Memory of my guitar




                  
                






        第一話




 部屋に入ると、電話の声から想像していたよりも、年上のメガネの男性が座っていた。

グッとくる生活感があるお宅だ。

「どういうギターを教えてるんでしょうか?」

「基本的には、クラシックギターを教えています」



 自分が勝手に想像していたギター教室講師像は、

ハードロックを卒業しながらも今でもロンゲで音楽三昧な20代後半という、

勝手なものだったが、それはもろくも崩れた。

無造作に置かれたCD類、楽譜、教則本、

数本のギター、そしてなんとなくガメつくない男性・・・・・。

どうやらこの視覚からは、

「これから楽器を習得するぞ」といった意欲は湧いてこない。

ただし、この無味乾燥な空間が間違えなく訴えてきた。

「ギターを始める・習う・続けるかは、音楽・楽器・演奏に対して思い描いている

自分自身の真剣さにかかっている!」と。



 「はい、野村ギター教室です」

電話の落ち着いた声に、脂っこさは無い、

いきなりとにかく来いと言う調子の教室もあると思うが、

生徒募集とは書いてあったが、ガツガツさが感じられなかった。

「とりあえず、ご都合のいい日に教室へ来てみてください」

それまで習い事といえば、水泳、いわゆる

スイミングスクールや街中の塾といった先生一人に何人かの生徒という設定。

ギター教室って果たしてどういうものなのか・・・・・

駅近くのマンションの個人宅への案内だったので、すこしためらいもあったが、人気もあるところだし

変にガッついていないし、まあ案ずるより生もうという心境で、とりあえず行ってみようと思った。



 指導員として働いていたアルバイト先の、スイミングスクール、その空き時間だった。

一時間ほどの休みだったのでスイミングスクールが購読していた新聞やその折込ちらし等を、

控え室で何気なく見ていた、その時!、目に飛び込んできたのだ。

「生徒募集。野村ギター教室。初心者からお年寄りまで」

この変に主張のない、数行の文句。

載せている紙面も、数ページの小さなエリアしか配られない地域新聞。

隣には「編物教室」なんて書いてあったり、

「フロアレディ募集、スナック○○」なんて掲載もある。

それまで何かやらねば、何かやらねばという

あせりに似た気持ちを払拭させてくれるなんてことではなく、

癒してくれたといった方が正解だった。



 20才になって、僕は何か空虚感を抱いていた。

人それぞれ時期や境遇や中身に違いはあれ、

生きていれば味わうことがあるだろう。

失恋や失敗、そんな大きいテーマでなくとも一日の中のほんの数秒感でも、

ささいなことでガッカリすることなんかあるかもしれない。

10数年前なので、記憶も薄れてきたが・・・・・・、

一言で言えば、20年生きてきて一目で分かるような身に付けたものといえば、

泳げることぐらいしか無かったということだった。

泳げるなんてことはとにもかくにもどうでもいい、逆に何の取柄も無くったって、

人間なんていくらでも生きて、生活して、暮らしていけるに決まってる。

でも、何かもの足りなかったのだ。

大学にも通った、かわいい彼女もいた、両親も健在だし、アルバイトをしてお金も無くはない。

同級生を中心に仲間もいたし、車もオートバイも乗ってどこへでも行けた。

はっきり言って、その正反対を生きている人からすれば、

ぶっ飛ばされるような胸くそ悪い悩みに違いないんだろう。

でも、本人が充足されないんだから仕方がないんだ。

 

 もう少し高い視点から考えたならば、次のような心境だったんだと思う。 〜つづく〜







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