渡辺さんの俳句傑作選


2019年 3月の俳句


木の芽時日曜画家の筆運び

3月もあっ!という間に目の前を過ぎていった。
前回3月に突入と書いたのがなんだか空々しい・・・。
なんだかわからないうちに3月終了。
卒業式の帰りのはかま姿の女学生。
いいなぁ・・・と、なんとなく郷愁を呼ぶ。
いかにも歳取ったという合図みたいなもんですな。
これがアップされる頃には新元号が発表されている。
明治は遠くなりにけりなんて、
親が言っていたのが、いまの自分は・・・。
昭和は遠くなりにけりなんだな・・・。
日曜画家と言って直近で思い出すのが、
NHKの朝ドラに出てくる、
主人公の奥さんの姉の旦那。
これが画家の役で出てるんですな。
最初はそれらしいもっともな絵を描いていたのだが、
戦争から帰ってきて画風ががらりと変わり、
なんとモデルが登場するようになってまたまた変わっていく。
ドラマーの「ほないこか」が女優デビューということで出てきたり、
極め付きは壇蜜がモデルで登場して、
なんだかんだ画家を手玉に取るというか、
踊ったりしながら画風を180度転換させてしまう。
壇蜜がやるからなんか笑える。
モデルの壇蜜が去っても、
画家の筆のテンションは上がりっぱなし。
壇蜜くらいの妖艶な雰囲気が画面から駄々洩れしてきた。
画家のやたら筆致が変わるのも面白い。
見ていて笑える(#^.^#)
壇蜜が出ている間、
朝ドラの主人公を食ってしまった感があった。
壇蜜が画面から去った途端、
なんだか画面が静かになってしまった感じだった。
画家の方はまったく違った絵柄になって、
すいすい筆が進んでいく。
なんというか強烈な印象を受けると、
画家の筆運びって変わるんじゃないかな。
日曜画家も芸術家だから、
刺激が必要ということだろう。
なかなか勉強になる朝ドラだった。





花曇り咳払いして照れ隠す


花曇り。
いかにも春の空気感ですな。
うすら寒いような温かいようなはっきりしない空気感。
とにかく強烈な花粉症に襲われる時期だ。
咳払いをすると鼻水が飛び散る。
照れを隠してる場合じゃないのが自分。
美しい女の方と話ができてる時でも、
鼻水が垂れてこないか気が気ではない。
花粉症の鼻水は仁義無用。
なんの前触れもなくタラリと垂れてくる。
無感覚のうちに落ちてくるのだ。
この恐ろしさは何にも代えがたい。
女の方と話してる時にタラリとくれば、
手のひらで受けるしかない。
ティッシューを出してる暇はないのだ。
目の前でこれの現象が起きることを考えると、
なんとも恐ろしい。
怖い夢を見てうなされることはよくあるが、
夢なら覚めて終わりだ。
現実に目の前に女の方がいるところで鼻水が・・・。
これは夢じゃないから覚めないですからね。
咳払いをしてごまかす・・・。
いやいや、咳払いをした後の鼻水の飛散のしかたを考えると、
咳払いも喉のところまでで急ブレーキですよ。
4月になれば、花粉から逃れることはできるのか・・・。
新元号になって花粉の勢いは衰えるのか、
それが問題だ・・・。





花冷えの駄目出しされるパスモかな


寒いですねぇ!!
花見のシーズン到来と同時に冬の寒さが舞い戻ってきた。
寒くても桜はしっかり咲いてるから花見に繰り出す。
シニア花見でもあればとりあえず喜んで出るのですが、
帰ってきたと同時に鼻水。
花粉症かと思うが、
喉もひりひりするから風邪ということになる。
花見で風邪ひくというのは、
それなりにいいことなのかな・・・。
たんにむこうみずということだけかもしれない。
冬の寒さの中夜桜を愛でる必要性があるのかと、
周囲の冷たい目線だけが前から後ろからだ。
消費税が10%になって、
カードで買い物すれば5パーセント還元って言ってるが、
その筋に詳しくないからどのカードのことを言ってるのかわからない。
なんだかわからないという年配の部族もいるんじゃないかな。
ある程度の歳の人ってカードで買い物なんてしないと思う。
回りにいる年寄りでカードで買い物をする人っていない。
元気すっぱり支払いだ。
カードで買い物をするのは預貯金がしっかりある層だ。
乏しい年金暮らしがカードで買い物なんてしないって。
それこそ怖くてカードでなんか買い物はできない。
常に残る預金を気にしてないといけない。
それだけでくたびれそうだ。
持ってる層はそんなことは気にしなくていいから、
5パーセント還元はどんどんついてくる。
消費税が上がって格差はいよいよ開きそうだ。
政府はそこが狙いなんだろうな。
選挙に行く層が潤えばオーケーということだ。
無い層は選挙に行く間も惜しんで働いてるから、
票にならんのですよ。
こまごまよく考えてるもんだなと思う。
そういえばパスモで買い物をすると還元ってあるのかな・・・。
こういうことを言ってるようじゃ、
格差の下の方に位置することになるわけね(*ノωノ)





修復で拝観中止花あしび

「令和」これなに?
そういうことを言ってはいけません。
これこそ新しい元号なのです。
日本全国津々浦々知らない人はいないか・・・。
平成は終わるのです。
そう思うとなにがしかの郷愁というのがあるんですね。
気が付けばって気が付かなくても、
平成も30年が過ぎ去っているんですね。
小渕幹事長の「平成」という言葉を聞いて、
なんだか引っ掛かりがないなと感じたあの日。
今回「令和」という言葉が菅幹事長から出た。
引っ掛かりがあった。
人の名前みたいだ・・・。
鈴木令和とかね。
万葉集から出てきたらしい。
中学生のころポケット万葉集なるものを買って、
分からないながらも読んだのが懐かしい。
身近な万葉集から出たというのに親しみがある。
万葉集の原本って今も存在するのかな。
写本が残ってるくらいだと思うが、
まあ、あるんだろうね。
こういう歴史的なものって、
修復に次ぐ修復がなされてるんですよね。
原形をなんとかとどめてるのは、
この修復のおかげと言えるんだろうけど、
なにが書いてあるかはほぼ分からない。
分かるのは学者さんだけですね。
まあ我々にとっては見ても見なくても同じものなんですね。
ただ想像を絶する昔の人たちが、
今の我々とほぼ同じ感情を持っていたというのが分かる。
万葉集も言ってみればタイムマシンなんですね。
1000年経っても人はさして変わらないという、
そういうことをよく教えてくれる。
タイムマシンに乗って実際にその時代に行かなくても、
その時代の人間を教えてくれる。
優秀なタイムマシンなんですね。
修復する人の技術って、
実はITの技術者以上の技術があるんじゃないかな。
AIにしてもどんなに進歩しても、
なにも修復はできないでしょうね。
要するにタイムマシンを修復する技術は、
人間にしかないということですね。
書きながら「令和」を見ているこの時間・・・。
「令和」のどこまで生きていられるか・・・だね。





小説を飛ばし読みして桜餅

歳とともに後退していくのが、
気力と視力・・・。
プラス体力。
体力はウォーキングなどで多少支えることはできる。
気力と視力はなかなか難しい。
だんだん枯れてくるのを実感するのです。
本を読むというのは基本的には、
それほど嫌になることでもない。
しかし、若い時のように電車に乗ると、
本を読むというのが結構つらくなる。
歳が若い時は、電車読書も行き帰り変わりなく読み続ける。
下手をすると電車読書で一冊読了なんてこともある。
ま、集中力と気力が切れないということだ。
しかし、それもだんだん後退していくもんなんですね。
今や行きは読んでも帰りは休憩ってなことがほとんど・・・。
読む本のジャンルも小説というのはほとんど無くなっていて、
なんだかドキュメント類が増えてくる。
老後のなんたらかんたらは、自分に直結してる気がするから、
それでもとりあえず熱心に読むんですな。
小説のようにテーマが重いとなんだか避けて通りたくなる。
小説になるような事柄を考えるのが面倒になるのだ。
エロ小説なるものも今や気力もないから、
見向きもしない・・・。
平成はそれでも投資とかなんとか出来ないのに読んだりもした。
令和の時代に入ったらお墓のノウハウとか、
賢い相続なんて本がなんだか気になってくる。
相続が問題になるほどの財産はないなとため息・・・。
読もうという本がないのか読む気力がないのか。
小説を読めと言われたら、
間違いなく拾い読み。
この俳句に書かれてるように拾い読み。
まあ、なんとなく言いたいことが分かればオーケー。
深読みはしない。
深読みしても語る相手がいない。
拾い読みしてかいつまんで内容を言えればいいのです。
ここまで書いてくると、
いやに軽くなった自分がいるのに驚く・・・。
実はあまり驚いてないんですけどね・・・('◇')ゞ




主催者吟


探し出し万葉集を愛でる春

寒き風桜も忘れ縄のれん

米軍機すれすれ飛んで桜散る

モーツァルト花蜜つつくメジロかな

春霞こもるギターの憂鬱かな




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