渡辺さんの俳句傑作選


2019年 10月の俳句


秋の雷寿限無寿限無を聞く最中

今年の10月は暑かった…天気が悪かった。
晴れたのがなんと2日しかなかったと天気予報で言っていた。
これは気象庁始まって以来のことらしい。
秋晴れの中で運動会なんて、
今は昔の昭和の風物詩となってしまったということか…。
昭和の記録なんていうテレビ番組で出てきそう。
今は運動会も6月が中心ということだ。
秋晴れの下、早朝花火が打ち上がって、
運動会の合図なんてのはないらしい。
母親が作ってくる稲荷寿司の昼食がおいしかった。
ってなことを言うと単純に年寄り扱いってことですな。
ま、年寄ではあるのですが…。
この寿限無寿限無というのは落語のタイトルですよ皆さん。
最近テレビでお笑いの番組でやることもあるから、
結構知ってる人が多いみたい。
最初テレビかなんかで見たときは、
落語のネタではあるんだろうけど、
何が可笑しいのか分らなかった。
テレビの中の聴衆は笑うわけですよ。
でも、こちらにはなんだかよくわからない。
子供の名前を坊さんにつけてもらったら、
こんだけ長くなったということだからさ。
だからどうしてそれが可笑しいのかが分からなかった。
最近になって思うのは、
これはやはり寄席の席に座って聞かないと、
ほんとにはわからないんだろうなってこと。
寄席の席に座ってその場の雰囲気とか、
空気感を肌で感じて聞かないと、
わからりゃしないんだということ…。
もっと言えば、
落語家が舞台の袖から出てくるところから見てないと、
だめなんだってこと。
テレビでなんの関係もない空気感の場所で聞いても、
たいして面白くないんだと思う。
人間の感覚というのは、
肌に触れる空気感に非常に左右される。
楽器の演奏で高い安いを当てる番組がありますが、
アンナのテレビの前で聞いててもわかるはずがない。
自分が当たらないからって、
言い訳をしてるわけではない。
音というのは空気を伝って耳に届くものなのですよ。
テレビで機械化されて聞いてもわかるわけがない。
ものごとテレビでいいと思っちゃいけません。
津京オリンピックもチケットなんて買わないで、
テレビで見ればいいじゃん…、
と言ってるあなた。
実際にそこの空気に触れないとなにもわかりませんよ。





雨月かな高層ビルのワインバー


小雨に煙る高層ビルの最上階のバーでワインをいっぱい。
なんだか初期のユーミンの歌にでも出てきそうな情景だ。
初期のユーミンだから間違えないように…。
大都会東京の夜景を肴にワインの赤での祖を潤す。
この句には夜とは書いてないですが、
やはり小雨とワインという単語が出てくると、
真昼間の夏の暑苦しいさを設定するのは、
あまりといえばあまりだ。
ここはひとつムード歌謡の世界で楽しみたい。
松尾和子とフランク永井のデュエットがいいね。
ムード歌謡の女王と帝王の組み合わせ。
やはりこれがよく合うと思う。
そういうえばワインの本場フランスのワインの原料のブドウが、
気候変動のあおりを受けて、
気温の上昇からうまく実らなくなったと、
テレビのニュースで言っていた。
ブルゴーニュとかいくつか本場のブドウ栽培してる地域がありますが、
そういう地域で栽培してる人が、
次のブドウ栽培の候補地を日本に求めてるんですね。
ニュースでやっていて驚きました。
気候変動はどんどん身近になってきてるんですね。
16歳の環境活動家のグレタさんの言うことを、
SNSのニュースなんかで揶揄してたりするのですが、
なんでも先駆者というのは、
最初は相手にされないもんなんです。
最初に環境問題を書いた、
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が書かれて何年たつかな。
なにも変わってなくてますますひどくなってきた感じ…。
グレタさんが言うところを、
薄ら笑いで見てる連中は、
これからひどくなる地球に、
なにも危機感を持たないんだな。
高層ビルの最上階のバーでワイングラスを傾ける。
こんな情景がこれからの未来で、
どういうふうに語られるのかな…。
フランク永井と松尾和子の空気感はまずないだろうな。
令和の間にどう変わるのか見てみたい気は非常にする。





晩秋やちびた鉛筆立ててみる


ちびた鉛筆で思い出すのは、
円筒形の筒になっているあれ…。
時々文房具屋で見つけるが、
果たして使われてるのかな。
これも昭和の時代の小中高生ぐらいまでは、
間違いなく必要なアイテムだった。
鉛筆の持つところがほんとに短くなっても、
なかなか買ってはもらえなかった。
ほんとに最後の最後まで筒でつないで使い切った。
いまの子供たちにはあまり縁がないかもしれない。
鉛筆自体がかなり安く変えてしまうのと、
親たちがバブルのころの人たちが大勢を占めてるから、
ちびたら買うというメンタルなんだと思う。
我々のころは小さくなった消しゴムを、
継で使うアイテムまであった気がする。
消費税10パーセントになって変わるのかな…。
短くなった鉛筆を机に立てて何となく眺める。
授業がつまらなくなったりすると、
よく手持無沙汰解消という気分でよくやった。
長い鉛筆は立たないし倒れると折れる心配がある。
表面は折れて見えなくても、
中の芯がグズグズに折れてたりするわけですよ。
やはりちびた鉛筆がここでは主役ですよ。
なんだかつまらん授業をちびた鉛筆を眺めることで、
気持ちが癒されたりするんですな。
これも昭和の風物詩的なものです。
ちびたというのがちょっといじましい気もしますが、
こういうのも時代感覚なんです。
晩秋という時期にちびた鉛筆を立てて眺める。
なんだか哀愁が漂う情景ですな…。
ま、そこがまたいいんだと思うけど…。





コスモスに風の好悪があるらしい

秋の花でまず最初に思い浮かぶのがコスモス。
4番目か5番目には彼岸花かな…。
毒々しい赤がなんともお寺を連想させる花です。
お地蔵さんの涎掛けも赤だったりするところが、
お寺と結び付ける原因かも…。
コスモスのように背が高く、
少しなよっとした雰囲気がやはりいいんですね。
風が吹くとユラユラっと揺れてなんだか、
見る人の気分を誘いますよね。
これが茎が太くて風にも大してゆらっとしない花だと、
なんだか気分が秋の気分に合わない。
しかし、コスモスはほんとに茎が細くて、
弱弱しそうなんですが、
確かに強い風で倒れたりもします、
しかし、倒れてそこからまた空に向かって、
すっくと立ち直るのです。
弱そうだけで実はかなりの猛者なのですね。
しかし、コスモスもあまり風が強いと、
見せ場がなくなるんですよ。
ビュービュー吹く風だとはかなげな雰囲気が生かされない。
あまりに微風だとこれまた揺れが少なくて、
見る目に訴える力が足らなくなる。
やはり見る人の感性に届くような風が吹かないと満足しない。
やはりコスモスも生活が懸かってますからね。
誰にも見向きもされないと、
忘れられた花として片付けられてしまう。
そんな花はいっぱいあると思う。
彼岸花はコスモスのように儚げはないですが、
とにかく密集して面積も広く咲く。
その圧倒的存在感で見る人のメンタルに訴えかける。
そんな情景を撮った写真がコンクールに入ったりしてる。
コスモスとは対極で存在感を示して生きながらえている。
まあ、コスモスと彼岸花で言ってみたけど、
人間も同じね。
自分という存在感を意識してもらえるものを発信できないと、
なんだか寂しい状況に陥ってしまうわけね。
大変なんだって…((+_+))





小白鳥生涯通すサユリスト

サユリスト。
いまだ健在なグループですね。
サユリストと聞いて、
即座に吉永小百合を思い起こす人は!
そうです完全なる昭和を背負っている人なのです。
サユリスト聞いて国生さゆりを思い出す人は、
平成かな…そうでもないか…。
いまだに活躍してますよね。
永遠のマドンナ吉永小百合。
それにしても古希も近い人たちが、
子供のころにすでにスターだった。
そこから令和の今も第一線の女優だ。
それもほとんど昔と変わらない容貌を保っている。
テレビのコマーシャルに出ているのを見ても、
記憶のある時から全然変わっていない。
つい最近八千草薫が死去しましたが、
八千草薫も変わらなかった女優さんですよね。
あの美貌をどうやってかなりの年まで保っていたのか…。
知りたいですよね。
吉永小百合にしてもあの美貌を、
どうやって保っていられるのか。
聞いてみたいのは結構な数いるんじゃないかな。
儚げな雰囲気でありながら、
その実しっかりと強さを持っている。
そんな役を演じさせたら右に出る女優さんはいない…。
そこにサユリストはコロッといってしまうわけですよ。
だいぶ前だけど夢千代日記なんかいい味出してましたからね。
昭和平成令和とこの三つにまたがってファンをつかんで離さない、
女優魂というのはほんと凄い!
なんだかコーマーシャルに出てくると、
安心感すらだ酔わせてるからね。
今は亡き赤木圭一郎と共演してた、
霧笛が俺を呼んでいるなんて娘役だったわけだけど、
可憐でほんとよかったわけだけど、
その雰囲気っていまだ失われてないんですよ。
偉大な女優として歴史に残る一人なんだろうな。
自分はどうなんだ・・・サユリストですよもちろん!




主催者吟


唯一のネオンに秋雨降る故郷

大の雲小雲吐き出し秋の風

レコードの針の擦れ音長夜かな

週末はギターで締める神無月

遠望す登山の記憶熱もなし




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