日本人の墓からの帰り道。

     どこからともなく自転車に乗った少年が現れて

     並んで走り出した。

     彼は15歳くらいであろうか。

     かなり大きな体つきをしている。

     お墓に向かう時も、この辺りを自転車でうろうろしていた。


     トゥアンに何やらベトナム語で話しかけている。

     何をしゃべっているのかは全く分からない。


     しばらくするとトゥアンに背中を叩かれ

     道を曲がるように指示された。

     来た道とは違う方向の道だ。

     何か別の所に案内してくれるのかと思い従う。

     少年もついてくる。


     200メートル程進むと自転車を止めるように言われた。

     誰もいない何もない田圃の真ん中だ。

     相変わらず強い風が吹いている。

     「ワン・ダラー、ワン・ダラー」

     自転車を降りたトゥアンは、こちらに向かい言い出した。


     そういうことか。


     トゥアンには親切にしてもらったし

     何かお礼をしたいと思っていた。

     しかし、こんな小さな子供に、一ドルは多すぎる。

     トゥアンは、お金を要求するような子供には見えなかった。

     たとえ一ドルを渡したとしても

     体の大きな少年に取られてしまうだろう。


     サイフから五円玉を取り出す。

     「ディス・イズ・プレゼント・フォー・ユー」


     海外に出掛ける時は、必ず何枚かの五円玉を持っていく。

     真ん中に穴の開いたコインは海外では珍しいのである。

     以前、メキシコのライブ・ハウスでジャマイカから来ていた

     レゲエ・バンドのボーカリストに五円玉をプレゼントした。

     彼は大喜びだった。

     お礼にマリファナをあげようと言われたくらい喜ばれた。


     トゥアンは五円玉を少年に見せる。


     今まで黙っていた少年が口を開いた。

     「これはベトナムでは使えない。ワン・ダラーだ」

     彼は凄んでみせる。

     「ワン・ダラー、ワン・ダラー」

     トゥアンも一緒になって言っている。

     「ワン・ダラー、ワン・ダラー」


     これじゃあ、かつあげじゃないか。

     こうやって観光客から、お金を巻き上げてるのだろう。



     お金を渡したら、ますます、つけ上がるだろう。


    「ワン・ダラー、ワン・ダラー」

     少年の胸ぐらをつかむ。

     「うるさい、おまえは関係ないだろ。黙れよ」


     トゥアンに向かって言う。

     「トゥアン、ディス・イズ・ジャパニーズ・ラッキー・コイン

     ユー・ウォント?」

     「イエス」

     トゥアンが頷く。


     トゥアンを自転車の後ろに乗せて、来た道を戻る。

     すぐ後ろにトゥアンの気配を感じながら

     何とも複雑な気持ちになってしまった。


     彼は、どんな気持ちで「ワン・ダラー」と言ったのだろう。

     後で、あの少年にいじめられはしないだろうか。

     自分のとった行動は正しかったのだろうか。

     先生に話して、 トゥアンに一ドルくらいは、渡そうか。


     例の塾が近くなってきた。

     トゥアンは後ろからズボンのポケットに手をねじ込んできた。

     そして、自転車から飛び降りると

     逆の方向に走っていってしまった。


     ズボンのポケットの中には、彼にあげた五円玉が入っていた。