渡辺さんの俳句傑作選


2020年 11月の俳句


短日のゆっくり落ちる砂時計

砂時計という言葉には、
なんだかちょっとした懐古趣味を感じますね。
若干大正ロマンというのかな、
江戸川乱歩の推理小説が置かれてる書斎とか、
ちょっと全体に茶色の雰囲気というのか、
そんな色合いを連想させますよね。
今の若い人に砂時計といっても、
「なにそれ?」と即座に言われそう・・・。
砂時計も時間の長さ別に売られている。
一分から一時間もっと長い時間物もあるようだ。
砂時計の砂が落ちていくのをじっと見ながら、
推理に耽る明知探偵・・・。
相手が黒トカゲだったりすると、
かなり雰囲気を盛り上げますよね。
天地茂と美輪明宏の舞台は凄味があった。
これが舞台ではナンバーワンじゃないかな。
その舞台の雰囲気がまた砂時計という雰囲気なんですね。
音もなく時間が過ぎていく、
そして明知探偵と黒トカゲの丁々発止のやり取り・・・。
美輪明宏でないと出せない凄味があった。
天地茂の顔の皺がまた味があった。
天地茂は顔の皺で演技してたと思う。
レトロな砂時計がぴったりという感じ・・・。
アマゾンで砂時計と検索すると、
結構出てくる。
しかし、どうももう子供の玩具的な色合いしかない・・・。
5分の砂時計をつい買ってしまった。
何に使うという考えもなくポチっといってしまった。
5分といっても眺めてると結構長いね。
落ちる砂がゼロになると、
またひっくり返して眺める・・・。
この音のない虚無な世界が結構いい。
コロナで沈んだ気持ちを平らに均す効果はあるね。





デパ地下の淀んだ空気去年今年


デパ地下ね。
ほんとに淀んだ空気が特徴だ。
子供のころ母親と行った、
デパートの地下での空気感が今も変わらない。
連れ立ってるのが母親から女房に変わってはいますが・・・。
空気の淀み加減はそう変わらないね。
しかし、今年はデパートに行くことすらない。
理由はコロナウィルスだ。
あの人ゴミとあの空気感を想像するとなんだか恐ろしい。
まあ、対策は取られているんだろうと思うのですが、
どうもそれいけというエンジンがかからない。
エンジンがかからなければアクセルも踏めない。
デパ地下に限らず人がいそうなところにはいく気がしない。
つまらない一年と言えばそうだね・・・。
デパ地下の換気大作戦てなことも聞こえてこないから、
淀んだ雰囲気は変わらないんだろうなぁ・・・。
年末のデパ地下の雰囲気というのは結構好きなのですよ。
人と人の間に腕を伸ばして品物を取ってみる。
いまいちだと思うとまた腕を伸ばして元に戻す。
振り返ったおばさんのきつい目力が、
なんかいいのですよ。
なんだかマゾって気分が非現実的でいいのかな。
結構目的の日なものまで到達するのは大変。
場合によっては妥協して買ってしまうことも・・・。
妻にこっぴどく怒られるんですけどね。
年末だと相手も気がたってるから容赦がない。
怖いと思う一瞬ですな。
その淀んだっ空気の中に分け入っても妻は強いよ。
睨むおばさんがいると睨み返すからね。
なんだかデパ地下の目力対決みたいだから凄い。
マイク・タイソンの試合みたいな迫力。
デパートの地下売り場ができたころからの風景なんだろうなぁ・・・。
デパ地下にドラマあり・・・。
あとに残らないドラマなんだろう・・・。
少なくとも今年はないな。
コロナ菌に征服されちゃってるから・・・。





木枯らしを道連れにして遊歩道

道連れという言葉には古今東西物語がある。
牧村美枝子が歌っていた「みちづれ」も良かった。
これはもともとは渡哲也が歌った歌なのですが、
渡哲也が男気出して、
牧村美枝子に譲ったという美談がある。
これで牧村美枝子が、
スターダムに乗ったと言われている。
テレビの歌番組に何週か続けて出演していた。
昭和の時代だから当然テレビで覚えた。
牧村美枝子って今どうなってるんだろう。
渡哲也は残念ながら逝ってしまった。
牧村美枝子はその後名前を聞かなくなった。
もうおばあさんもいいところで、
すれ違っても絶対に分からないな。
すれ違うなんてことはまずないけど・・・。
木枯らしを道連れなんて言うと、
木枯し紋次郎を思い出しすね。
木枯し紋次郎と言えば中村敦夫。
テレビドラマだったけれど、
当時、銭湯の女湯が空になったとかいう話を聞いていた。
絶大な人気を誇っていたわけです。
ドラマの最後に長楊枝を空気の音とともに、
長楊枝を吹き出して木に刺さる。
この音が木枯しに似ているという発想らしい。
まあ、昭和って感じが色濃いですな。
あの時代の三無主義的な雰囲気を、
非常によく醸し出していたってことかな。
ドラマの中のチャンバラもやくざの剣法だから、
ぜんぜんカッコよくない・・・。
まあ、全編に流れるニヒリズムっぽさがうけたということかな。
また、中村敦夫の雰囲気がぴったりなわけです。
令和にはちょっと出てこない雰囲気って気がする。
>木枯しを道連れに<
まではなんかかっこいいのですが、
最後の「散歩道」でなんだかズッコケますね。
ちょっとニヒルな感じが、
ニコニコした感じになってしまったのがちょっと・・・。





湯豆腐や一家言ある編集長

湯豆腐の季節が来たかとなんとなくうれしい。
やはり寒さが増して美味しくなるのは湯豆腐だ。
かなり個人的な感想ではありますが、
豆腐を囲んで鍋をつつく・・・。
コロナウィルス蔓延の昨今こんな風景も絶滅危惧種だろう。
眼鏡を曇らせながらポン酢を足しながら、
小皿に鍋に沈んでる豆腐を角が欠けないようにすくい取る。
これがなかなか神経を使う作業なんですよ。
きれいにすくい取れた時は、
なんだかニコニコが止まらない。
これの繰り返しがその座を和やかにするんですよね。
まあ、人間関係の潤滑油とでも言いましょうか・・・。
昨今スーパーやドラッグストアでの、
客の暴言が問題になってるよです。
どうでもいいことで店員にいちゃもんをつける。
言われたほうはたまったもんじゃない。
コロナで自粛の影響が出てるんですね。
コロナで外出もままならずというなら、
自分の部屋でもなんでもギターをつま弾けばいいのだが・・・。
まあ、ちょっとコマーシャルに偏った発言か( *´艸`)
鍋を囲むというのは、
日本独特の人間関係のための潤滑油だと思う。
湯豆腐でなくてもすき焼きでも何でもいいのだが、
そこでワイワイ不満や自慢を吐露することで、
ストレスフリーを自己実現させるんですよね。
居酒屋でわいわい声を大にしてしゃべったりするのも、
精神衛生上は大変重要なことなんですね。
やはり冬であれば特に湯気というのが、
非常に意味を持つんですね。
湯気というのは暖かさの象徴ですよね。
その湯気にまみれながらワイワイとやる。
これがストレスによるおかしな行動を、
少しでも抑制する効果があるんですね。
パソコンの画面を見ながらの飲み会だとこの湯気がない。
宅飲みと言われてパソコンに映る複数の友人たちと、
飲むのが昨今のトレンドのようだが、
画面上だと湯気がないんですよ。
これは結構大きなポイントと言えるんですね。
酒のアルコールで顔が熱くなってくるのと、
湯気で熱くなってくるのとでは根本が違う。
やはり共通の鍋を囲んで、
この共通の湯気が大事なんですよ。
共通の湯気を浴びながら語るというのは、
どこか一体感があるんですよね。
湯気をおろそかにしてはいけません。





アドバイス苦言となりて隙間風

アドバイスか小言か・・・。
この境界線をめぐってはしばしば議論が起きる。
同輩に言われると結構ムッとして、
なんとなく聞き流してしまうことが多い。
そうだと思っても即は受け入れられない。
ちょっとタイムラグがあるんですね。
親に言われるとそうだと思ってもとりあえず反発する。
意外と残らないことも多い。
先輩に言われると、
その先輩の自分の中でのレベルに応じて、
あっさり受け入れたりする。
ダメだこいつはなんて思ってる先輩の言は、
即否定してしまうことが多い。
会社の上司だとアドバイスも小言の範疇にしか思わない。
この辺の気持ちの真相というのは、
結構微妙なものがあります。
アドバイスが苦言となって自分自身の感性を覆ってしまうと、
これはもう敵愾心の塊みたいになるからね。
二度と顔を見たくないなんてのはこのたぐいね。
人間というのは基本的に人から何か言われると、
なかなか素直には受け取れないようになっている。
一つの自己防衛本能だと思う。
やはり騙されるということが、
人間の間には横たわってるから、
この騙されないということのために、
言われたことを素直に受け取らないというのがあるんですね。
若いうちは特に体力気力があるから、
真向否定してしまう事例が多い。
いわゆるムッとするという現象だ。
時間が経って若い時の角が取れてくると、
結構反発した言葉で印象に残ってた言葉というのは、
意外なほど素直に受け入れてたりする。
隙間風が修復なんてこともあったりするんですよね。
言うほうが一歩引いて言わないということもありますね。
言うと間にずれができそうだなんて思うと言わない。
人間誕生以来こういうことは難しいんだろうなぁ・・・。



主催者吟


深呼吸目覚めてまぶし秋日和

ランプつく山小屋一人秋深し

紅葉の散り果て広し街の空

追い越しぬ和服の匂い七五三

君といる夢覚め冬の苦き酒



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