんなのだそうだ。

その時は、特に気にもせず聞き流していた。


その言葉が、ホイアンの市場で

あるお婆さんを見たときに、よみがえって来た。

この人を知ってると感じたのは

藤田さんの描いたベトナムの絵のお婆さんに印象が

すごく近かったからだ。

というか描かれている、その人だと思った。

彼女が言っていた、乞食のあばあとは

この人かもしれない。


彼女はボロボロの衣服を身につけていて

「これを食べろ」とばかりに

自分が食べていたドンブリをこちらに突き出した。


ドンブリの中には、豚であろうか、牛であろうか

生々しい動物の臓物が入っていた。

正直、気持ち悪いと思ってしまった。


彼女は自分が使っていた箸も渡そうとする。

好意でそうしてくれているのは、良く分かる。

差し出された物を食べないというのは

相手にとって非常に失礼であるというのも良く分かっている。


何度も箸に手を伸ばしかけた。

しかし、結局、それを食べる事は出来なかった。

「ごめんなさい。食べれない」

日本語で言った。

せめて、火が通してあれば。


お婆さんは、怒ったような顔をして背を向けてしまった。

なんだか、とても悪い事をしてしまったような

何ともいえない後味の悪い気持ちが残った。


日本に帰ってから藤田さんに連絡した。

「うそー違うと思うけどなあ」

それに、例の乞食のおばあを絵に描いた訳では無いそうだ。

あの作品に描かれていたのは

ベトナムで会ったおばあ全てを統合したイメージなのだそうだ。


それにしても、あのお婆さんに会った瞬間に受けた感じは

何だったのだろう。

藤田さんは無意識のうちに、例の乞食のおばあの印象を

描く絵に投影していたのではないか。


「でも、元気に生きていたら、うれしいな」

お互いが、その事を確かめたかった。


彼女の差し出した食事を食べられなかった後ろめたさから

こちらは写真を撮ることは出来なかった。

藤田さんが4年前に撮った写真を送ってくれる事になった。


写真のカラーコピーが速達で送られてきた。


そこには、市場で会った例のおばあの

自分には向けられる事が無かった笑顔があった。