渡辺さんの俳句傑作選


2021年 9月の俳句

流星や胆石二つ動き出す

流れ星というのもここのところ見ることもないね。
なんだか天気が悪すぎるというのもあるかもしれない。
夏は猛暑でとても空を仰ぐ気にはなれない。
クーラーの部屋でグダグダしてるのがオチ。
さあ、秋だ!空気が澄んで気温も下がって、
空を見上げるにはちょうどいい。
新興住宅街に残る小高い丘にでも登って空を見上げる。
なんてのももう昭和の時代って気がしにでもない。
大体9月は天気が悪すぎる。
じゃあ、10月はどうか・・・。
10月で晴れる夜空などはほとんどない。
とにかく10月は天気が悪いのです。
しかも気温が高く澄んだ夜空というのは、
ほとんど見ることはできない。
平成、令和と天気は悪くなる一方だ。
流れ星なんて言って、
ロマンを感じていた時代はもうないのかも・・・。
流れ星とともに胆石が移動するというのも、
令和の時代的感覚だなぁ・・・。
胆石が二つもあるとまず痛そうだ。
これが動くとなるとかなりの地獄的痛みじゃないかな。
流れ星なんてロマンチックな単語を、
なんともオジサン的にしてしまう響きありですね。
こういう痛みは経験したことはないですが、
腎臓結石が下りてきたことがあって、
この時はじわじわ気持ちの悪い痛みが続いた。
体の中を医師が移動するという感覚は、
難民が国境を越えて、
移動していく感覚と似ているのかも・・・。
なんだか切ないというか気持ちが痛いというか・・・。
人間の中を旅する石。
なんだか痛いと同時になんとも切ない気もする。






暮れの秋丑三つ時に句を作る


作句というのはほんと気まぐれで、
ボケッとコーヒーを飲んでる時に突然浮かんだりする。
作らないとな、なんて紙とボールペンを握っている時って、
意外となにも浮かんでこない。
考えてるうちに他のことが頭に浮かんできてしまって、
俳句のことは隅に押しやられてしまう。
一番つらいのはさて寝ようと布団に入った途端、
スラスラと浮かんでくること、
ここから起きてボールペンと紙を持って、
書いていこうというのは結構つらい・・・。
なんとか朝まで覚えていられないかなぁ・・・、
と、なんともマイナスの気分が浮かんでくる。
これが意外にいい感じの句だと、
ほんと起きるか、このまま覚えていようとかの、
はざまに立たされる。
朝になるとほぼ忘れてしまうのが常道で、
どうしても思い出せなくなるのがわかっていても、
わざわざ起きてメモする気分が沸いてこない。
だいたいこういう状態で起きてメモする時と、
そのまま覚えていようという、
マイナスの気分で寝てしまうのと、
半々くらいかな・・・。
半々というと若干自分に甘い感じの分析だ。
大体はねてしまって朝起きた時思い出せなくて、
残念というのが圧倒的に多い。
途中でハッと目が覚めた時というのは、
意外とまだ覚えてる時がある。
途中で目が覚める時というのは、
だいたいトイレに立つから、
まあ汚い字でもメモするんですね。
書きながら次々浮かんでくることもある。
深夜に目が覚める時って、
結構、雑念がなくなっていることが多い。
こういう時はいろいろ浮かぶんですよ。
浮かびすぎて眠れなくなってしまうこともある。
朝になって読み返してみると、
なんだこれはというのばかりだったりする・・・。
作句って・・・けっこう難しく辛い作業なのです。





行く秋やため口たたく無礼者

秋が深まってくると、
気温もぐっと下がってきて、
猛暑の時は全く浮かばなかった、
感傷的な気分が巡ってくる・・・。
一年に一度のチャンスなのです。
まあ、人間の感覚を詩人につくりあげるのですよ。
四季のある日本人は、
こういところでも細やかな神経が形成されるんですね。
しかし、昨今日本の四季が、
ほとんど機能しなくなってきているので、
令和の若者は詩人という感覚自体、
消え去ってしまってるのかもしれない。
前を向いて歩くより、
スマホを眺めて歩いてるくらいだから、
四季もへったくれもない気もしますが・・・。
昭和の人間の持っている日本人らしさというのは
かなり失われてしまっていて、
それらしきことを言うと怪訝な表情をされる。
まあ、言わぬが花ということで言わなくなる・・・。
歌に関しての雰囲気も今では全く違って、
変わってしまっている。
昭和の歌というのは、
結構感覚的に情緒感というのを追って、
作られていた気がする。
あの時代の空気感を巧みに取り入れていたと思う。
今は、空気感が全く違ってきてしまっている。
一つには映像が主体になっていて、
常に見るということが音楽とセットになっている。
音楽も動きとセットになっている。
情緒じゃない動きなのです。
音楽をじっくり聴くようになるのは、
若干元気がなくなってきている中高年になるのかな。
こういう流れが良いのか悪いのかというと、
時の流れは止められないってことでしょうか。
時代は戻りはしないのです。
行く秋にため口をたたくのが無礼であるというのも、
時代にすでに乗れてないってことかもしれない。
ため口を言って笑い飛ばすのが、
令和流なのかもしれない。
季節、時代、世の中、風情すべては、
流れて去っていくもんなんですね。





鳥渡る孤独への予行演習

92歳のおばあさんがいる。
驚くことにギターをつま弾いている。
まあ、簡単な旋律ではありますが・・・。
若いころはバリバリのキャリアウーマンで、
室長をやっていたようです。
あの時代に女性の室長というのは、
かなり珍しかったのではないかと思いますね。
90歳を過ぎても頭ははっきりしてるから、
そういうところでも、
まず普通とは違うということでしょうか。
しかし、いつのころからか、
会社時代の食事会がなくなったと言って嘆いていた。
同じ課のOB、OGが年に一度集まって、
食事会を開いていたということです。
しかし、年を経るごとに、
くしの歯が抜けるように、
人数が減っていったそうです。
男性は特に早い時期から減っていったそうです。
なんだか分かるような気はしましたね。
女性もだんだん来る人が少なくなってきて、
ついには数年前でこの会は中止になったそうです。
まあ、92歳が元気でも、
そこまで到達する人は少ないということでしょうね。
やはりさ寂しいということを言ってるわけです。
92歳の回りも変わらず元気というのは、
なかなか難しいと思えるのですが、
本人にしたら馴染みの顔も見ることができなくなってるわけで、
寂しさは募ると思いますね。
自分を振り返っても、
古希に到達すれば、
そろそろ訃報も飛び込んでくるわけですよ。
毎年年末になると来るようになって、
最初のころは知り合いの親の世代の訃報だったのが、
だんだん本人の訃報に変化してきている。
訃報がとどくようになってから、
回りに人がいなくなっていく状態の、
トレーニングという気がしていた。
自分があの世に行って孤独になる人もいるわけで、
なにがどうなって孤独に陥っていくのか分からない。
令和が進むにつれて、
孤独の波がじわじわと押し寄せてくるわけですよ。
何も考えずにいるとある日突然!
回りに人がいなくなって、
一人ぽつんとブランコに乗っている、
なんてことがあるかもしれない。
黒澤明と志村喬の「生きる」の、
ブランコの場面が浮かびますね。






行楽の秋思の詰まる弁当箱

コロナウィルスによってもたらされていた、
緊急事態宣言も解除になって、
最近では東京の感染者60人なんて数字も踊ってます。
実際は、もうビビり精神が働いていて、
なかなか自由に行楽地へという気分にはならない。
しかし、今までの閉塞状態から、
パッとドアが開いた状態になると、
おっかなびっくりでも外へ出ていこうというのが心理だ。
実際行楽地の人出はかなり増えているようだ。
歓楽街の人でも戻りつつある。
しかし、行楽地よりも戻り具合は今一つらしい・・・。
やはり人が肩触れ合うような状態というのは、
なんだか怖いというイメージがあるんですよね。
広い戸外だったらまだ安心かな塔心理なんでしょうね。
このビビり精神が、
感染者を減らしたというのがあるんでしょうね。
それにしても5000人という数字が出た時は、
暗澹たる思いが巡ってきましたからね。
言いようのない重~~~い気分・・・。
この数字で菅さんはアウトという感じになりました。
まあ、なにより菅さん自体が、
なんだか嫌われた感はありますね。
まあ、歴代総理大臣の名簿にはこれから残っていくわけで、
悪いことでもないのかな。
Gotoトラベルもこれから始まるのかな。
旅行関係をお助けというのは、
議員さんたちも一生懸命ですから・・・。
この二年間いろいろ感慨深いですね。
とにかく長かったというのがほんとのところ。
しかし、これでもうコロナウィルスが、
なくなったわけではないんですが、
クスリの情報なんかがどんどん出てくると、
なんだかホッとするんですよね。
行楽地でお弁当・・・なんて言っても、
自分なんかは多摩川の河川敷くらい。
でも広々とした空を眺めて、
お弁当を食べるのもいいかも・・・。
いろいろなことが浮かんできそうですよ。
あの世へ行く前の経験としては、
少し大きすぎたかもしれないですけど・・・(*ノωノ)


主催者吟


廃駅の傘の落書き秋の蝶

紅葉や指に集まる鯉の口

早暁の闇と寒さや秋深し

曇り窓朝日の跳ねる秋日和

雲の果て山色づきて冬支度



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