渡辺さんの俳句傑作選
2014年 3月の俳句
ジョーク言う介護ロボット山笑う
最近のロボットの発達には目を見張るものがある。
サイエンスの中でも、
群を抜いて発展してるのではなかろうか・・・。
掃除機ロボット「ルンバ」、
これがまた隅々までマメに床を掃除して回る。
エネルギーがなくなってくると、
自分で充電器に乗っかるというお利口さんぶりだ。
ホンダのロボットアシモ君。
これはテレビで見て驚いた。
簡単な会話までする。
しかも走ることもできる。
介護ロボットの分野でもかなり進んできていて、
食べ物を取って食べさせてくれたりする。
この人との触れ合いの中で、
ジョ―クが出るようになると、
一気に老人の孤独死が減るような気がする。
日ごろからジョークの笑いがあると、
なんだか体が活性化してくる気がする。
笑えるジョークなら気持ちが元気になりそうだ。
ここまで来ると孤独死という定義が崩れると思う。
ロボットのジョークとなると、
まさに山が笑うほどのインパクトがありそうだ。
人間よりロボットのほうが仲良くなれたりして・・・。
ロボットは感情が表に出にくいから、
相手していても気が楽というのがあると思う。
ジョークを語るロボットに来てほしいなぁ・・・。
なんとなく自分の生活も、
なんとなく元気になりそうな気がする。
一家に一人のロボットという時代が、
生きてるうちに実現しないかと思う
春暁や不眠の我の迷いごと
季節の変わり目の昨今。
体が冬の体制になってるところに、
春の陽気が入り込んでくる。
冬の気候に完全に慣れきった体に、
春の気圧が覆ってくると、
だるいのに横になると眠れない・・・。
昼間ボーっとしていて居眠りなんか出るというのに、
いざ夜布団に入ると目がさえて眠れない。
昼間寝不足だから眠くてボーっとしている。
さて、夜になって眠れるかというと、
これがまたそうはいかない・・・。
そんなことの繰り返しで気分は真っ逆さまに谷底・・・。
春の鬱という状態に陥ってしまう。
それでなくとも春の日差しは強くなって、
身の回りの景色はいやに明るくなる。
これがまたなんだか馴染めない。
冬のモノトーンになれきった眼には、
いきなり色彩豊かに明るくなった昼間は、
なんだか当惑させられる。
気分はハイになっても感覚は簡単についていかない。
要するに体に矛盾が起こるわけだ。
この体の中で起きる矛盾が睡眠をさまたげる。
なんだか体の中の機能のバランスが、
バラバラという状態になってしまう。
こういう状態になってしまうと、
楽しい気分はどうだったかも忘れてしまう。
得体のしれない憂鬱となんとも言えない不安感と、
行く末に希望が見えなくなってしまう。
明け方まで悶々とする日々・・・。
体にいいわけはない・・・。
まあ、日本の四季は今やほとんど消えてしまっているが、
意外とこのバラバラと集約を繰り返すことが、
日本人の細やかな感性を作ってるのかもしれない。
なんとも複雑・・・。
被災地の時を止めたる花リンゴ
東北から関東まで、
広い範囲に被害をもたらした大地震から今まで・・・。
結構長い時間が過ぎたと思う。
原発事故からも同じ時間が過ぎた。
なんだかあっという間という気がしないでもない。
この歳になると一年がやたら早い。
あの揺れからもうこんなに時間が経った。
こちらが早いと感じる以上に被災人たちには、
とてつもなく長く感じていると思う。
全く先の見えない状態での一年は、
異様に長いと思う。
テレビで被災地の今なんて映像を見ると、
なんも変わってないな・・・。
という印象が強く残る。
原発事故とと地震からの復興は、
待ったなしの状況でスピード感を持ってやる。
直後から政府は大声で言ってるが、
結果今までほとんど何も解決してない。
なにも解決しないから、
まあいいだろうということで、
帰還が始まった地域もある。
いわゆる見切り発車というところだろう・・・。
われわれが生きてるうちに、
はたして完全復興はあるのか・・・。
原発の収束は100パーセントない。
最後が見極められないところであの世だ。
安倍首相も最後は見ることなくおさらばだろうな。
気が付けばまだやってるってなことだろう。
それでも原発に頼らないとやっていけない国の姿。
世界中そんな感じである・・・。
宇宙戦艦大和の状況が生まれる日が、
空想ではなく実際に来るのかもしれない・・・。
レコードの雑音豊か春浅し
レコードからCDに変わって、
どのくらいの時が過ぎたのだろう。
この世代だとレコード時代というのが、
実に長きにわたって経験している。
レコード盤に針を置くとき、
あのなんとも言えない緊張感を経験しているのだ。
思わずレコード盤に針を落としてしまうと、
この世の地獄という世界だ。
いわゆるレコード盤にキズがついてしまい、
レコードをかける度に、
定期的にぶちっという音が入ってしまう。
そういうきわどい経験を長年してきた世代だ。
音楽に対する神経は、
CDだけしか知らない世代より神経は繊細なのだ。
今レコードを聴いてみると、
CDに慣れた耳にはシャーというような雑音が気になる。
しかし、同時に出てくる音はいやに艶っぽい。
セゴビアのギターの音色がCDにはない艶っぽさがある。
これはいったいどうしたわけだ・・・。
雑音が気になりながら聞いている耳に、
艶のある音が入ってくるではないか・・・。
CDは雑音を消したと同時に、
艶というもの消してしまったのではないか・・・。
CDは雑音がないと喜んではいるが、
実は音色から重大なものを、
完璧に取り去ってしまってるのではないか・・・。
雑音がなく傷もつかないという便利さに、
実は騙されてるのではないか・・・。
より便利という言葉に騙されていた、
感性がいきなり目覚めあたような、
そんな衝撃というか革命というか・・・。
もう一度レコードを聴こう。
消されてしまった人間の感性が、
またよみがえってくる可能性が高い。
そうなると音楽もまた変わってくるのではないか・・・。
そぞろあるく百円ショップ春の昼
消費税が8パーセントになった。
5パーセントから3パーセント上がっただけじゃん・・・。
と、いう解釈をするのか、
一割になってきたととらえるのか、
論は二分すると思う・・・。
これはやはりどこが解釈の境界線となるかは、
懐具合によると思う。
財産を持ってる層からすれば、
たかだか3パーセント上がっただけだ、
という話になるだろう。
逆に懐具合に寒風が吹いてる層にとっては、
これで10パーセントの世界に突入・・・、
と、悲壮感に満ちた声が聞こえてきそうだ。
買いだめに一番走る層なのかもしれない。
さて、この境界線がどこの円の単位になるかということだ。
一番複雑なのがこの境界線上にいる層だ。
自分の胸に手を当てて考えてみよう・・・。
考えること自体実はいやなのだ・・・。
なんだか思い知らされることに怯えてしまう。
寝た子は起こしたくない・・・。
まあ、一番無難なのは、
100円ショップを覗くことだ。
ショッピングを楽しむという行動の起点を、
100円ショップに置き換える。
これが実は大事なことなのだと思う。
人間は心理の動物だから、
起点を移動させれば意外とタフにもなれる。
100円に8パーセントの消費税が付くと言われても、
動じはしない・・・。
デパートなんぞ覗くと萎縮するからよくない。
100円ショップで気を大きく持って歩こうではないか。
やはり境界線の層というところの落としどころは、
この辺りにあるということだろう・・・。
句会員の句
半世紀運転終えし雪の道
弱き陽の庭の隅にも蕗の薹
春めきて病に伏せる友案じ
初雪や狭き庭にもロマンあり
主催者吟
カーテンの影より聞こゆる早春賦
城跡の石垣崩れ蕗の薹
春眠や軒伝う雨絶え間なし
群れて咲く本丸跡の山躑躅
春光や埃も光る伽藍かな
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