第五話



しかし、ギターなど楽器が自由に演奏でき

また歌をどこにもはばかることなく歌えるようになったことが

ホントに信じられない思いだった。

戦時中は、仲間と集まって楽器を弾いたり歌ったりする時は、

合間合間に万歳を三唱しながらだった、

周りの監視がうるさく、特高警察の目も光っていたので、

陽気に歌などを歌ったりすることがかなり危なかった、

出征兵士を送る会を開催しているフリをしなければならなかった。

手拍子の後には皆で必ず万歳を入れた。

そでもしないと外に漏れる音でどのようなことになるか、

予測がつかなかった。

戦後になって、どんな音楽も自由に演奏できるようになったことが、

新鮮で、うれしく思えた。

ここで一旦、三共製薬品川工場時代のギター活動について少し触れておきたい。

前記した終戦直後の昭和20年10月に三共入社、

昭和22年6月から大古ギター教習所に入門、

そこから本格的にギターの勉強が始まったが、

その頃から、品川工場内では同士による軽音楽楽団が結成されたり、

僕が主催したギター、マンドリン研究発表会が行われたりした。

小倉俊先生に入門した直後頃の昭和20年6月12日には、

工場内で軽音楽定期演奏会音楽部の発表会を行った。



三共製薬品川工場時代
同僚と共に

昭和23年頃のお写真ということですが、
後ろの男性が近藤さんです。
青い山脈を彷彿とさせる、
日本の青春時代という感じがしますね。



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