渡辺さんの俳句傑作選


2021年 8月の俳句

百獣の王の怠慢草の花

百獣の王といえばライオンかな・・・。
ライオンは肉食動物ではありますが、
オス狩りをしてる姿というのは、
ほとんどテレビなどの画面には現れない。
ほぼメスによる狩りが映像として流れている。
オスは寝そべって大あくびをしてる映像が多い。
なんだか気楽なもんだと、
羨ましい気分で眺めてるけど・・・。
百獣の王の怠慢というけれど、
なんだかいつも怠慢って気がする立て髪の雄。
最近動物園で見たけど腹ばいで目をつぶって、
あくびを二回してたな。
こういう姿というのは癒し系といえるのかな・・・。
怠慢という単語がくっついてくると、
非難の対象として見なくてはいけない。
王とつく動物があくびしてる間に、
コロナウィルスが蔓延してしまっている。
なんだか蹴りたい気分にもなりますな。
百獣の王もコロナウィルスには勝てないようで、
ワクチンを打つというのがあるらしい。
やはり打ち手となると怖いらしい。
怒ると襲われるという恐怖感は、
飼育員にもあるということだ。
結局、打つという話で終わってしまって、
打つところは映像として流れなかった。
残念ながらほんとに打ったかどうかは分からない・・・。
視聴者はそこが見たいのですが・・・。
ジャングル大帝のレオみたいな活躍も望めないな。
メスも動物園の檻の中だと穏やかもんですよ。
ジャングル大帝とは全く結びつかないあくびする姿。
百獣の王がライオンだということを、
令和の子は知ってるのかな・・・。





童心にもどる楽しさ大花野


童心に戻る・・・。
なんだかホっとする単語ですね。
童心というのは、
普段は全く裏側の世界になってしまっている大人の世界。
この変化の仕方というのは、
どの辺から始まってるのだろう・・・。
小学生のころは童心というのが、
人間の心理の大半占めていて、
なんとも言うことも動きも可愛いもんだ。
これが中学生くらいになると外からの情報が、
かなりの分量入ってくる。
そうするとわずかずつそれまで大半占めていた、
童心という感性は押しやられてきて、
三分の二にくらいになってしまう。
世間の荒波の一端が入ってくるということだ。
これが高校生ともなると、
世間の荒波がグイっという感じで入ってくる。
そうすると童心の占める割合は、
三分の一くらいに後退してしまう。
童心の世界観では対処しきれなくなってくるんですな。
そうするとどうなっていくかというと、
大学を出て社会に出るころは、
童心という世界観は真後ろに追いやられてしまって、
ほとんど眺めることもできない。
公園などで子供の動き回る姿を見て、
ホッとしたりするのは、
後ろに追いやられてしまった、
童心の世界感が少し前に導き出されるからなんですね。
普段感性の後ろに隠れてしまって、
うかつに出すこともできない童心の世界観。
それを無防備に出せるのが、
子供が遊ぶ姿を見たりするときですね。
花が一面に咲いてる風景というのも、
なんだか童心の感性を刺激してくれますね。
ピカソは童心の世界を絵画に持ち込んだわけですが、
なぜ評価が高いのかといえば、
普段忘れてしまっている、
童心の世界を導き出してくれるからなんですね。
感性の裏側になってしまった童心の心・・・。
なかなか見られなくなっている今の世界ですね。





ゲルニカや心に落ちる秋の雷

ゲルニカといえばピカソの代表作ですね。
スペイン内戦の悲惨な状況を絵画で表現した絵です。
ここのところの世界の情勢は、
その悲惨さにおいて、
このゲルニカの描かれた時代と変わらないです。
特に東南アジアでは人権というのは無視されて、
独裁者の思うがままに人を管理しようとする。
世界を見てもこの独裁主義の勢力は、
大きく広がっているんですよね。
独裁者にとって都合の悪い人間は徹底的に排除する。
それが正義となって、
世界の七割くらいを占めてるんじゃないですかね。
かつての日本もそうだったわけですが、
無茶苦茶な軍部思想というのは破壊されて、
まあ、破壊されて民主主義が入ってきたわけですが、
結構よく根付いた方ですかね。
今の日本に生まれてよかったと思う人は、
少なくないと思う。
もちろんこれからは分からないですけど・・・。
まあ、先の大戦でほとんどを失ってしまったことも確かで、
いまだになんだかんだの負の遺産を引きづってはいますけど・・・。
ゲルニカというのを本場スペインで見たことがありますが、
かなりでかい絵ではありましたね。
まあ、リアリズムというより抽象画です。
なんだか異様な迫力があるんですね。
ピカソは悲惨な状況を大人の目ではなくて、
子供の無垢な目を通してみてるんだと思いましたね。
大人の目だったら一つ一つを、
より具体的なものとして描くと思うのですが、
ピカソはまだ具体化できない、
子供の目で惨状を見て描いたと思うのです。
無垢の目から見える景色は、
具体的な絵よりもっとグロテスクに見えるんですよね。
そこにピカソの言いたい伝えたい情報が、
詰め込まれてるんだと思いますね。





満月やヨガのポーズが完成す

ヨガのポーズというのはなかなか難しい。
普段からするとだいぶ外れた感じになる。
しかし、これがしっかり決まっていくと、
体にはだいぶプラスになるという。
いているだけで大変そうで、
自分から飛び込んでいく気ににはならない・・・。
でも、ヨガによって体調がよくなったという話はよく聞く。
体が柔らかくなるせいかもしれない。
人間の体というのは、
歳とともに筋肉も硬くなり骨も硬くなり、
あげく内臓も動きが悪くなる。
内臓の働きが落ちるとそれ相応に影響は大となる。
そこでヨガが効果を発揮するというわけです。
一つ一つの肩には意味がしっかりある。
しかし、結構これが大変で、
足や腕とかあっちこっちに動かすのが非常につらい。
下手すると涙が出てくるという。
この句にある完成した時の充実感は、
また格別なんだと思う。
定期的にやってると、
体も柔らかくなるという効果はある。
人間生まれてきたときはすべてが柔らかくて、
ひっくり返ってもなにしてもそう簡単にけがもしない。
年とともに体が硬くなって、
ちょっと転んでも大けがになってしまうことが、
自分の意思とは関係なくだんだん増える。
年齢が80歳~90歳になると、
平らなところでもいきなり転ぶ。
ふつうにみるとこんなところで、
どうやって転ぶんだと思うくらい謎な転び方になる。
こういうことを防ぐ力もヨガにはあるという。
ヨガをやってる人は相対的に顔色がいい。
やはりうんうん言いながら、
体をくねらせていくというのは、
血行をよくするんですな。
体の中から良くなれば、
頭の回転も良くなるんじゃないかって気がする。
分かっちゃいるけど、
なかなか踏み出せないんですよねぇ~~~。





車椅子颯爽とゆく秋遍路

先ごろパラリンピックが終わりましたね。
50歳にして金メダルとかありえない話題もありました。
なんだか競技をしてる人を見てると、
超人って感じに見えてしまいます。
車椅子バスケットとかもうすごいですね。
ほとんど格闘技と変わらない。
オリンピックのバスケットより、
より見ごたえがあるかもしてない。
人間の体って凄いなってつくづく思う・・・。
水泳なんか見ていても、
ただ泳ぐのもなかなか大変なのに、
記録を出していきますからね。
まあ、自分と同じ人間とは思えない・・・。
人間の可能性って無限だなと思い知らされる。
意志力によってなんでも可能になるんだなと思う。
コロナウィルス蔓延の中での競技ということで、
難しいところも多々あったと思うのですが、
人間というのはやはり乗り越えていくんですね。
いろいろ開催に賛否両論がありましたが、
自分はもう肯定派です。
どんな不具合があっても、
気力と意思の力というのは、
いろんなことをものともせずに、
乗り越えていくんですよね。
参加されている方たちの表情を見ていると、
なんだか熱くなってきますよね。
街中で車椅子の方を見かけることもあるのですが、
なんだか見方が変わりますね。
パラリンピックはいろんなことを教えてくれますね。
小学生がほとんど見ることができなかったのは、
ほんとに残念ですね。
まだ無垢な感性で見学していけば、
まず無駄になることはない。
こういうことが中止されてしまったことは、
非常に残念ですね。



主催者吟


ベランダに人の声絶え秋の雨

秋雨の止み青深し背筋伸ぶ

コーヒーの匂いの冴えし秋日和

オルゴール音消え秋の長雨かな

登山道行くて霧湧き迷宮へ



topへ