渡辺さんの俳句傑作選






2012年 12月の俳句





寝台はフルコース付き神の旅
           寝台特急というと、
                     どこかノスタルジックな響きがある。
                          今の若者には寝台特急に乗るというのは、
                    イベントで乗るという要素が強い。
                       寝台特急がいまや特別のものになり、
                簡単には乗れないからだ。
                    新幹線で用は足りてしまうから、
                     用事で乗る必要がなくなった・・・。
                        もう寝台特急がどういうものかでしか、
                  乗る要素はないということだ。
                              最上級の部屋でフルコースを楽しみながら乗る、
                                  こうなるとノスタルジックな雰囲気というのは湧き辛い。
                            銀河鉄道999のあの雰囲気を理解するのは、
                 かなりというか難しい・・・。
                    ノスタルジックという言葉自体、
                           昭和の言葉になってしまったのかもしれない。
                  フルコースで乾杯でなくても、
                      イベントとして乗る空気感の中では、
                               ノスタルジーという言葉は合わないこと甚だしい・・・。
                         フーテンの寅さんが乗って画面に現れる、
              夜行列車の雰囲気は、
                                いまや理解不能の時代に入ってしまったかもしれない
                            








着膨れて立ち読む少女漫画かな     
          今年の冬は寒い。
                             例年よりも気温が低いと天気予報は言っている。
                             昨夏の猛暑の反動的冬の気候ということか・・・。
                 気温があんまり低すぎると、
                       どうも小説まで読む気が湧かなくなる。
                     もちろん猛暑の夏は活字と言えば、
                        テレビに出てくる文字くらいしか見ない。
                        能動的には見る気がしないということだ。
                   秋はその点気温がちょうどいい。
                           細かい文字まで見る意欲を湧かせる気温だ。
                  しかし、去年の秋は短すぎて、
                       一冊文庫本の最後まで到達する前に、
                  寒波襲来となってしまった・・・。
                            結局読みかけが何冊か積ん読く状態で残った。
                              低温気候が定まるとやはり単純なものがいい・・・。
                  猛暑だと手も出にくい漫画だ。
                   寒波だと体温は維持できるから、
                             漫画のように文から想像しなくてよいものは読む。
               想像力を省略できるのだ。
                 たくさん着て温度を保てると、
                          普段臆病になるくせに気になる少女漫画を、
                           コンビニかなんかで立ち読みすることもできる。
               横から見られにくいように、
                  ページに顔をうんと近づけてだ。








マタタビを猫に与える漱石忌
           「吾輩は猫である、
          名前はまだない」
                        この出だしは夏目漱石の全小説の中で、
                 もっとも有名な出だしだろう。
                      こういう超有名な小説家というのは、
                                  だいたい記憶に残る出だしを持つ小説が一つくらいある。
                  川端康成の「雪国」しかり・・・。
                  逆に言うとだから記憶に残る、
                    小説家っていうことなんだと思う。
                           後は源氏物語くらい長い小説を書くとか・・・。
             漱石をしのぶというと、
                  やはり猫が主役になるのかな。
                     「坊っちゃん」という小説もあるけど、
              あれだとしのぶとなると、
                        松山道後温泉までいかなくてはならない。
                    マメなファンはいくかもしれないが、
                                これは、かったるい派のファンにとっては荷が重い・・・。
                松山の近くだったらともかく、
                東京からだと・・・と考えると、
                ファンをやめようかななどと、
                   不届きなところまでいきかねない。
                        やはり文豪ともなるとそこまで考えていて、
                           身近で気楽にしのべるようなものを残してある。
                   猫なんて身近もいいところだ・・・。
                             まあ、そうかどうかまでは実は分からないけど・・・。









飼い猫を連れて狭庭落ち葉焚
                 焚火なんて今や町単位まで、
                  やっているのを見たことがない。
                              なんとか郡までいかないとまず見ることはできない。
                    火事を恐れるということもあるが、
                     ただでさえ狭い日本のスペースに、
                            もはや合わなくなった文化の一つと言っていい。
                                 まあ、盛大に見られるのはどんど焼きの時くらいだろう。
                 とりあえず神事ということで、
                          火事にはならないだろうという確信のもと、
                 盛大に燃やしちゃってますね。
                                   しかし、それを焚火という認識で見てる人もいないだろう。
             やはり焚火の定義は、
                           路地裏で落ち葉を集めて小さい火をおこして、
                            ちびたサツマイモを入れて焼き芋にして食べる。
                          これが焚火のというものの原点ですからね。
                   これすらできるスペースがない。
               日本って狭いんですよね。
                               ただでさえ狭い日本から尖閣諸島ひとつとられても、
                     大変なことだと言えなくもない・・・。
                                さらに日本の面積数字が減っちゃうわけですから・・・。
                      この俳句に出てくる「狭い庭」という、
                   庭の広さが気になるだろう・・・。
                              俳句の雰囲気より実際は広いんじゃないかと思う。
                   焚火をするスペースというのは、
                                 どうも狭いという感覚では今やとらえられないのだ・・・。
                   実際に見たことはないけど・・・。








鮟鱇鍋みんなでつつくクラス会
            鮟鱇鍋なんて言うと、
                      寒い中で鍋からもくもく上がる湯気と、
                 湯気で曇るメガネを連想する。
                        猛暑の中でやろうという人はいないから、
               これはやはり真冬だろう。
                きゅんと冷え切ったところで、
                         鍋の蓋を開ける時のワクワク感というのは、
                          なかなかたとえるもののない気分の一つだ。
             だいたい鍋というのは、
                               一人でつつく姿というのはいやに寂しさを醸し出す。
                              テレビドラマなんかで奥さんに逃げられた主人公が、
                      一人鍋をつつく姿が映し出されると、
                    これまた侘しさ100パーセント・・・。
                    雰囲気効果が大きいということだ。
                   逆に多人数で鍋を囲むシーンは、
                    にぎやかで明るい雰囲気満載だ。
                                これだけのギャップをもつ鍋というシチュエーション・・・。
                  クラス会単位でつつくとなると、
                          この座の雰囲気が想像できるというものだ。
                           一人と大勢というギャップ差で見てほしい・・・。
                           クラス会単位と言えば賑やか騒々しいという、
                 場面雰囲気しか浮かばない。
                             鮟鱇鍋というのがまたちょっと独自性があるから、
                  よけいに印象を確定させるね。
                             逆に一人で鮟鱇鍋なんて侘しさも昭和級になる。
                          一人で鮟鱇鍋なんてあり得ないけどさ・・・。





句会員の句


ドラマ見ていつしかコクリ秋日暮れ

クリスマス弾き込み臨み強張る手

年の瀬の日暮れに浮かぶあれやこれ

千両を坊主にされて年の暮




主催者吟


落ち葉踏む足深々と山深し

霧の夜の窓の人影なにやらむ

里を去るオリオンかの日と変わりなし

霧雨に濡れつ微笑む道祖神

山道の足柔らかく落ち葉かな



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