渡辺さんの俳句傑作選






2012年 11月の俳句





懐旧の戦争ごっこざくろ割れ
                 子供のころの思い出の中に、
                             戦争ごっこというシチュエーションが入ってるのは、
                        まあ昭和30年生以前の子供たちだろう。
                       昭和も40年代生の子供たちになると、
                   戦争ごっこという遊びの印象は、
             グッと薄くなるはずだ。
                              昭和20年から30年以前に生まれた子供たちには、
                            戦争はまだ身近な存在だったという感じがする。
                   戦後10年経つか経たないかで、
                               生まれてきてるわけだからゼロ戦とか戦艦大和とか、
                普通に出てくる名前だった。
                     親たちも戦争に行った世代だから、
                いよいよ身近だったわけだ。
                時代がどんどん進むごとに、
                 戦争ごっこなどと言う遊びは、
                    子供たちに見向きもされなくなり、
           現代にいたる・・・。
                                   大和も宇宙戦艦ヤマトとしてしかイメージはないだろう・・・。
                             まあ、ゲームのみの世界で遊ばれる存在だろうな。
                            実際の戦争もテレビの中だけの話になっている。
                         これがこれがザクロの実が割れるがごとく、
                                 バッ!と反転して目の前に戦争の状況が現れたら・・・。
                             こういう懐かしい思い出が現実になるのだけは、
             御免こうむりたい・・・。








櫓田や前に開かる八ヶ岳     
              稲が刈り取られた田圃。
                  稲で埋まっていた土が開けて、
                           どこまでも続いてるような錯覚にとらわれる。
                            日本のいわゆる田舎の収穫を終えた田んぼの、
                   ホッとした佇まいを感じさせる。
                 ここまでが農家にとっては、
                             気のほんとに休まることない時間の流れだろう。
                          目の前には雄大な八ヶ岳の雄姿が広がる。
                                まあ、ここで見えるのは主峰「赤岳」としておきたい。
                             八つの峰があるわけだからどれでいいわけだが、
                                   やはりこう一本勝負で出てきたからには「赤岳」としたい。
                          切り株からヒョロッと伸びてきた青い芽が、
                           主峰の手元でかわいいじゃないですか・・・。
                         相手は横綱、かたや生まれたばかり・・・。
                   この対象はスケール感がある。
                    これが高尾山となってしまうと、
                          嫌にこじんまりした雰囲気になってしまう。
                               所詮日本の田園だと言ってしまえばそれっきりだが、
                      ここは気宇壮大な景色にしたいね。








邯鄲や花一輪を子規墓前
           秋も深まってくると、
            虫の音がにぎやかだ。
                               賑やかというよりやかましいといった方が正しい・・・。
             虫の音も聞こえ始めは、
                     蝉の声に少し混じって聴こえてくる。
                   「おっ!虫の声が聞こえてきたね」
                  くらいの反応がまず第一歩だ。
                            これが蝉の寿命が迫るごとに勢力を増してきて、
                   朝な夕な夜中もなきっぱなし・・・。
                     家の中にでも入りこんで鳴きだすと、
                           やかましいのなんのって思わず怒鳴りたくなる。
                          鳴き声のするところに近づいていって脅すも、
                  その時だけ静かになるだけ・・・。
                    離れればまた大声で鳴きだす・・・。
                   その虫の中に邯鄲も存在してる。
                       鳴き声は見分けがつくかどうかというと、
                          普通の人には聞き分けはできないだろう・・・。
                  しかし若干トーンは低いようだ。
                           ま、そんな少し静か目の邯鄲の声を聴きつつ、
                          子規の墓前に花を束でなく一輪手向けよう。
                   俳句は省略の芸術だから・・・さ。









大花野真ん中に立ち古事記よむ
             今年の秋は短かった。
                        猛暑の残暑、9月から極寒の12月まで、
           その間一ヶ月・・・。
                         しかもその10月も最初は残暑の名残で、
                   終わりはいっきに冬の気温・・・。
                        中2週間しか秋はなかったと言っていい。
                       なんだか秋という季節があったことを、
                 忘れさせてくれる極端さだ。
                                 夏と冬の凶暴な話し合いがあったのではないだろうか。
                     まだ残暑の皮膚感覚でいる間に、
                              冬将軍の冷たい息を思いっきり吹きかけられたら、
                     こりゃあ、たまらん状況だろう・・・。
                           冬将軍なんてだいたい性格良くないからね。
                 上から下までまんべんなく、
                    冷え切った息を吹きかけてくる。
                          風邪をひけば重症になるのは当然だろう。
                      それでもその猫の額ほどの秋にも、
                     秋の花が咲き乱れる一瞬がある。
               この一瞬は見逃せない。
                               こういう秋の草花の咲き乱れる原っぱの真ん中で、
                 古事記をひも解いてみよう。
                              大昔の日本の雰囲気に浸るには絶好の環境が、
                 秋草の匂いの中にはある。
                             読んで分かるかどうかは考えてはいけない・・・。
                             雰囲気に浸るのがこの一瞬の秋を味わうには、
                   このシチュエーションなのだ!!








勉学は忸怩たるもの竹の春
            学生時代というのは、
                     とかくいろいろ思い出も多い年代だ。
               一度社会に出てしまうと、
                           いろいろというとだいぶ波乱を想像してしまう。
               学生時代と社会人時代は、
                はっきり線が引かれてしまう。
                            人間何度かきっちり線が引かれてしまうものだが、
                    学生時代と社会人との境目の線は。
            なぜか太く感じるのは、
                      考えがいろいろ及ぶようになる時期に、
                    引かれる線ということだろうか・・・。
            学生時代というのは、
                     常に自分中心に世界を見てるせいか、
                            思い出すといかにも個人的な感傷がついてくる。
                          人が聞くとなんだそれと言われそうなことでも、
                       ほんのりいい色合いで思い出される・・・。
                   しかし、勉学のことになってくると、
                       これが本業ということになるからだろうか、
                     そうそういい雰囲気の思い出としては、
              よみがえってはこない・・・。
              本業の本業たるゆえんだ。
               まだまだ人生の出発点から、
                              わずかなキャリアしかないところの本業の思い出・・・。
                        まあ、自慢できる部分は少ないのかも・・・。




句会員の句


席譲られ車窓の枯れ木皺ババァ

秋晴れや富士雄渾の新たなり




主催者吟


紅葉に温み盗られて立てる襟

借景を探して冬の湯あみかな

森覆う落ち葉の裏に虫の卵

貰い柿皮剥く袖に汁温し

散り残る葉小刻みに冬の風




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