渡辺さんの俳句傑作選


2022年 3月の俳句

春泥を巧みに避ける草食系

春泥というと雨でぬかるんだ道のことですが、
これは春の季語なんですね。
春というと目は常に上を見ていて、
梅が咲いた、桜が咲いたと、
目線は常に上を向いていて、
話題もそちらがほとんど・・・。
まあ、もう春のあいさつ言葉の一つになってるんですね。
とりあえずそこから会話の糸口を、
手繰るような感じですかね。
分かっていてもそこからだと、
結構スムースに次の言葉につなげられるんですね。
それと対照的になるのが花粉症の話。
ほとんど花粉症同士のあいさつはここから・・・。
まあ、ほとんどお互いを慰めるというスタイルですが、
これが結構気分的な助けになるんですよね。
花粉で目がかゆい、鼻水地獄のところに、
花が満開の話をされても今一つノリが悪くなる。
この時期のあいさつというのは、
二段構えで行かないといけない。
まず花粉症の嘆きから始まって、
梅、桜の花が満開のところに話を滑らせる。
ここでこの時期の話の盛り上がりは、
ほとんど保証される。
ウクライナの戦争の話はうまく避けたい。
ほとんど嘆きしかないから・・・。
庶民の生活がひっ迫してくる話は、
とりあえずこの時期避けたい・・・。
ものみな値上げ、
なんともうれしくない状況が待っている。
こんなところで強気なことを言っても、
なにも盛り上がらないですね。
今のぬかるみの状態を解説しても、
つまらない話になりそうです。
うまいこと避けながら、
気分が落ちないように、
お互いの会話を盛り上げたいですよね。





初花やガールズトーク切もなし


ガールズトーク・・・。
この時期テレビ番組の顔ともいうべき、
女性アナウンサーがどんどん交代していきますね。
番組の最後に降板の一言・・・。
なんだか切ない気分にもなりますね。
ちょっと飽きられてきたというところで気分を変える。
そんな時期でもあるんですね。
本人たちの回りでどんな話がされてるのかなぁ・・・、
と、なんとなく想像してしまいますね。
女性の場合どんな話であっても、
なんとなくつながっていくんですね。
男同士だと大体一つの話題は、
これっきりで完全終了、
ってな感じがほとんど・・・。
こう見てみると、
女性のほうが話す話題が尽きないのも、
理解できますよね。
同じ話題も何度も話ができる。
そこに次々違う話題が積み重なっていく。
会話が途切れるってことがないのですね。
男の場合・・・。
一回の話題はそこで終了。
次に持ち越すことというのはまずない。
会話が短くなるわけですよね。
一つの話題が終了してしまうと、
それをもう一度掘り返してもどうも気分が一致しない。
その時一致した話をしても時とともに、
もうお互いにその話題には距離ができてしっていて、
なんだかかみ合わなくなってしまうのです。
そこが女性とは大きな違いなんだと思う。
女性の場合か過去の話題でも、
話が出るとすぐにその時の気分に戻ることができる。
その時の気分をお互い共有することができるんですね。
ここの違いが女性の会話が長く続いて、
男の会話が長く続かない理由だと思う。
なかなかね・・・。
ここを理解してないといけない気はする・・・。





雛納め一緒にしまう淡き恋

お雛様はひな祭りに出して、
まあ、過ぎるとそれで仕舞うのが常道ではあるのですが、
なんだか仕舞うときに、
一抹の寂しさを感じるのは男親。
母親って来年まで、
虫に食われないようにするには、
どうしたらいいかなんてことを考えている。
父親のしんみり気分はなかなか理解してもらえない。
道具立てが大きいと、
一緒に仕舞うってことになるのですが、
ひな祭りの主人公とその両親。
結構ぜんぜん違う感性でいるんですよね。
なんだかあまり解説もしたい気分ではないのですが、
仕舞い終わってから、
一番気分の尾を引いてるのが父親ですね。
一番あっさりしてるのが当の本人。
母親は保存の仕方を考えている。
この感性の違いを面白いと言ってしまうと、
そうじゃない・・・。
それぞれの立ち位置に、
こういうイベントの時に、
明確な違いが表れるんですよね。
こういう時の父親の気分というのは、
なんとなく理解されてない気がする。
もっとも母親の気分を、
父親が理解するというのもなかなか難しいかも・・・。
一つの家のイベントでも、
同じ雛を眺めながら、
違う感性が働いてるんですよね。
日本のこういう子供のイベントというのは、
どこかに日本人の細やかな感性が、
しっかり反映されてるんですね。
だんだんすたれていくような雰囲気があるのは、
非常に残念なことですよね。






時代屋で壺値踏みする遅日かな

テレビ東京の「なんでも鑑定団」を見てると、
よくこういうものを持ってるもんだなと結構感心してみてる。
この番組もかなり長い長寿番組だと思う。
それでも毎週必ず新しいものが出てくる。
日本列島お宝列島という感じ・・・。
この番組の頭には開運という言葉がついている。
家の隅に眠っていたシロモノが、
えっ!!っと思うような値段がつけば、
まあ一気に運が開けた気分にはなるんですね。
普通に生活してた人が、
家で眠っていたものに大きな値段がつけば、
おおっ!!という気分になっても不思議ではない。
っていうか、
気分は天井知らずに舞い上がりますよね。
こういう番組を見ていて、
いきなり骨董趣味に走る人も、
結構いるんだろうな。
いわゆるにわかコレクターという種族。
いきなり骨董屋に出向いては、
古そうなツボを値踏みしてみる。
このパターンで値打ち物はほぼ見つからない。
お店の人もそうそう値打ち物を出してくるとも思えない。
結局それらしき物をつかんで満足するというパターン・・・。
普通の庶民が持っているもので、
お値打ちなんてものはほぼないんですよね。
だから番組の頭に「開運」という言葉つくんだなと思います。
裏を返せばそんなものは、
ほぼないですよと言ってるようなもんです。
骨董市なんかで真剣に値踏みしてるのを見てると、
まさに道楽って雰囲気ですね・・・。
一日かけて見回って、
手にした骨董品がどのくらいの価値があるのか、
でも、これって本人の夢に投資してると思えば、
ほほえましく見えるのかな・・・。
人間って些細なことにも夢を見たがる動物なんですね。
そこが可愛いというかなんというか・・・です。






春愁を街のポストに放り込む

なんだかいやに詩的雰囲気満載の一句ですねぇ・・・。
春のちょっとした物憂い気分を、
出会うポストに放り込んでいく。
ポエム的情景が浮かびますね。
冬の寒さが緩んできて、
朝起きた時に少しモワッとした空気感が、
なんだか重く感じると、
気分も重くなる・・・。
そうそう深刻な理由があるわけでもないが、
なんだかスカッとしない。
朝の散歩というルーティンで外に出ても、
なんだか足も重い・・・。
若いころだと、
早朝からジョギングなんてこともあるが、
古希を過ぎたらもう正真正銘の散歩。
早歩きでという但し書きを見たりしても、
なんだかのったりした感じでの一歩を出していく。
ここで詩的な情景が出てくるわけですよ。
住宅街を歩いてると、
まあ、門柱にはポストが並んでるわけですね。
なんだか気分的な憂いをそこに放り込んでいく、
もちろん物が実際に存在してるわけでもないから、
気分をポイと放り込んでいく気分・・・。
でも、実際これもなかなか厳しい面もあります。
早朝のポストはだいたい新聞が挟まってたりするので、
なかなか放り込める状態にあるポストは少ない・・・、
と、思ってしまうのですが、
さにあらずということもあるようです、
新聞をとっていないという家庭も増えてきて、
ポストがきれいに空いている家が、
少なからず出てきているそうです。
これもインターネットの普及とともに増えてきてるそうですね。
今や電話もスマホでオーケーという人が増えてきている。
固定電話を置かない。
なんとなくドラマのシチュエーションも、
変わってきている感じ・・・。
昭和のドラマでは一シーンを作っていた、
電話をとる場面の物語性もなくなってきたかも・・・。





主催者吟


故郷の障子の糞や目白飛ぶ

厳冬の朝ビンビンとカラス鳴く

出すことも無き雛箱を見上げいる

樹影濃くなり三分五分梅の咲く

仏壇の写真に届く春日差し



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