渡辺さんの俳句傑作選
2019年 1月の俳句
去年今年絵文字で返すメールかな
いよいよ2019年が始まって一か月。
正月があっという間に過ぎて、
早いなと言ってるうちに一月も過ぎて、
いやはやと言ってるうちに2月も過ぎるわけです。
それにしても今やメールで会話が普通になってしまっている昨今。
メールは便利という概念が定着してしまっている。
しかし、これはかなり危険な状態だと思うわけです。
メールというのは、
文字の並びで気持ちを伝えようとする、
いわゆるツールですよね。
実は文字だけで何かを伝えるというのは、
非常に狭い範囲なんですね。
要件をパッと伝えるには便利。
しかし、感情を伝えようとすると、
かなり危険度が上がるんですね。
例えば「アイラブユー」と送信する。
受け手が男でも女でも、
そのメールの言葉が送り手の感情の深さまでは、
伝えないということですよね。
面と向かって同じ言葉を発すれば、
発したその人との空気感、表情、言葉のニュアンス、
その言葉の本質を判断するのに、
いくつものツールがあるんですね。
そこからできるだけ正確に発した人の、
その言葉の本質を推し量ることができるわけです。
メールの文字だけではほぼまったくわからないということですね。
見込み違いというのが起こりやすくなるわけですね。
それを補う役目が絵文字。
表情のある絵文字を添付することで、
その文章の意味を補おうというわけです。
最近絵文字の数が飛躍的に増えた気がする。
ということはそれだけ文字だけのメールは、
危険度が増してるということかもしれない。
メール社会は便利と思える以上に、
危険度も高いと言えるのかもしれない。
昭和世代はメールだけではなんか不安を感じるというのは、
単純に古い感覚なのかなぁ・・・。
人日やじっくり向かう進化論
1月7日までは正月なのかな。
七草がゆを食べる日。
病気をしないように願掛けの意味がある。
しかし、七草がゆを食べたすぐ後にインフルエンザにかかっている。
今は病気の種類も状態も深化してるから、
七草がゆだけでは対処しきれないのかもしれない。
しかし、昔からの風習というのはいまだに続いてるんですね。
この風習も平成生まれの人から、
だんだん消えていきそうな感じ・・・。
この風習が起こったころは、
もっと単純な病気でコロッと人が死んだんだろうなぁ・・・。
人間は今の人間のスタイルになって頑丈になったのか?
いや、実は人類創成期から、
大して強くはなってないのではないか。
病気が新しく発生するたびに、
それに対する薬を作り出して、
なんとか生き延びてきたのが人間って気がする。
人間自体の強さはたいして進化してないということかな。
昔の人は薬というものが、
まだ病気に追い付いていないせいで、
七草がゆのような病魔が避けていってくれることを祈る、
風習を作り出したんだと思う。
しかし、薬が大進歩した現在、
こういう風習というものの価値は、
相対的にダウンしてしまってきている。
薬でなんとかなるという、
人間の確信めいた思い込みがあるからだと思われる。
しかし、冷静に見てみると、
薬でなんとかなる以上に、
どうにもならない病気の方が増えてしまってる気がする。
人類創成期から続く人間と病気との戦い。
人間が買ってきているというのは幻想であって、
実はちっとも勝ってはきていないのではないか・・・。
薬でなんとかなる病気って実はほんとに軽いものであって、
命にかかわる病気というのはほとんど克服できてはいない。
七草がゆの生まれた時代と、
さほど変わってはいないのだと思う
知らぬうち人傷つける冬の雲
知らないうちに人を傷つけてしまう。
特に珍しいことでもなく、
日常しょっちゅうという気がしないでもない。
今いろんな人とのかかわりが増大してきている時代。
袖すり合うも多少の縁の時代から、
袖をすりあわなくてもなんだか縁が生まれてしまう時代。
もしかしたら人間の理解できる許容範囲を超えて、
人とのかかわりができてしまう現代。
相手を傷つけるかどうかさえ、
たいして気にもしてられない多様な人間関係の時代。
知らぬうちと気づけばまだオッケーで、
なにも気づかないことも多いというか、
そちらの方が多いのかも・・・。
もしかして、知らないうちに傷つけてしまうことを気にし過ぎると、
神経的に不具合を引き起こしそうな時代だ。
冬の雲というのは、
なんだかくっきりピンと張りつめたような感じがする。
そう感じるのは冷たい空気感のせいかもしれない。
春のホンワカ空気感だと、
同じ雲でもなんか癒されるじゃないですか・・・。
人を傷つけたかなと思っても、
春の雲は、まあいいやって気分にしてくれるが、
冬の雲はそんな甘い雰囲気はないね。
なんだかやばいみたいな気分にさせる。
空気感というのは、
人間のちょっとしたそういう感情も左右するんですな。
あ、傷つけられた・・・と、思っても、
今の現状では回復力も違うんですね。
ということは、あ!、傷つけた、と思う方も、
それほど気にすることもないということか。
まあ、予期につけ悪くにつけ、
今の人間には結構そういうことに対して、
耐性ができてるってことかな。
ま、平たく言ってしまうと、
現代はいちいち気にしていられないって一言が、
生きてくるんですな。
湯豆腐や愚痴は言わぬと決めてみる
愚痴というのは人間生まれてこの方、
しっかり身につけてくるものですね。
愚痴というのはどういうときに出てくるのか、
だいたい自分が弱い立場に置かれたときに出てくるのかな。
それいけどんどんの勢いのある時は、
まあ、出てこないものですな。
ただ、この愚痴というのはどうも個人的なものだけに、
聞かされる方はどうも我慢できない事が多い。
ほんとに親しい間柄でもないというのもはばかれるし、
聞かされる方も一日気分は晴れないものになってしまう。
下手をすると一日もやもやした気分になって、
その貴重な一日をつぶされてしまかもしれない。
だいたい愚痴というのは言った方は気分がすっきりして、
吐かれた方はなんだか気分が重くなるんですな。
要するに重い気分を第三者に丸投げする状態が、
愚痴を吐くという状況なんですな。
なんだか重い気分を丸投げされた方はたまらんという感じ・・・。
しかし、この愚痴というのは無くなることはないんです。
人間が気分のコントロールということが、
必要な動物である限り無くならない。
冬の寒さの厳しい夜は、
湯豆腐がほんと美味しい。
熱々の湯豆腐は気分をほっこりさせてくれますね。
しかし、この湯豆腐、
熱々すぎても、ぬるすぎてもいけないものなのです。
どちらに転んでも愚痴が出てくるのです。
まあ、人間というのは愚痴とともに生きてる動物なんですな。
愚痴のごみ箱があったとすると、
魔の地球温暖化の原因かもしれない。
愚痴が地球を覆ってしまって、
そのために自然が破壊されてしまった。
これは妄想かどうか・・・。
どうなんだろう・・・。
築地には築地の匂い冬ぬくし
築地市場がついに終わりましたね。
自分が生まれてこのかた、
築地というのは食の大元みたいに思ってきた。
けっこうテレビを見はじめtころから、
築地って画面に出てきてたと思う。
いよいよ閉鎖となるとその郷愁というのは大きなものになる。
まあ、老朽化という現実がある限り、
移転は仕方ないのかもしれない。
都知事は食のテーマパーク化ということも言っていましたが、
結局、取り壊しですね。
まあ、そんなものはありえないと思っていたので、
普通になったということ・・・。
豊洲市場。
築地市場。
二つの呼び名を比べてみると、
築地という名前はなんだか江戸時代からの雰囲気がある。
豊洲と聞いてもそんな雰囲気はない。
だから古い人間ほど築地ということにこだわるんだと思う。
確かに名前自体になんだか郷愁があるのが築地。
築地と聞くとなんだかおいしそうなイメージが湧いてくる。
取れたての魚で寿司なんてのも、
なんか築地に似合う感じ・・・。
豊洲と聞いてもあまりそういう感覚は湧いてこない。
新しいからというのもあるのかな。
豊洲もこれから幾星霜年月が経つと、
豊洲の新鮮な魚なんてのもイメージに湧くようになるのかな。
それにしても、築地という名前に染みついたイメージというのは、
そう簡単に消えそうにない・・・。
特に昭和の人間にはその思いが強いね。
今はまだ昭和の人間が多いから、
築地というその持っている雰囲気はなかなか消えない。
代替わりして平成生まれが大多数をしめるようになると、
築地というと歴史上の名前になっていくんだろうな。
まあ、二条城みたいなもんですな。
昭和生まれが故老と言われるようになると、
昭和の古地図にその名前が残っているということになるんだろうな。
時代の流れというのはそういうもんなんだろうな・・・。
主催者吟
雪女氷の人魚とにらみ合い
うたたねを覚ます初湯のしずくかな
古酒場シャッター街の冬の駅
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