渡辺さんの俳句傑作選
2012年 10月の俳句
イギリスの派遣教師や竹の春
英語教育というのは今やどんどん強力になって、
英語の授業に、
外人講師が担当するというのもあるという。
実地トレーニングともいえる状況だ。
まあ、それがプラスかどうかというと、
プラスには間違いない。
我々の世代だと、
まず街中で外人さんと遭遇するということはなくて、
英語ももちろん日本人教師。
外人さんの英語に触れようとすると、
市販のテキストのソノシートと呼ばれるレコード・・・。
あとはNHKの英語講座・・・。
この状態で実地に外人さんの前に出たら、
あがってしまって、
しゃべるとか聞くどころではない。
理由もなく赤面してたりする・・・。
日本人が白人に弱いという話はよく聞くが、
当然といえば当然の話なのだ。
しかし、それを打開すべく、
実地に外人さんと触れる機会を作ってるのが、
いまの英語の授業だ。
しかし、これがまたなかなか難しいところがあって、
英語の本場のイギリスの教師だとまずまず・・・。
もちろん他の国の講師もいるわけで、
アメリカの地方の出身の講師だと、
なまっていたりするらしい・・・。
それをそのまんま覚えるとなるとどうなるのか・・・。
結構これまたすごい話となっていきそうだ。
図らずも灯火親しむフェイスブック
残暑厳しい9月が終わり、
ようやく忘れていた涼風が吹いた10月。
しかし、その涼風もいきなり絶え絶えになるような、
なんとも悔しい日がまだある10月。
しかし、長々しかった昼間も、
目に見えるように短くなってくる。
猛暑の中で見事に忘れ去っていた、
「やる気」を遠い記憶の中から見つけて、
しっかり自覚できるところまで引き上げる。
しかし、だからと言って、
早々大きなことができるわけでもない。
回りの人を巻き込んで何かなんて気力は到底ない。
そうなるとパソコンを開いてる時間が長くなるものだ。
これは現代の個人的力学というものだろう。
なんだかだらだらと開いて、
少し長くなった夜を過ごしたりする。
ギターをバリバリ練習すればいいとはたからは見える。
10月という月はそこまでの気力は育てない。
まあ、中途半端な月ではある。
そうなると最近話題のフェイスブックなるものに、
登録しようなどという気分になる。
そのくらいの気力は育ってるから、
結構熱心に登録画面を眺める。
そうなれば秋の夜長も短いというものだ。
曇天は私の友よ芒原
秋が深まってきて一番顕著に感じるのは、
夏真っ盛りのころには感じなかった、
快晴の日、いわゆる秋晴れという一日と、
低くどんよりとした雲に覆われた一日。
この落差をなんともくっきりと感じる時だ。
秋晴れだなんて日は、
なんだか無用に元気な気分になったりする。
世の中いきなり楽しくなった気分になる。
おおよそ猛暑の時には完璧に消えていた気分だ。
これがどんより重苦しい雲に覆われた日には、
あの猛暑で味わった重苦しい気分がよみがえってくる。
しかし、そこで大きな違いは、
猛暑の夏でも外は明るいのだ。
これが秋の日、どんよりこられると、
外は昼間っからいやに暗い・・・。
こうなると猛暑の重い気分の時にはなかった、
なんとなく救われない気分がプラスされる。
しかし、この歳になってくると、
このどんよりした気分も悪くないという、
ほとんど悟りと言える気分が現れてくる。
悟りというより重い一日を楽しむ余裕と言いたい・・・。
そういう気分をさらに盛り上げてくれるのが枯れすすきだ。
昭和の人間には芒は、
まだこの時期でのステータスを守っている。
秋天に老いの速さを嘆きおり
やはり秋という季節には、
独特の雰囲気というのがある。
たとえば春という季節。
なんとなく元気が出てくる。
さあっ!ていう気力が少しみなぎってくる。
そういう気分とともに花粉症が来るから、
なかなか難しい季節ではある。
鼻水が流れっぱなしだと、
やる気がどこまでのものか計りかねる時がある。
夏、これは語るまでもない。
猛暑の中に身を置いてやる気だ気力だと、
そういう単語自体、
誰の脳みそからも消えている。
なんだか暑さの中で朦朧として、
ようやく涼しい風が吹く秋・・・。
これは生き返るといった方が正確だ。
頭がはっきりしてくる。
しかし、頭がはっきりしてくると同時に日が短くなり、
夕暮れの色が濃くなってきて日暮れが早い・・・。
いきなり猛暑の中では見えなかった自分が見えてくる。
これが日本の四季の怖いところだ。
南国だといつも猛暑だから、
自分が見えるなんてこともないと思う。
これは幸せ度が高いといえるだろう・・・。
そうは言ってもまあ、今は秋なんですよねぇ・・・。
彼岸花あの戦争の爪のあと
今年は猛暑が長く続いたせいか、
彼岸花の開花がずいぶん遅かった。
猛暑の影響はこんなところにも出ていたということか。
彼岸花と言えばあの強烈な赤色。
そして長く伸びた腕というか・・・。
なかなか強烈な個性を持っている花だ。
真上から見るとテレビでよく見る、
爆弾が投下されて地上で爆発する様子に似ている。
太平洋戦争時のあのB29から投下されて、
次々爆発するあの映像だ。
そう見るとホントによく似ている。
あの映像を忘れるなよとくぎを刺してるようだ。
ただ戦争映像は白黒だから、
いまひとつ臨場感はないのだが・・・。
最近、尖閣諸島をめぐって中国と緊張状態にある。
相手はガンガン軍備を増強してるから、
どうも分が悪い・・・。
中国には彼岸花はないのかな・・・。
日本は彼岸花があるから、
どうも、もう一つ戦う覚悟が鈍りがちだ。
彼岸花=爆弾っていう連想が定着しちゃってる国民と、
彼岸花がない国民の違いってあるのかも・・・。
この考察をまじめに考えるかどうか、
これはこの秋という季節においての課題かも・・・。
主催者吟
十五夜を過ぎ吹く風に襟高し
喫茶店皆うつむきて秋深し
カーテンの裾をゆすりて秋の風
時雨去りしずくに遊ぶ朝日かな
珈琲をブラックにして霧の夜
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