「長大漫画の構造と『超人ロック』」
S.Uemura
1 序
『超人ロック』は現在までに、55巻の単行本が世に出ている(1998年4月現在。以下「現在」、「今」などの語も同様)[*1]。これは漫画の中ではかなり長い方に属する。無論『こちら葛飾区亀有公園前派出所』[*2]をはじめとして、もっと長い漫画は他にもあるし、同程度の長さの漫画ならもっと多くある[*3]。しかしそれらと『超人ロック』の間には明確な差があり、それが『超人ロック』独特の魅力となっている。
2 長大漫画の二つの型
その違いをはっきりさせるために、『超人ロック』以外の長大漫画を大きく二つの種類に分けてみよう。
I 「繰り返される日常」型
この型の漫画は基本的に一話完結、ないしは数回からなる1エピソード完結である。それぞれの話は独立していて、互いに物語上の関係はない。そもそも一貫した「物語」(ストーリー)自体が存在しない。そのため時間の流れはそれぞれの話の中にのみ存在する。各話は普通登場人物の日常(または「ある日」)を描く。読者はどの話からでも大体違和感なく読み始められる。それぞれの話の間に時間上の前後関係、つまり脈絡はない。だから登場人物は永久に歳をとらない。時として彼らは誕生日を迎えることがあるにもかかわらず、である。余談だが映画『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』[*4]はこの構造に登場人物自身が気づく、というものだった。
この型の漫画の代表例は、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(前出)、『ドラえもん』[*5]、『パタリロ!』[*6]などである。
これらの漫画でも上に述べたような構造に当てはまらないところもある。例えば『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では、主要登場人物の一人、大原巡査部長には当初息子だけがいたが、今では孫までいる。しかし主要登場人物たち自身に限って言えば、連載開始時(あるいは初登場時)から全く歳をとっていない。大原巡査部長からして、息子が結婚して孫ができる時間経過に従えば、とっくに定年退職しているはずである。逆に言えば歳をとらないことが主要登場人物であることの一つの証である。
またこの型の漫画で話の間に明らかに時間が経過したとき、それは日常との決別である。それは時としてその漫画自体が終わるときでもある。例えば『ドラえもん』は一度[*7]最終回を迎えた後、再開されたが、再開第一話は明らかにその前の話の後を受けていた[*8]。『釣りキチ三平』[*9]は、主人公三平はいつまでも中学生である。しかし最終部「釣りキチ同盟」は三平の祖父一平が死去する話であり、ここには他のエピソードで描かれる三平の日常[*10]とは明らかな差が認められる。
II 「展開される瞬間」型
この型の漫画はある特定の時間を極端に引き延ばして描く。具体的にいおう。この型の漫画の代表例は、『ドカベン』三部作(『ドカベン』[*11]『大甲子園』[*12]『ドカベン プロ野球編』[*13])、『はじめの一歩』[*14]などである。この型の漫画はスポーツ漫画の範疇に入るものが多く、作品の中身はその大半が試合の経過で占められている。『大甲子園』では一試合に単行本3巻もあてていることがあるし[*15]、そもそも『大甲子園』自体26巻もあって、話は夏の甲子園とその神奈川県大会だけである。ただ、この一瞬間をいくらでも引き延ばせることは漫画の一つの特権ではある。
この型の漫画は話を長くしやすいという特徴がある。例えば、野球漫画ならホームランを打った瞬間の、投手と打者の表情、野手の表情、両軍のベンチの表情を描けば、それだけで2ページくらいは稼げるだろう。しかし読み手にとっても、それを見るのは一瞬にすぎないので、結果として一冊を読むのに要する時間は短いことが多い。
さらに話の続きを作りやすいという意味でも長くなりがちである。つまり「俺たちには来年の夏があるさ!」ということである。
『SLAM DUNK』[*16]などは両方をやりすぎたと言えよう(残念ながらこの漫画はそれほど長くはならなかったのだが)。あまりに一瞬間にセリフを入れすぎたために、アニメ版ではセリフを切らざるを得なかったし、次シーズン以後の続きを描けば間違いなく100巻以上が出版されただろう[*17]。しかしこの型の漫画ではIと違い時間は確実に流れる。そのため物語を長くすることはできても、いつか終わりが訪れる。それは例えば主人公の卒業であり、引退である。
長大漫画は大体この二つに分けられると思う。中には両方に属するものもある。例えば『釣りキチ三平』(前出)は1エピソード完結という意味ではIだし、釣りの描写に多くが割かれているという意味ではIIである[*18]。また『コータローまかり通る』(新・旧)[*19]は登場人物が歳をとらないという意味ではIだし、格闘漫画であり、格闘シーンにページを多く使っているという意味ではIIである。
この二つの型に当てはまらないのは『三国志』[*20]であろうか。しかし、原作つきで現実の歴史に題材をとっているのはずるいよ、というのが率直な感想である。本論から外れるが、英語のstory(物語)はhistory(歴史)に語源がある。歴史こそは物語の基であり、ある一世紀を物語にすれば自ずと長くなるのは明らかである。
3 『超人ロック』の構造
さて『超人ロック』はどちらの型に入るだろうか。作中で主人公ロックはどのエピソードでも大体同じ年格好をしている。ではIだろうか? いや、各エピソードには明らかにつながりがあり、だいいち(作中時間での)歴史年表まである。つまり時間が「進む」ということだ。エスパー同士の戦闘シーンは作品の魅力の一つである。ではIIだろうか? いや、例えば「ロード・レオン」でロックとロックの敵役ロードレオンとの戦闘シーンは全199ページ中48ページほどである。他も推して知るべしである[*21]。
そう、『超人ロック』はどちらにもあてはまらない。では何故『超人ロック』は他の(上記二つの型にあてはまる)長大漫画に比肩するほどの長さなのだろうか? それは勿論ロックが不老不死だからだ[*22]。実に単純明快である。主人公が死ななければ話がいつまでも続くのは当然だ。
ただ、『超人ロック』はどちらかといえばIに近い。言うなれば「時間の流れる」Iだ。Iの型と同様(主要)登場人物は歳をとらない。勿論Iの型では時間が「流れ」ないから歳をとらない(ように見える)だけだが、『超人ロック』では本当に歳をとらない。またIの漫画では歳をとらない人物は普通複数いるが、『超人ロック』ではロック一人である。つまり彼だけがレギュラーだということだ(「ブレイン・シュリンカー」から登場したリュウ・ハントは除くとする[*23])。
時間が「進む」以上、それぞれの話の間には前後関係ができ、脈絡が生じる。だがそれはある程度でしかない。密接に関わっているときもあるし、断絶が訪れることもある。読んだことのない人に『超人ロック』を読ませるときに、どの話から読ませるのかが問題になるのは一つにはそのためだ。完全につながっていれば最初から読ませればいいのだが、そうはいかないのである(逆に完全に独立していればどれから読んでもよい)。また(作品内時間で)新銀河連邦成立以後(すなわち「闇の王」以後)の各作品は、とりわけエピソード間の関連が希薄である(これは恐らく意図的なものだろう)。ほとんど独立した物語といっていい。唯一つの例外が前述のハントが登場するシリーズ[*24]であるが、これとてこのシリーズ自体は他のエピソードと関係していない。短編作品ではこの傾向はもっと顕著である。例えば「愛しのグィネヴィア」に他のエピソードとの関わりを見いだすことは不可能だ。そしてロックにとっては、各エピソードは、言うなれば彼にとっての繰り返される日々(「日常」というと変だが)ではないだろうか。この点でも『超人ロック』はIの型に近しい。
4 『超人ロック』の「構造的」魅力
ではこのような構造をとることにどのような意味があるのだろうか。物語性だけを追求した漫画なら『超人ロック』より優れた作品は多くある。『寄生獣』[*25]、『日出処の天子』[*26]などは、そのストーリーは『超人ロック』よりはるかに面白い(と思う)。が、こういった漫画は長く続かない。むしろむやみに長く続けずに適当なところで終わりを迎えるのがよい。無理に続けるとろくなことがない。よい例が(例自体は悪いことだが)『ジョジョの奇妙な冒険』[*27]である。この作品は第1部と第2部の話は抜群に面白い。しかし第3部以降は、ストーリーよりは戦闘に重きをおいてしまった。長く続けるためにIIの型をとったのである。さらに第4部などはそれぞれの(戦闘を中心とした)話が相当程度に独立し、Iの様相をも呈している[*28]。こうしてこの作品は当初とはすっかりおもむきを変えてしまった。
しかし一方で、読者はできればその物語を長く楽しみたいと思っているのも確かだ。それが面白ければ面白いほどその思いも強まる。現に『ジョジョの奇妙な冒険』がこれだけ長く続いていることがその一つの証左ではないか。
『超人ロック』はこの贅沢な欲求に100%応えてくれる作品だ。中心となる各エピソードは単行本一巻程度の長さを持っている。それ故そのストーリーを楽しむことができる。10巻程度で終わる一貫したストーリーを持つ漫画に比べると、『超人ロック』の各エピソードはやや深みに欠ける。『超人ロック』がIに似た型をとることで生じる欠点である。だが(逆説的だが)同時にそれがこの欠点を打ち消す。ロックが死なない限り物語はいつまでも続けられる[*29]。物語が長く続くにつれ、エピソードが蓄積される。それによって作品全体での深みが増す。さらに各エピソード間のつながりの適度な空白は、読者にそれを埋めるべく想像する余地を残している。しかも、これは物語を長く続けることによる作品の質の劣化を、ある程度防ぐことができる。適当な長さで話に一段落つけることで、その都度リフレッシュされるからだ。『超人ロック』は、作品全体で眺めれば、その世界の豊かさと複雑さは、物語指向の漫画にひけをとらない。
まとめてみよう。Iの漫画は、いつまでも続けることができる。その代わり一話完結である。物語指向の漫画は、いつまでも続けることはできない[*30]。全体が一つのストーリーである。『超人ロック』は、いつまでも続けることができる。一応一話完結のかたちをとる。しかしそれらは十分な長さを持っている。そして時に密に、時に疎に関わりあっている。『超人ロック』はIの型をとりつつ、その欠点を克服した。それによって物語指向の漫画に迫る作品世界を得た。
これらの微妙なバランスの上に『超人ロック』はなりたっている。『超人ロック』は本稿で述べてきた構造を獲得したことで、その内容以前に大きな魅力を持っているのである。『超人ロック』は長く続けることができるだけでなく、長く続けることがふさわしい。そしてこれは筆者の知る限り『超人ロック』独特のものである。
おまけ1
聖悠紀が『超人ロック』にIIの型を導入しなかったのは賢明だ。もしIIの型を導入すればエピソードの数はもっと減っていただろう[*31]。しかしそれではわざわざ主人公を不死にした利点が減じる。何より今みられる作品世界の広がりと奥行きが薄っぺらになっていただろう。そして連載形態の変化に耐えられなかっただろう。IIの型は(連載ページ数にもよるが)月刊誌でも厳しい。月刊誌のペースで(例えば)戦闘を長々と続けていては読者を飽きさせるだけだ。
おまけ2
登場人物を不死身にすることは、作品を荒唐無稽なものにする危険性をはらんでいる。『超人ロック』はそうはならない。それどころかロックが自分の不死を苦悩することが作品の一つのテーマとなっている。レギュラーが主人公のロック一人の『超人ロック』においては、ロックが読者をひきつけることは不可欠である。彼だけがそれぞれの物語の唯一の結節点であり、彼なくしては物語はばらばらになってしまう。たとえどんなに登場するコマ数が少なくとも、ロックがまったく登場しないエピソードは今まで存在していない。
『超人ロック』ではロックだけが不死であることで、逆に(当然とも言えるが)ロックの特異性を強めた。不死を作品中に巧みに活かす、この点でも『超人ロック』は卓越している。
注
- *1
- ニュースグループ
fj.rec.comics
の「40巻以上の漫画」の数え方に従った: 38+(5+1)+1+(3+2+1+3+1)=55
- *2
- 秋本治, 集英社『週刊少年ジャンプ』連載中, ジャンプコミックス所収
- *3
- 生誕30周年を1997年に迎えている『超人ロック』がずっと週刊誌で連載を続ければ120巻以上が出版されているはずではあるが(というのがファンの心情だろう)。
- *4
- 原作: 高橋留美子, 監督: 押井守(だっけ? 後のデータは調べていないです、悪しからず)
- *5
- 藤子・F・不二雄, 小学館『コロコロコミック』他連載中, てんとう虫コミックス所収
- *6
- 魔夜峰央, 白泉社『別冊花とゆめ』連載中, 花とゆめコミックス所収
- *7
- 公式的に認められているという意味で。
- *8
- 筆者はこの再開第一話を、最終回を読む前に読んだため、何がなんだか分からなかった記憶がある。
- *9
- 矢口高雄, 講談社『週刊少年マガジン』, 同『月刊少年マガジン』連載, 講談社コミックス所収
- *10
- 釣り三昧の。いつ学校に行っているんだ?(作者もあえてやっているということだが)
- *11
- 水島新二, 秋田書店『週刊少年チャンピオン』連載, チャンピオンコミックス所収
- *12
- 水島新二, 秋田書店『週刊少年チャンピオン』連載, チャンピオンコミックス所収
- *13
- 水島新二, 秋田書店『週刊少年チャンピオン』連載中, チャンピオンコミックス所収
- *14
- 森川ジョージ, 講談社『週刊少年マガジン』連載中, 講談社コミックス所収
- *15
- もっとも延長18回もやれば…
- *16
- 井上雄彦, 集英社『週刊少年ジャンプ』連載, ジャンプコミックス所収
- *17
- 筆者は絶対「NBA編」まで続くと思っていた。
- *18
- だから65巻も続いたとも言えるが。おかげで揃えるのは断念した。
- *19
- 蛭田達也, 講談社『週刊少年マガジン』連載中, 講談社コミックス所収
- *20
- 横山光輝, 潮出版社『希望の友』連載, 希望コミックス所収
- *21
- 筆者は「聖者の涙」の『月刊Out』(みのり書房)連載中に、ロックとエルナの戦闘が2月しか続かなかったのに鮮烈なショックを受けた覚えがある。
- *22
- アポトーシスがないという限りで(厳密に言えば、ロックが再生をやめればこれもあり得るのだが)。
- *23
- もっとも彼がレギュラーになれるかどうかは怪しいが。というのはこの先描かれる全ての作品で彼が登場する保証がどこにもないからだ。現に「ウィザーダム」では(彼が生まれる以前なので)彼の登場するはずもない。
- *24
- 現時点では「ブレイン・シュリンカー」、「不死者たち」、「猫の散歩引き受けます」。
- *25
- 岩明均, 講談社『月刊アフタヌーン』連載, アフタヌーンコミックス所収
- *26
- 山岸凉子, 白泉社『LaLa』連載, 花とゆめコミックス所収(絶版: 文庫版は入手可)
- *27
- 荒木飛呂彦, 集英社『週刊少年ジャンプ』連載中, ジャンプコミックス所収
- *28
- この作品の救いは戦闘自体が面白いことだ。が、何を隠そう筆者は「波紋」ファンである。
- *29
- 逆に言えばロックが死ぬときが『超人ロック』の終わるときだ(縁起でもないが)。
- *30
- 一つの解決法は「続編」である。これは読者の期待するところでもある。だが『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)の続編が描かれたとして、本編と同様に読者を楽しませるだろうか。勿論作者次第であるが、筆者は原作の続編よりは映画の続編を望む(土鬼語がどう発音されるか知りたいし…)。
- *31
- 聖悠紀が上京して持ち込みをしたとき『週刊少年ジャンプ』編集部が一番熱心に対応したそうだが、同誌に連載されなくてつくづくよかった。ロックとダークライオンの戦闘が3ヶ月続いたりしたらたまらん。
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