渡辺さんの俳句傑作選






2013年 12月の俳句





リウマチの指愛おしみブドウ狩り
                     今リウマチの方が全国いや世界に,
                         どのくらいおられるのか想像もつかないが、
                       年とともに重症化しやすいこの病気は、
                           発症すればなかなか厄介な病気ということだ。
               完全完治は難しいらしく、
                    それならば付き合っていくしかない。
             付き合うという言葉は、
                     まあ、大体において楽しい雰囲気を、
             漂わせている言葉だが、
               病気と付き合うというのは、
                      逆説的な意味を込めているんだと思う。
                   離れることができないのであれば、
            せめて愉快な気分に、
                 取り込んでいこうということだ。
                 財産化しようということだ・・・。
                      あんまりありがたくない財産ではあるが、
                            こういうことは考え一つということに当てはまる。
                               どうにもならないことは、むしろそれ自体を受け入れて、
                 可愛がって行こうということだ。
                           ほんとにかわいいかどうかは問わないで・・・だ。
              これも自分の持ち物だと、
            積極的に取り込めば、
                    火もまた涼し・・・ということだろう。。









   ウォークマン片耳にかけ秋遍路     
           四国遍路88ヶ所。
             今も昔もトコトコ歩いて、
                      88ヶ所を制覇する人は後を絶たない。
           全員が88ヶ所まで、
                        たどり着いてるのかどうかはわからないが、
               一か月かそれ以上かけて、
               成就を目指すということだ。
                            テント持ちで野宿しながらという人もいるらしい。
                        なんか物月好きと言ってしまいたくなるが、
                      俗人の感性とはもう一段違うところに、
                   行ってしまってるということだろう。
                    しかし、88ヶ所最後まで歩き続けて、
               成就させることができれば、
             その内面的な達成度は、
              想像以上だろうとは思う。
          今どきの若者なら、
            iPodを首から下げて、
                          音楽を聴きながらというスタイルもありだろう。
                        なにしろ木片のように軽いものもあるから、
                     首からかけて歩いても苦にならない。
               少しでも楽しくというのが、
                        お遍路に許されるのかどうかわからないが、
            苦痛を伴うお遍路に、
                         楽しみを持ち込むことがいけないことか・・・。
          修行の邪魔か・・・。
                             そんな固い問答をしようとするような時代でもない。
                       辛さのあるお遍路も楽しみがあってこそ、
                  裾野はもっと若い世代に人気が、
             出るのかもしれない・・・。
                  ウォークマンを首にぶら下げると、
               首がこりそうでもう一つだ。
                              ここは今の時代らしくスマートにiPodといきたい・・・。








秋うららふっと横切る原節子
                     ふっと横切る、原節子・・・だなんて、
                          ちょっと大丈夫と声をかけたくなる状況だが、
                        そういうことをここでは言ってはいけない。
                      秋と聞いて、原節子、そう言えば・・・。
                       小津安二郎の映画「麦秋」が浮かべば、
                      かなりの文化人といえるのではないか、
                     ただこれもかなり古い話になるので、
                      今の若者にはたして通じるかどうかは、
          ちょっと未知・・・。
                        秋の感覚の乏しくなった昨今の日本では、
                       ふっと原節子が浮かぶ状況になるのが、
               若干難しいかもしれない。
                   しかし、高く晴れ上がった秋空と、
                   猛暑が去った後の乾いた空気感、
                      昼下がりにでもカフェの外のテラスで、
              コーヒーなど片手にして、
             道行く人を眺めてると、
           ハッと原節子・・・。
                         のような女性が歩いて目の前を横切る幻を、
                     一瞬でも味わってみたいと思うのは、
                  無駄なことでもないと思う・・・。
                  なんかいいじゃん…と思うのは、
                               こういう想像をする気分があるってことなのかな・・・。








仙人と呼ばれし男茸汁
                仙人と呼ばれるようになる、
                 境界線というのはどこだろう。
                             仙人の定義というのは日本昔ばなしからあって、
                まず霞を食って生きている。
                 山奥にこもって修行をしてる。
                   下界の人と接触を持たない・・・。
                       などが代表的な仙人ということになる。
                        しかし、こうなると現代の感覚でいうと、
                          世捨て人という見立てになるのだろうか・・・。
                       現代において仙人ということになると、
                        ホームレスもその範疇に入るのだろうか、
                             いや、ホームレスは修行してるわけではないから、
                   範疇に加えるのはいま一つ・・・。
                        では仙人とホームレスを分ける境界線は、
               どこらあたりだろうか・・・。
              繊維\人もホームレスも、
                      世捨て人という感じがしないでもない。
              しかし、仙人というのは、
                        どこかに修行という二文字が入っている。
                  ホームレスにはそれはない・・・。
                           現代において専任となると結構難しい定義だ。
                       自ら仙人と名乗る人も少ないと思うし、
                          第三者から見てあの方は仙人のようだ・・・、
               と、言われる人の雰囲気。
                       たぶん共通した認識があるんだと思う。
                あの人は仙人のようだ・・・。
                      いい意味にも、いまいちの意味にも、
             使われそうなこの言葉。
                           どちらの意味で見られるのか若干は気になる。
                茸の味噌汁は好きというと、
                         一つ得点になるような気がするのだが・・・。








遺言を考えながらラフランス
           遺言という言葉が、
                        ついにこのコーナーにも出てきてしまった。
          俳句という世界が、
                          高齢化してからの世界という認識があるから、
                            どうしても遺言という言葉が身近に感じてしまう。
                         俳句の世界で60台はまだはなたれ小僧だ。
                    まあ、ここから二十年は上になって、
                ようやく一人前となる世界だ。
                 一番上まで駆け上ってしまうと、
                 もう遺言なんて言葉は発しない。
                        その中間ぐらいの人が一番言葉にしそうだ。
            だから遺言を書くのは、
                   この中間の年代ということになる。
              これを超えて上までいくと、
                           遺言なんて必要ないくらい元気な人しかいない。
                              もう遺言なんてイメージはさらさらなくなるんだと思う。
               中間ぐらいの人が上を見て、
                   嘆いて書くのが遺言かもしれない。
               下にはもういけない世代で、
           だからと言って上は、
                   はっきりしない世界だと思う年代。
                               ここが最も遺言を書こうと思う年代じゃないかと推察。
                    なんとなく苦い思考回路が働く中で、
                           甘〜〜〜いラフランスを食べながらというのは、
                    結構いいバランスなのかもしれない。
                                苦いだけじゃ書くのを断念しそうではないでしょうか・・・。





句会員の句


時経てもギターいまいち虫のなく

ハラハラと紅葉散りゆく吐息かな

紅葉散りなにやら広し庭の空

目を細め塀越しに見る秋の夕




主催者吟


あふれ出る湯音や秋の露天風呂

路地裏の匂い懐かし祭りの夜

立てし襟なを入り込む寒波かな

酒に酔う脳楽しめり長夜かな

雪降るとニュース伝えし故郷かな




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