渡辺さんの俳句傑作選






2012年 9月の俳句





懸想文すらすらと書く星月夜
                 真夏の挨拶「暑いですねぇ!」
                    その挨拶が10月まで続いている。
                          いつ秋の挨拶に完全に切り替わるのか・・・、
               これがなんとも難しい・・・。
                        10月一週目までは少なくとも変わらない。
                       とにかく暑い夏日本の夏という感じだ。
                         これが日本の夏の定番ということになると、
                        どこかに移住したいなという気分になる。
       では、どこへ?
                 となるとこれがまた難しい・・・。
                       中国は近いが誰も行きたがらないだろう。
                          韓国に移住したいという奇特な人もいないな。
                    あと移住できそうなところはというと、
                       いまの世界情勢を見ると結構難しい・・・。
                  いっきに気分は盛り下がる・・・。
                            この暑さで盛り下がった状態で秋風に吹かれると、
                               これがもう秋一歩手前のところでは想像したくない・・・。
                               でも、秋風が吹いてグッと気分の盛り下がったところで、
              わびしさがプラスされると、
                       これがなかなか名文になる可能性が高い。
               琴線に触れるようなところで、
                            すらすら名文句が出てくるのではないだろうか・・・。
                  夏の暑さから秋風に吹かれると。
                    グッと文学的気分も盛り上がるのだ。








ショパンの譜じつくりと読む愁思かな     
                        残暑が真夏並みに暑かった今年の九月。
                       観測史上最も暑い九月となったようだ。
               当然という気がする・・・。
                               誰もその発表に異議を申し立てる人はいないだろう。
                そのくらい暑い九月だった。
                 十月に入って「おっ! 寒い・・・」
              と、思ったのもつかの間。
                          台風が近づいてきていっきに蒸し暑くなった。
                              なんだか喜んだりがっかりしたりそこでも忙しい・・・。
                  それでも秋の空気感というのは、
              かなり巷に充満してきて、
                       しみじみという雰囲気はできてきている。
                    こうおいう空気感に合うというのは、
                                 まず古賀政雄の「悲しい酒」「酒は涙か溜息か」など演歌。
                               もう少し軽い感傷度ということになればショパンだろう。
                 「雨だれ」なんか名曲と言える。
                            台風の雨が「雨だれ」とは結びつかないのだが・・・。
                 バシャバシャした雨を聴きながら、
             ショパンも悪くはない・・・。
                   ショパンの楽譜はオタマジャクシが、
                真っ黒になるくらい書いてある。
               これでもかってな具合だ・・・。
              嵐で荒れた雨を聴きながら、
                      静かにショパンのメロディーを聴きながら、
                             でも、一時うたた寝もできるという優れものではある。









秋興や信濃の山の薄化粧
                            そろそろ日本アルプス全体にも雪が降るころだ。
                    日本の山には山裾には村があり、
              秋の稲刈りが終わって、
                          なんとなく冬の気配を感じる風景が広がる。
                   この山の表情の変化によって、
                           村が季節の風景に変化していくというのは、
                             日本人のメンタリティーに共通したものだと思う。
                            だから阿吽の呼吸というのが生まれるわけだ。
                    お隣の国みたいに大きくなると、
                     場所によって大きく状況が異なる。
                            これでは阿吽の呼吸は生まれないだろう・・・。
                                    外国にいったときの日本人の欠点となることも多いと思う。
                                   やはり四季のある日本人の感性は繊細さがウリだと思う。
              短歌、俳句の文化は、
                        この繊細な感性からしか生まれえない。
                   日本アルプスを抱える土地で、
                      山の四季の化粧具合を眺めてると、
                                 そのじわっと浮き出てくる感性は日本人共通のものだ。
                        流れる空気の微妙に変化していく感覚。
                    これは得難い感興なんだと思う。








松手入れ初老男の笑い皺
                       庭の植木に松の木がある家というのは、
                            だいたい邸宅という表現がぴったりな家が多い。
                  高級住宅街を歩いていたりして、
                       自分と同じ苗字の表札がかかっていて、
                       おっ!と思って立ち止まって見上げると、
                   これが三階建の邸宅だったりする。
                          目を落としてもう一回表札を確かめたりする。
         う〜〜〜ん・・・。
                             と、唸ってそのあとは考えないようにして立ち去る。
                       そんな邸宅に決まってあるのが松の木だ。
                   もちろん手入れは行き届いていて、
                           枝振りなんかにその手入れの跡が見えたりする。
                           そういうところの松を手入れする職人というのは、
                        だいたいお出入り許可の職人がほとんどで、
                  たまたまなんてことで来る職人は、
              いないと思った方がいい。
                  だいたいそういう職人というのは、
                  それなりの歳の人がほとんど・・・。
                     額の皺なんかがまた普通の人と違って、
            一本一本味わいがある。
                 皺で勝負するのも職人かと思う。
                         パッと見ておっ!と思わせる皺でないとだめで、
           ちょっろっとした皺だと、
                 なんだということになりかねない。
                  皺一本もおろそかにできないのが、
                   職人の世界ということになりそうだ。
                        松の木職人などは特にそうかもしれない・・・。








コスモスの中に溺れる車椅子
                            残暑の厳しいというか残酷だった9月が終わり、
                          やっと10月になって残暑から解放されたと、
          思わせておいて、
                               また残暑という手の込んだ仕業で季節はめぐる・・・。
               これだけ暑くなってくると、
                       新種の生物が出現するんじゃないかと、
             思いを巡らしたりする。
                     この温暖化で絶滅する種がいれば、
                                   この温暖化で出現する新たな種がいても不思議ではない。
                    白クマが絶滅しそうで絶滅したら、
                        ゴジラみたいなのが現れる可能性もある。
                           地球の生物の歴史などはそんなものだと思う。
                           しかし、日本の秋は確実にそこまで来ていて、
                        人間にはあまり感じられなくても植物は、
                    確実に秋の花に変わってきている。
                  コスモスが咲き始めているのだ。
                     コスモスが信じられないような数で、
                 咲き誇っているところがある。
          そういう場所だと、
                      車椅子になってる方の高さというのが、
                        ちょうどコスモスの背丈に近かったりする。
                            首だけコスモスの花の上に出ているのを見ると、
               打ち首獄門という感じより、
                             コスモスの花の中で溺れているようだと言いたい。
                             獄門首よりより文学的雰囲気になるというものだ。







主催者吟

十五夜を過ぎ吹く風に立てる襟

虫の音の夜毎に増えて帰り道

時雨たる銀座のネオン友去りて

早暁の虹立つ槍のダンディズム

冴えてゆく月にヒールの響く街



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