〜アンサンブル参加(2)〜


今回は昨年出場した「日本ギター合奏フェスティバル」についてご紹介します。

 

我がアンサンブル・ヴェルデは春に開催される、

「神奈川ギターフェスティバ」と秋に開催される、

「日本ギター合奏フェスティバル」に連続出場しており、

かれこれ
8年程になります。

それだけ出場していればさぞかしハイレベルな演奏をしている?

と思われるかも知れませんが、これがなかなか難しいのです。

「舞台には魔物が住む」と誰かが言ったか知りませんが、

各メンバーにとっては毎回ハプニングの連続です。

もっとも、聞いている方からは少々のミスがあっても

奏者の人数が多いので気付かないかもしれませんが・・・。

 

昨年の「日本ギター合奏フェスティバル」は、

1012日(日)に品川区の「きゅりあん」にて開催されました。

「きゅうり」みたいな名前ですが、会場は千人以上収容できる立派なホールです。

演奏曲はバッハ/管弦楽組曲第1番より「ブーレT・U」、「パスピエT・U」です。

クラシックに詳しい方は曲名ですぐおわかりになると思いますが、

私のようにギターを習うまでは交響曲や管弦楽などといっても、

ベートーベン「第9」くらいしか知らない者にとってはまったく初めての曲でした。

今回は私と同様な方のために、バッハと曲について少し調べましたので以下に書きます。

 

J.S.バッハは 1685〜1750のバロック時代に活躍した作曲家です。 

バッハの一族は皆音楽家で、200年にわたり数多くの音楽家を輩出したそうです。

その中でも、このJ.S.バッハは、バロック音楽の頂点に立つ音楽家として、大バッハと呼ばれます。
 アルンシュタットやミュールハンゼンで宮廷オルガニストを勤めた後、

1708年にザクセン=ワイマール公の宮廷オルガニストとなり、後には楽長にもなりました。

その後、1717年にアンハルト=ケーテン公の合唱長兼宮廷楽長に迎えられました。

さらに1723年にはライプツィヒの聖トーマス教会附属学校の合唱長と、

ライプツィヒの音楽監督になって終生その地位にとどまりました。

 バッハは、同時代の音楽家の中でも最も優れたオルガン奏者であり、

即興演奏の大家として知られていました。また、彼は、転職の度に、

力を入れる曲種が変わったことでも知られています。

ワイマール時代にはオルガン曲の傑作が多く、

ケーテン時代には器楽曲や管弦楽曲が集中して作曲されました。

また、ライプツィヒ時代には、カンタータなどの教会音楽が数多く作曲されました。

J.S.バッハの作品は、数から言っても膨大なものですが、曲種から見ても、

歌劇以外のすべてのジャンルにわたっています。

 

管弦楽組曲第1番は正式には「管弦楽組曲第1番ハ長調BWV.1066」と言います。

ちなみに、
BWVは、Bach-Werke-Verzeichnisの略で、

W.シュミーダーの「バッハ作品目録(
1066)」の番号です。

尚、管弦楽組曲第1番は
1718?1723に作られた曲ですから、

アンハルト=ケーテン公の合唱長兼宮廷楽長時代ということになります。

「ブーレ」は17?18世紀のフランス宮廷舞曲のこと、

また、「パスピエ」はフランス・ブルターニュ地方に古くから伝わる古典舞曲の一つで、

17世紀頃パリで流行しました。

「パスピエ」とは、直訳すると「前進する足」ということで、

今で言うと社交ダンスが近いようです。足でステップをきりながら踊りますが、

決して激しい踊りではありません。

両曲とも軽快なテンポで、

バロック時代に作られたといっても現代人にもまったく違和感なく聞けます。

スピードが要求される分正確に引くのは難しく、特にパスピエUは指がもつれるほどでした。

今回のフェスティバルは25団体が参加してのイベントでしたが、

我がアンサンブル・ヴェルデは1部のトリということで、

ちょっと前年から評価が落ちたかな?という感じがします。

今年は昨年に引き続き、

バッハの管弦楽組曲からの選曲ということでメンバー一同燃えており、

2部帰り咲き目指して頑張りたいと思っています。




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