渡辺さんの俳句傑作選


2019年 5月の俳句


終活に頓挫しており夏帽子

昭和の前期生まれ。
昭和はやたら長かったから、
初期、中期、後期で気質がだいぶ違う。
平成の倍あったわけだから、
その時々に生きた人間の気質には当然違いがある。
前期生まれというと両親がだいたい戦前生まれだから、
教育の仕方がまず違う。
いたずらしたりいううことを聞かなかったりすると、
まず鉄拳が飛んでくる。
その痛さにもめげずまた同じようなことをやらかす。
ほんとに小さいうちはまともにまた鉄拳を浴びる。
少し長じてくると、
そうそう鉄拳を浴びるわけにもいかないから、
絡めてからうまく逃げ道を作っておく。
最初は結構逃げるのに成功するのだが、
そのうち読まれてまた鉄拳を浴びる。
そんなこんな馬鹿しあいで、
世の中のことも覚えていった気がする。
けっこう柔軟性に富んでいったと思う。
それで大人になっていったんですね。
今の時代の引きこもりなんてほぼ聞いたことはなかった。
子供のころからいろんなことをかいくぐって大きくなったから、
まずたくましかった。
近所のおじさんたちも怖いのなんのって、
軍隊帰りが多かったからまともに怒鳴られた。
まあ、たくましくなったですよ。
中期、後期になるとだいぶ様子が違ってきた。
新人類の時代になったんですね。
前期には理解できない人類が出現ですよ。
令和になってさらに混沌とした感じ・・・。
昭和前期人間は、菅さんの令和の声を聞いた途端
墓をどうするかなという発想に飛ぶ。
今の天皇陛下の年齢を考えると、
令和をフルに生き抜くのは無理だ。
まあ、終活も視野に入れないといけない。
終活というのはまずなんだかんだと捨てていくことだ。
なんだか一つ手に取ると気が重くなる・・・。
ものを処分するたびに、
自分の棺桶への時間を短くしていくような気がするんですよね。
なんだか寂しくなるんです。
なんとなくいじいじっとした気分になるんですよ。
まあ、ゆっくりやればいいじゃないかと、
自分に言って気分を慰めるわけだけど、
そう遠くはないんだよな・・・(/ω\)





諍いをやんわり治め冷そうめん


この年で諍いなんて言葉が当てはまるとしたら、
まず身近なところでは奥さんとの意見の違い。
もうご近所との諍いを起こすほどの元気もないわけですよ。
ご近所とちょっと摩擦が起きそうになると、
思わずねこなで声を出して丸く収めようとする。
若いころの勇ましさというのはないですね。
冷そうめんなんてつるつるっとして、
引っ掛かりがまるでないですよね。
この引っ掛かりのなさがいいんですね。
なんだか安心するんですよ。
ここまでくると喉に引っ掛かりのあるような食べ物は、
遠慮がちになるんです。
子供のころは魚の骨をよく喉に引っ掛けて、
大騒ぎしてご飯を少し丸呑みしたりして、
骨を外しにかかったもんですが、
そんなのもなんだか鬱陶しい・・・。
魚の骨との諍いも極力避けたいのです。
骨のない鯖缶なんて最高ですね。
食べててなんだかうれしくなるからね。
若いころは諍いにも果敢に立ち向かって、
あげく怪我をしたりして後が大変になったり、
酷いことになると仕事を辞める羽目になったり、
若いとそれでも勇ましいんですな。
果敢に次の仕事にチャレンジしていく。
昭和が遠くなった自分の世代は、
もう次にチャレンジしていく気力はないですね。
そんなことにならないように、
ひたすら丸く収めることに平身低頭・・・。
丸く収まった後での冷そうめん。
このつるつるの感触がたまらないんです。
なんとも言えない安ど感。
引っ掛かりもなく喉越しを通過するそうめんの感触。
ホッとしますよねぇ・・・。
令和になって今日も無事でよかった感が強まってくると、
もうそうめんの喉越しがうれしいのです。
なんだかしらないけど「よかったぁ・・・」と思うんですね。
令和をそうめんで楽しむ会もなんかよさそうですな( ^^) _旦~~





信長がサングラスする夢を見る


歴史上の人物にはいろいろ変わった人がいますね。
もっとも普通の人だったら、
歴史上に名を残すなんてこともないのかも。
縄文時代とか弥生時代に文字があって、
それを残す技術があったら面白いだろうなって思います。
そういう時代にも突出した人間っていたと思うので、
それがはっきりわからないところはかなり残念ですね。
記録が残せるようになってからの人っていうのは、
もちろん分かるわけで、
もう結構出尽くし感があるのかもしれない。
令和になって万葉集関連で、
大伴旅人が一躍脚光を浴びてますが、
歴史的人物とは言い難く、
もうしばらくたつと消える運命かな。
織田信奈が暗い時代が下がってくると、
それほどはるか遠い昔という感じはなくて、
感覚としてとらえられる範囲なんですね。
その中でもその行動といい最後といい、
なんともスター性がありますよね。
実際信長の家来として無事でいるにはかなりの大変さがあって、
自分はなりたくないですな。
こういう革命的な人物の最後もそれらしい最後ですよね。
裏切りの果ての最後。
炎の中に消えて骨も出てこない。
忽然と表れて忽然と消えた革命児。
大河ドラマでのアイドル的存在ですよ。
この信長を中心とした大河ドラマは、
確実に視聴率がとれるという話ですから、
手を変え品を変え登場させるんですね。
最近本能寺の変の黒幕が、
実は秀吉だったなんて説も出ているようです。
これもひねった話として大河ドラマになってもおかしくないですよ。
あらゆる角度から面白おかしく演出できるのが信長のいいところ。
役者も一度信長役をやるとなかなかそれが抜けないと言います。
それだけ強烈な個性なんですね。
信長が夢に出てくるだけでもすごいのに、
サングラスをかけてる夢とは・・・。
こういう夢が何を暗示してるのか。
夢占いに占ってもらうと楽しいかもしれない。
どんなことが出てくるのか想像できない。
自分のように小粒の極致たる人間がこういう夢を見るとなると、
家庭内を平定した挙句、
打ち首獄門っていうシナリオをになりそう・・・。
見る夢も気を付けないととんでもないかも・・・。





パソコンで試着してみる

世の中いよいよパソコン時代。
いやスマホ時代。
パソコンなんて言ってるのはひとつ前の世代。
今やスマホで色々見るのが当たり前の時代。
昭和の人間の服選びというのは、
候補を選んで試着室で着て全身鏡で確認する。
この状態はいまだ健在ではあるみたい。
しかし、令和の時代の主流は、
自分の姿を写真に撮って、
とってそれにひっかえとっかえ服を着せて、
服を着た自分の様子を確認する。
ほとんど無制限に試着できるわけだ。
そこで気に入った服を注文する。
お店に足を運ばなくても買うことができる。
もちろん店に出向いてもいいわけだ。
服の選び方の選択肢は増えるわけだ。
最近近所の本屋が廃業した。
本を買うのもアマゾンなどの登場で、
買い方の選択肢が増えた。
しかし、現実の店舗は消える運命となってしまった。
SNSの仮想店舗の多様性に敗北したかたちだ。
アマゾンなんかだと古本からも選べますからね。

しかもダウンロードしてタブレットで読めてしまう。
それも何冊も読めてしまう・・・。
まあ、便利ですよね。
電車の中でも瞬時に興味を持った本が手元に出せる。
紙の本だと一冊持ったらもう持てない。
利便性でなかなか店舗では太刀打ちできない。
結果閉店に追い込まれてしまう。
しかし、画面の世界というのは単一的で、
広がりはないんですね。
やはり店内に展開される多種多様な本を、
手にしてみるということはできなくなるわけです。
今まで知らなかった世界が、
本の並びの中から広がるということがなくなるんですね。
もしかしたらこれからの人間の幅を、
狭めていくことになるかもしれないですね。
服に関しては少しお店側にもプラス面があって、
記事とか色合いは、
なかなか画面で的確に判断するのは難しい。
やはりこれというときは、
お店に出向かないと満足は得られない。
本は紙の質まで気にはしないですからねぇ・・・。
令和という時代は、
画面の中での生活になっていくかもしれないですね。
昭和のアナログ人間には、
そこはかとなく違和感がある世界になっていきそうですよ・・・。





心太迷った末のお世辞かな

そうめんとか心太ととか、
どうものど越しのいい食べ物が登場してくる。
なんとなく俳句世代の俳句って感じかな。
人間対人間というのは、
いろいろ難しいところがあるわけですよ。
大体見え透いたようなお世辞とかよいしょというのは、
出しどころによらずなんか抵抗があるんですね。
特に見え見えの場面ではなかなか言い切れない。
自分の評価が下がる危険があるからですよ。
しかし、よいしょと見え透いたお世辞で天下を取った男がいる。
かの豊臣秀吉だ。
あの難しい織田信長に取り入って、
最後は天下を取ったわけで、
とんでもない話ではあるんですよ。
しかし、その話の主流は、
見え透いたお世辞、見え透いたよいしょ、
これを連発して上り詰めたといっていいかも・・・。
大体の人間は見え透いたお世辞とかよいしょは、
嫌われる条件の一つになる。
しかし、この男は決定的には嫌われなかった。
客観的に見てれば、
ふざけた男にしか見えなかったと思うのですが、
そこを逆手に取って上っていったんですね。
容姿も150センチそこそこの身長。
顔は猿面冠者と言われる風体。
普通だとマイナスになるところを、
十分活用したということですね。
これが170センチを超えるような偉丈夫で、
ジャニーズばりの面相だったら、
まず天下は取れなかっただろうね。
普通だったら相手にされないような風体を、
最大限活用したというところでしょうな。
迷った末のお世辞は言わないほうが得策かも・・・。
言った途端お世辞の裏側を読まれてる。
言われたほうはニコニコしながら、
言った人間の評価を下のほうに、
格下げしてる可能性が高い。
覆水盆に返らずの典型になりそうですよ。
何事もとぼけ方のトレーニングが大事ってきがしますが・・・。





主催者吟


ギター弾く低音響く梅雨の入り

ピンヒール階下を過ぎて梅雨に入る

通勤を見てると燕梅雨近し

思い出の下宿を訪ね猫の恋

五月晴れ飛行機遠くローマかな




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