渡辺さんの俳句傑作選


2018年 6月の俳句


蝸牛出会う三ツ星レストラン

三ツ星レストランと聴いてパッと頭にひらめくのが、
ミシュランガイド。
ここに乗ると売り上げがめっちゃ増えるという。
しかし、なかなか世の中上手くいかないらしい。
当のミシュランガイドが毎年の赤字で、
存続が危ぶまれている。
軒を貸して母屋を取られる状態らしい。
人の売り上げアップして自分のところが火の車とは、
あんだカギャグにしてもなんだかうら寂しい話だ。
そういう三ツ星レストランで蝸牛料理を食べる。
蝸牛料理と言えばフランスを思い浮かべるtが、
そんな狭い了見じゃ蝸牛は味わい尽くせない。
当然ながら中国料理にもある。
沖縄料理にもある。
子どもの頃初めて蝸牛料理があることを知った時の衝撃は、
今でも忘れない。
蝸牛を食べるの・・・?。
雨の降った後のアジサイの葉っぱにいる蝸牛を見て、
これを食べるのかぁ・・・と、
子供ながら虚心坦懐に境地に至ったものだ。
あのヌメヌメした蝸牛を食べるというのは、
どうも感覚的になじめなかった。
今は色々知識が増えて、
食べられるものだということは知っている。
しかし、やはり食べようという気にはどうもなれない。
子供の時の衝撃が大きすぎたのだ。
戦場にでも行って食べ物がなくなって飢えたとき、
目をつぶって食べるのかなぁ・・・。
食べ物がない状態であれば貴重なたんぱく源だ。
それにしても三ツ星レストランで、
お皿に乗った蝸牛料理が目の前に出てきたら・・・。
見栄を張って食べるのかなぁ・・・。
なんだか微妙な気分になりますな。





象さんのアップリケつけ遠花火


象さんのアップリケと言えば、
ま、アップリケとは言えないと思うが、
オームシスターズを思い出しますね。
頭に象さんの被り物をして、
選挙カーの上から叫んでいた。
全員落選したわけだが、
そこからオーム真理教の狂気が始まったらしい。
7人の死刑が執行されたとニュースで言っていた。
動物園で見る象さんはおっとりしていて、
なんだかやさしそうだ。
しかし、アフリカの大地にいる象さんは、
ひとたび怒るとすべてをなぎ倒す力を発揮するらしい。
オーム真理教にぴったりって気もしないでもない。
今は名前を変えているらしい・・・。
象さんギターというのもかつてあった。
象さんの鼻がネックになっていて、
胴体がギターのボディーというわけだ。
結構人気があった。
今はあまり話も聞かないからすたれたのかな。
アップリケという言葉には、
深い意味を感じるのが昭和の人間。
岡林信康ののチューリップのアップリケ。
これはこの時代を担った歌なのです。
昭和にとってアップリケといえばこの歌が出てきてしまう。
チューリップのアップリケを付けて遠く花火を眺める。
象さんのアップリケを付けて遠く花火を眺める。
今の時代ではそれがどうしたということしかないのだが、
昭和の人間には真っ二つな意味になるのです。
アップリケという単語にも時代によって、
もってる意味が違うというのは面白い現象だ。





父の日や天地無用の荷をほどく


父の日ってあったんですな。
我が家では死語になっている。
誰も口に出さない。
口に出すと何かしなきゃいけないということが出てきて、
めんどい+金がかかるというところだろう。
父親の鼎の重さなんてそんなところに落ち着くのかな。
母の日はなぜか結構盛大になるのだが・・・。
男は消耗品という名言を吐いたお方がいたが、
なんだか結構、的を射てるんじゃないかなと思う。
終着駅が近いというになんだかネガティブでいけない。
老人のひがみと言われないうちに、
この説は引っ込めないといけない。
父の日に荷をほどく・・・。
なんか贈り物が来たというところに、
イメージを引っ張りたいんだろうか・・・。
父の日・・・荷物・・・。
そだねぇ・・・と思わず言ってみたくなる。
前期高齢者が「そだねぇ・・・」といっても可愛くはない。
まあ、荷物がプレゼントに結び付けさせる、
という隠し意味になんだかニヤリとするね。
娘さんもオヤジの痛いところを、
熟知してるということだろうか・・・。
荷をほどいたところで句が終わってるので、
中身は想像するしかない。
この想像するtころが人によってさまざまになる。
天地無用の荷をプレゼントと結び付けて、
だらだら書くこと自体、
父の日文化を持たないこちらとしては、
喜ばしい中身とは言えない。
言ったとしてもお世辞だ・・・。
この微妙な雰囲気の天地無用の荷を、
じっと眺めてみよう。
ほんわかした空気感が漂ってきそうだ(^^♪





夏土曜ランニング着て昭和風

ランニングなんて言葉がまだあるんですな。
スポーツ系の部活ではいまだ健在なる言葉なのかな。
普段では全く聞かなくなった名詞だ。
昭和のおじさんたちは、
夏になると縁側に蚊取り線香を置き、
団扇でパタパタしながら風鈴の音を聞く。
垣根越しに知り合いのおじさんが通ると、
とりあえず愛想のいい言葉を投げかける。
相手のおじさんが特に用事がなければ、
そこからおしゃべりが始まる。
昭和のおじさんの会話というのはだいたい意味はない。
でも時々大声の笑い声が聞こえたりする。
ほとんどなんで笑うのか分からない。
ランニングに短パンという格好が、
こういう時に通りかかるおじさんのスタイル。
頭は少し禿げててデンスケ調。
お腹はビール腹で出っ張っている。
とにかく笑うときの声がでかい。
子供にはなんだかやたらうるさい。
ふうてんのとらさんの、
印刷工場の社長って感じかな。
ランニングにうちわがぴったりじゃないかな。
どう見ても平成のおじさんという感じはしない。
平成のおじさんというのはどうもあか抜けてていけない。
夏の風情がもう一つなのだ。
蚊取り線香が似合わない。
ま、ランニングなんてまず着てないよ。
団扇も似合わないし・・・。
桂歌丸が死にましたな。
笑点に出たころは昭和真っただ中だった。
答えが早くてすごく切れるという感じだった。
昭和の落語家だった・・・。
昭和はますます遠くなりにけり・・・ですな。





炎昼や間延びしている心電図

心電図と言えばなんだかドキッとする。
今のところ大きな自覚症状はないが、
どこかにチョビッとした不安を抱えてる。
これは自分だけの事でもなく、
ちょいと聞いてみると、
意外にもそんなことを考えてる人がいる。
まあ、生まれてこの方半世紀を超えて、
動き続けてる心臓という臓器はやはり凄い!!
そこのけそこのけ心臓が通ると言えば、
しっかりと頭を垂れて通るのを待つという心境。
安倍晋三のシンゾウじゃないですよ・・・。
100歳を超えて齢を重ねている心臓ってどんなだろう。
心臓の寿命というのはどう決められてるのだろう。
いろいろ考えてみると不思議な臓器ですよね。
NHKの日曜特集でもやったかどうか・・・。
若い人と老人では動きに差があるのかな。
まあ、それは当然あるのだろう。
使い古しの心臓の細胞と、
若い人の心臓の細胞が同じとは思えない。
でも、きちんと動き続けてるんですよね。
楽器を抱えて舞台に出るとなぜドキドキするのだろう。
脳みその回路に反応するんでしょうな。
炎昼という猛暑の昼下がり、
ドテ~~~ッとした気分で心電図をとると、
いやに心臓もリラックスしていて、
一回一回がのんびり血液を送り出してるんだろうな。
心臓君の休憩Timeなのかも・・・。
心臓君もこちらの気分次第で休憩してるんだ。
人間気分転換に旅行でもということがありますが、
これは心臓君の休憩を意味してるんですな。
要するに心臓君の休憩してくれという声にこたえて、
旅行でもなんだろう。
人間の行動というのは、
意外と心臓君の要望に応えて、
動いてるのかもしれないですね。





主催者吟


梅雨明けるいや戻り来て最後っ屁

塩撒かれナメクジ消える術使う

梅雨晴れ間奥さんたちの声高し

梅雨晴れの立ち話犬居眠りぬ

アジサイのパッと早咲きパッと枯れ




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