渡辺さんの俳句傑作選


2018年 7月の俳句


フレンチをちょっとはずんで巴里祭

巴里祭と聞くとフランスの革命記念日ということになる。
現在の共和国誕生の記念日ということになる。
しかし、それよりルネ・クレール監督の映画のほうが、
身近という人も多いのかも。
日本には民衆によるの革命というのはないわけだから、
フランスの人ほどの革命記念日という感慨もない。
その分映画の方が身近に感じるんですね。
日本の独立なんて言っても、
右と左の人が騒ぐだけで、
ほぼ一般人は無関心。
野菜の値段の方が気になるって感じ。
ただ巴里祭なんて言うとなんだか語呂はいいんですね。
やはりセンスの国フランスならではって気がします。
単純に独立記念日なんて言わないところが、
洒落てるわけです。
意味を知らないと、
ほんとに巴里の単なるお祭りって解釈してもおかしくない。
フレンチをちょっと弾んでという中七のこの語を読むと、
独立記念日の雰囲気はないですよね。
小粋に彼女とミシュランレストランで、
ワイン片手に粋なおしゃべりって感じでかな。
こういうところが、
フランスの独立記念日の懐の深さと言えなくもない。
日本だと右の街宣車が走り回ったりして、
どうにも粋な雰囲気はない。
どう見ても粋にちょっと弾んで天丼なんてところかな。
この発想自体がいかんね。
若い連中からは嫌われそう・・・。
ちょっと弾んでフレンチというと、
いきなり値段が1.5倍くらいになるんですよね。
フレンチの「ちょっと」は結構高くつくんですよ。





遠距離をラインが埋める星祭


最近はスマフォのラインが大流行り。
自分はなんといってもいまだガラ携帯。
ラインのことは何もわからないわkですが。
使っている人の話を聞くと、
便利ではあるけど危険な面もあるらしい。
使ってないから何とも言えないところが忸怩たるところですが、
遠距離恋愛と言えばどこかに演歌の匂いがあって、
なかなか雰囲気のある言葉だった。
遠方に離れている彼女、彼氏をつなぐ唯一の手段は手紙。
そういう時代に青春を送った者と、
北海道と鹿児島くらい離れていても、
リアルタイムで連絡を取り合える青春の今。
ロマンの出所がもうすでに違っているんですね。
戦後の大ヒットドラマ、
菊田和夫の「君の名は」の世界感はもうないですね。
今はラインがあるからすれ違いなんて起きないですからね。
直近の「君の名は」の大ヒットは、
やはり現代のロマンなんですね。
ライン一つで時代のずれはあっという間に広がりますね。
星まつりというのは七夕の別称なんですね。
一年に一度、ひこ星とおりひめ星が天の川を渡って対面する。
一年で一度だけ許されてるんですね。
今の時代どうにもピンと来ない話なんですが、
手紙世代にはなんとも言えないロマンを感じるんですね。
ライン世代となると、
まずこういうことは理解できなないんですね、
ラインを交換して、
毎日話せばいいんだよってなりそう。
ここに演歌の世界観というのは微塵もないね。
日本人の感性が大きく変わるのは、
こういうところからなんですね。
こういうところを寂しいと感じる世代に属してるわけですね。





黒揚羽来てエンディングノート記す


エンディングノートなんて出てくると、
いよいよか・・・ってな気持ちになりますね。
自分の終活の総括として書き綴っていくのがエンディングノート。
文具のコクヨあたりからは、
だいぶ書きやすいようになったノートが販売されてるようだ。
1000円を超えるものもあるらしい。
100均でも売ってはいる。
それにしても自分のエンディングノートが100均となると、
なんだかいまいち寂しい・・・気もする。
黒揚羽を最近見たことがあり、
飛んでる姿を写真に撮って、
これが意外なくらいしっかり写っていた。
これでもううれしくなってしまった。
黒揚羽は真っ黒な姿をしてるから、
なんだか自分の終活を感じさせるものがあるのかもしれない。
そこに思いが至らなかった自分の底の浅さに、
ちょっと驚きはするのですが、
激しく羽をばたつかせて飛ぶ黒揚羽はなかなかですよ。
蝶としてはかなり大型なので迫力があるんですね。
それをきっちり写真に収めることができたから、
もう気分はかっ飛んでしまって、
黒だから喪服のイメージも吹っ飛んでしまった。
自分の中にエンディングノートというイメージがないことも原因だと思う。
そもそも持ってるものが何もないから、
書くこともないっていうのがあるかもしれない。
黒揚羽の飛んでる写真をどうするかなんて、
誰も関心がなさそうだし・・・。
エンディングノートに書くことがいっぱいある人って、
素直にすごいなって思うのです。





兜虫机の中は貝の海

この句を読んで、はたと思考回路が止まった。
カブト虫と貝がどうも結びつかないのだ。
机の中は貝の海ってことは、
机の引き出しを引いて開けたら、
いきなり海辺が広がって、
そこにつながっていく・・・。
ドラえもんのどこでもドアのように、
机から海の浜辺へ到着。
貝がいっぱい散らばってる浜辺のようだ。
しかし、この句の上五には兜虫が出ている。
兜虫が貝の隙間をぬって歩いてるわけでもないだろう。
なかなか難解な句ではあります。
哲学的なにおいも漂ってきます。
こうなってくると思考回路の多寡が試されるんですね。
机の中の貝の海というのは実は、
作者の深層心理の中に、
海辺に対するいいイメージがあるのではないかと思う。
机の引き出しというのはいろんなものが入ってるんですね。
何十年前に買ったキーホルダーなんかが平気で出てくる。
そういう意味ではだれも犯すこのできない、
自分だけの領地なんですね。
ほかの人が見ても分からんとも多い、
ということもありますが、
ま、とにかく自分だけの世界が広がっている、
神聖な場所でもあるんです。
机の引き出しの中というのは、
自分が童心に帰れる場所でもあるのかな。
兜虫で幼き日、貝の海で青春の日。
そう考えるとけっこういいね・・・この句。





パターゴルフ冷ややかに見る蝸牛

中高年の皆さんは皆さんゴルフを楽しんでますね。
仕事をリタイアした後もゴルフは、
定期的に同好の士と集まってやってるようです。
まあ、スコアがどうしたこうしたはよく聞きますが、
そもそもゴルフをしない自分には、
まず何言ってるのか皆目わからない。
それでも耳学問というのか、
折に触れていろいろ聞いてるうちに、
それとなくわかるようになるもんですね。
小さい球を打つスポーツというのは目が悪いせいか、
どうも苦手なんですね。
ボールの大きいサッカーとか、
バスケットボールはまだましなんです。
だからと言って体育の授業レベルですが・・・。
好きな人は自宅の庭に、
パターゴルフのを練習するスペースを作ったりしている。
この場合けっこうな大邸宅っていうことでしょうけど・・・。
普通はパターゴルフお練習場に通って練習するらしい。
らしいというのは、自分がやったことがないから、
分からないということです。
けっこうな距離から、
小さな穴ぼこにボールを入れるのだから、
かなりの精神統一が必要そうです。
そういうことが仕事をリタイアした後の脳みそに、
いい影響を与えるようですね。
小さいボールを長い棒で打って、
小さい穴ぼこに入れるんだから凄いことですよね。
この練習を蝸牛が冷ややかに見てるというのは、
蝸牛から見るとそんな細かいことをやるのは辞めたら、
ということなのかな・・・。
蝸牛というのはおおよそ、
そういう細かいことに向いてるとは思えないから、
つまらないことのように見えて不思議はない。
蝸牛の世界感とは、
おおよそかけ離れた世界って気がしますよね。
冷ややかに見てるのはここでは蝸牛。
しかし、見方をけえると、
ぼそっと葉っぱにくっついてるだけの蝸牛を、
冷ややかに見てるのは・・・(^^♪





主催者吟


災害も暑さもお初と落ちる蝉

猛暑でも旅のパンフを妻集め

冷房が街のオアシス時代かな

かき氷毎年増えて増え続け

猛暑夜寝たり起きたり多忙なり




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