渡辺さんの俳句傑作選


2018年 5月の俳句


絶叫や春惜しみつつ秀樹逝く

絶叫という言葉にはいろんな意味が含まれてますね。
ジェットコースターに初めて乗った時の絶叫。
一大目標突破の時の絶叫。
アイドルコンサートの時の絶叫。
まあ、いろいろな絶叫がありますね。
西城秀樹氏が63歳で亡くなりました。
絶叫アイドルの元祖みたいな人でした。
野口五郎、郷ひろみとの新御三家。
70年代からとにかく長く走り続けたという感じです。
3人の中でもパフォーマンスの大きさで目立ってました。
なんといってもハウスバーモントカレーのコマーシャル。
これは印象深いですね。
あんだか頭にこびりついてしまって、
カレーというとこれを買うようになってしまった。
ハウスも結構儲かったんじゃないかな。
亡くなってから異例のコメントを発表しましたよね。
それだけ貢献度が高かったということかな。
今はなんだかんだと問題を起こしては消えていくタレントが多く、
コマーシャルもサイクルが短いですよね。
12年の長きにわたって続いたというのは、
これからもなかなか難しいかも・・・。
常にエネルギシュな活動が寿命を短くしたのかもしれない。
タフな印象は3人の中でも際立ってましたよね。
それが体に負荷をかけ過ぎたのかもしれない。
二度の脳梗塞を乗り越えたのも凄い!!
二度倒れると大体動けなくなりますよね。
そこからまた這い上がってくるというエネルギーは、
並大抵のものではないです。
しかしそういう無理がまた寿命を縮めたのかもしれない。
それにしても63歳は若いですね。
最近バタバタという感じでスターが消えていきます。
NHKの朝ドラに出演している中村雅俊が、
ギターを弾くながら歌うシーンがあった。
時の流れを感じないわけにはいかなかった・・・。





けん玉の技冴えわたる雲の峰


けん玉が結構インターナショナルな知名度になってきた。
今までも時々テレビに出てきていたが、
やはりその時々に名人っているもんなんですね。
昨今外人さんにもかなりの腕前の人がいるということです。
子供のころにはけん玉で遊んだが、
大人になってからは手にしたことはない。
しかし、けん玉の技が脳トレにいいという話が出てきた。
確かに玉に空いた穴に、
細い先をはめるというのはかなりの集中力がいる。
なかなかスパッとは決まらない。
このけん玉の技にもかなりの種類があって、
細かい技を見せる人がいるんですな。
なにごともオタク族というのがいるから、
けん玉オタクからすれば、
難しい技ほど気合と集中力が必要ということだ。
この異常なほどの集中力と気合を楽しめるようじゃないと、
けん玉は上達しない。
空中に放って上げて狭いところにおさめていく。
見てればすごいなと思うが、
自分でやろうという気はほぼ起こらない。
必要な集中力を出す勢いがないということだ。
けん玉に限らず名人という人には、
不屈の闘志が宿っている。
やはり特別な人だと思う。
自分が特別な人の部類には、
所属できないというのはよく分かる。
技が完成するまであきらめない根性があるかないか・・・。
どう見てもないんだな。
どう見てもない人がけん玉名人の技を見て、
感嘆する種族に入るんだろうな。
けん玉もインターナショナルになっているから、
外人さんが技を繰り出してやってるわけですが、
体がでかいですからね。
背を丸めて小さくなってやってるわけですよ。
なんとも言えない気分になりますね。
なんだかがんばれとも言いにくい風情ですよ。
まあ、なんとなく見てるだけかな・・・。
7チャンネルの和風総本家なんか見てると、
なんの世界にも命懸けで取り組む人がいるんだなと・・・。
凄いなと思います。





線路には山下清薄暑かな


線路というといろんなイメージがありますよね。
線路はつづく~~~よ、
ど~こまでも・・・。
なんて歌がすぐ浮かぶんですね。
この歌が浮かぶって、
けっこう古い昭和の人間丸出しです。
しかし、線路というのは、
いろんな小説にいろんなイメージで登場しますよね。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった、
夜の底が白くなった・・・。」
これも鉄道というモチーフからきてる、
有名なパッセージです。
かの川端康成の小説「雪国」の出だしです。
なんだか旅情というイメージがありますよね。
線路にはまた事件というものも多く存在します。
かなり昔の国鉄総裁だった下山事件。
松本清張の推理は、
アメリカの防諜部隊の仕業ということを書いてますね。
結局迷宮入り事件となりました。
最近では女の子を線路に横たえて、
電車に轢かせたという事件がありました。
犯人はなんとも若い青年だった。
いったい彼にはどんな心の闇がったのかと思う。
線路鉄道の暗い側面ですよね。
ボケて家を出て、
電車に轢かれてしまったという事件もありました。
電鉄会社に法外な賠償金を請求された、
なんて話もありましたね。
これはあまりという世間の評判に、
結局払わずに済んだようですが・・・。
やはり昭和の人間には鉄道と言えば、
リュックを背負ってランニング姿で歩く山下清画伯でしょう。
芦谷雁之助がテレビドラマでやってましたね。
これが結構はまり役で山下清の人物像を作り上げました。
実際テレビでは作った山下清なんですけどね。
でも、鉄道をトボトボ歩く姿と、
絵を画いた時の周囲の人たちの驚きの表情が、
極端で面白かったですね。
普段はうだつが上がらなくても、
いざとなると人を唸らせてしまう。
これはスーパーマン伝説ですね。
うだつの上がらない新聞記者が、
スーパーマンに変身して人々をあっと言わせる。
このプラスとマイナスの対称が、
人の気分を愉快にさせるわけです。
線路には明と暗の対象がくっきりするところがあり、
人々を今も昔も引き付けるんですよね。





初夏の外人もいる植木市

最近、自分の行動範囲の中で、
外人さんとの遭遇確率が格段に上がってる気がする。
まあ、最近はどこへ行っても必ず遭遇するんですね。
昭和の人間としてはちょっとびっくりする傾向ではある。
昭和で身近な外人さんというとテレビの中。
ケント・ギルバートとかケント・デリカットとか・・・。
まあテレビでは普通に見かけるようになった。
それが今やどこに出ても見かけるようになったが、
乗る電車ごとに若干人種的傾向があることにも気が付いた。
日本もインターナショナルに人が集まるんだという認識。
昭和も中盤までは一年に何人の単位でした遭遇しなかった。
そう言ってはなんなんですがなんだか珍しかった・・・。
今や有名観光地には外人さんがあふれる時代。
10年くらい前の雷門の前は、
まだそれほど人がいる状況ではなかった。
今や外人さんで溢れて、
ちょっと気楽に行ける感じでもない。
まあ、どこもそんな感じかな・・・。
けっこう田舎っていうところでも出会うからこれも驚き。
それだけ人間感覚を入れ替えないと乗り遅れるね。
気分は若いまんまだけど、
回りの状況は秒単位で今や変わっていく。
植木市とか、なになに市とかは、
季節の風物詩でもあるけど、
ほおずき市なんかにアフリカ系とか、
東南アジア系の方を見かけると、
なんだか季節感はちょっと変わりますね。
日本の風物詩という感覚だけではないような・・・。
日本にも海外労働者50万人集めるという、
政府の政策が発表されたようですね。
少子化に手が打てない政府の場当たり的な政策ですね。
植木市とか、なになに市で売ってるのは日本人。
買うのは外人さん・・・。
こんな時代はすぐそこまで来てますね。
正月の羽子板市ろかも、
外人さんがニュースに占めるようになりそう。
日本の季節の風物詩も、
だんだん損な色合いも薄れていきそう。
時代と言ってしまえばすべて解決してしまうのが怖い。





炎帝やピカソに頼む風景画

炎帝と言えば中国発の言葉で、
三皇五帝の中の一人。
夏をつかさどる神ということです。
字面を見ただけで暑そうですね。
俳句では夏の季語となってます。
伝説ではの農業の神として正徳があったという。
正徳があったの大昔の神話の時代。
今や猛暑の神って感じですよね。
文字を見ても神農という感じはなくて、
ただ暑い!!
日本の厳しい気候の全責任を負って存在してる感じです。
まあ、勝手にそう決めてるだけなんですけどね。
この炎帝大活躍の夏の猛暑をピカソに託そう。
そう言ってる俳句がこれですかね。
ピカソがいまの日本のうだるような猛暑を、
どう表現するのか・・・。
興味深いテーマではあるけど、
日傘の林立を書いておしまいって気がしないでもない。
あまり興味は示さない気もする。
ピカソよりゴッホだとどうだろう。
あの目が回るようなうねった線は、
なんだか猛暑日本を表現してるような気がしなでもない。
なんだかゴッホのあのうねるような線を見てると、
体調によっては体が傾きそうだ。
うねった線の中に、
カラスが飛んでるような絵もあった気がするが、
なんとも猛暑に本を象徴するような風景だ。
ピカソとゴッホ・・・。
どちらがより的確に猛暑日本の感じが出るのか。
ピカソは優雅な生活の中で生活していた。
女性ともやりたい放題・・・。
ゴッホは貧しい中で気がおかしくなっていった画家。
どっちが猛暑日本の風景にふさわしいか・・・。
貧乏日本の風景にはゴッホが似合うかもしれない。
それにしてもゴッホのうねるような線を想像して、
猛暑を迎えるのは厳しいね・・・。




主催者吟


春暴風雨去ってだらりのこいのぼり

五月晴れ猛暑の前のプレリュード

入る前にアジサイ咲いて枯れ初め

書き直し図鑑五月の花話

季と花と合わぬアジサイ愛でにけり




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