渡辺さんの俳句傑作選


2022年 9月の俳句

新涼や腹にこたえるヨーグルト

ヨーグルトと言えば、以前テレビの番組で、
ブルガリアとかあちらの国の人は長寿が多いという、
なんだか特集をやっていた。
結構前の話だ。
平成のころの番組だったかな・・・。
ヨーグルトを毎日食べている国の人たちは長寿、
という内容だったと思う。
ビフィズス菌が腸を整えて、
長寿になるという話だったと思う。
なるほどそうかと、
次の日からヨーグルトを買い食べるようになった。
しかし、そもそも毎日ヨーグルトを食べるという、
習慣がない生活の中で、
いきなりそんなことを始めてもそうそう続くわけもない。
いつの間にか立ち消えになったと思う。
ヨーグルトも毎日食べるとなると、
安くても高くても毎日となると財布も締まりがちになる。
決して毎日となると安い買い物でもなくなる。
テレビの影響が薄れるにつれて、
いつの間にか食卓には出なくなって、
思い出したようにしか出てこなくなった。
結局ヨーグルトを食べる文化があるかないかで、
食べる食べないは決まってくるんですよね。
にわかヨーグルトファンになってもチョイ難しいかと・・・。
猛暑の夏の間にも時々ヨーグルトは、
食卓に載った気がする。
しかし、なんだかトロッとした触感は、
あまり喉越しにはつまらない感触しかしない。
我が家のヨーグルトは、
はちみつを混ぜて食べるが定番。
猛暑の時期は、出れば食べる、
というなんだか無機質気分で食べていた。
しかし、少し秋風が吹いてくるとなんだか、
はちみつ入りのヨーグルトの味が、
少し際立ってくるような感じがする。
こういうちょっとしたのど越しの変化が、
食欲の秋につなっがっていくんだろうな・・・。





隣家よりフルートの音秋の昼


以前テレビのお天気お姉さんが、
お天気を紹介する時に少しですが、
フルートをもって何かの曲のワンフレーズを吹いた。
曲名は分からなかったですが、
さわやかなお姉さんの雰囲気と、
フルートの音色がよくマッチしていて、
なかなかいいなという感じだった。
またやらないかなと思っているが、
それっきりそれはなくなった。
なんだか心の何処かで、
またないかなと期待してるものがあって、
いまだないのがなんだか残念な気がする。
フルートの音色はメロディーの音色で
晴れた青空に溶け込んでいくような雰囲気がある。
湿度の低い秋の良く晴れた日には、
ホントきれいに聴こえるんですね。
フルートはメロディー楽器なので、
ピアノなどの伴奏楽器を伴うことが多いですが、
単独だと音色が強調されてこれまたいいのです。
隣りの家で吹かれると音が大きすぎるので、
公園などのベンチに座ってる時にでも、
少し遠目で聴こえてくるのが最高かな。
昼下がりの人気のない公園のベンチに座ってるところで、
聴こえてくるのが最高なんだけど、
これはちょっと話が出来過ぎてる感じですね。
猛暑を越えてきて、
新涼の空気感の中で聞いていられれば、
ほんとの意味でご褒美だね。
それにしても日本の秋の天気は悪すぎる。
秋という季節そのものが消えつつあるのかな。
芸術の秋という言葉も消えていくのかもしれない。
こんなところにも昭和は遠くなりにけりだな・・・。




竹の春心地よく聞く子の理屈

子供の屁理屈というのは、
小学校の4年生くらいからいわゆる達者になる。
それより歳が下だと、
そもそも何を言ってるのかよく分からない。
「うんうん」と聞きながら、
最後は「分かった分かった」でまとめる。
それでなんだか話は丸く収まる。
聴いてるほうはなに言ってるのか分からなくても、
一生懸命言っている子供はとりあえず満足してる。
そこで言い合いになることはまずないのです。
これが4年生を過ぎると、
そうはいかない・・・。
一応理論建ができてくるから、
最後まとめるときにしっかり筋が通ってないと、
いつまでもぐずぐず言って終わらない。
しまいには泣き出したりして大変なことになる。
下手するとこちらが泣きたくなったりしますからね。
子供の理屈というのは通っていてもいなくても、
しっかりうなずいて終わらせるのがいいかも・・・。
泣かれてしまうと、
泣く子と地頭には勝てない状況に、
陥ったりするんですよね。
気分的にゆとりがあると、
子供の屁理屈を延々と聞いて、
それがまた楽しい気分につながったりする。
まあ、大人というのは勝手なもんで、
子供の屁理屈を聴いている時の気分で、
心のゆとり度も測れるんですよね。
度ですか一つ、
幼稚園児の理屈を聴きながら、
自分の今のゆとり度を測ってみるのもいいかも・・・。





清張を一休みして秋刀魚焼く

松本清張は大体重い。
その分傑作も多いわけですが、
読み終わった後で、
なんだかずしりと来るものがあるんですね。
映画にもなった作品など、
余韻が長く尾を引きますよね。
黒革の手帳はテレビドラマでやりましたね。
最近では武井咲、
その前に山本陽子主演でドラマ化された。
その時に少し感じたのは山本陽子が、
どうもドロドロした世界観を出すには、
ちょっと違うかなという感慨を持った。
武井咲の方は、
ドロッとした世界の中でもいけてる気がした。
松本清張は没頭して読み続けると、
なんとなくその世界から現実に戻るのに、
少しタイムラグが生じる。
もちろん目は目の前の壁なり、
家具なるを見ているのだが、
頭の中は今読んでいた世界で、
完全に支配されてしまっている。
現実の目の前の世界を、
しっかり認識するのに幾分時間がかかる。
それほど松本清張の文体と、
ストーリーの進め方が秀逸ということだろう。
本から目を離して、
現実の世界へ自分を引き戻していくには、
季節がらサンマを焼くのがいいかも・・・。
秋刀魚を焼く匂いが鼻を刺激して、
脳みそを包み込んでいけば、
どこかで清張の世界よさようなら・・・、
なんて気分になるんだと思うね。
さんま苦いかしょっぱいか・・・。





登校の靴音高し二学期よ

猛暑の夏が終わって、
二学期が始まる。
しかし、オミクロンの影響で、
学校ごとになんだか、
二学期の始まりの日程が異なる。
公立と私立ではかなりズレて始まっている。
コロナで一学期の休日が増えた分、
夏休みが短縮されたパターンが結構ある。
8月31日を待たずにはじまっところが多い。
こんなところにもオミクロンの影響ってあるんだなと思う。
コロナ以前の二学期の風景は、
9月1日の朝になると、
一年生の甲高い声。
上級生の笑い声。
いろんな声が通学路から聞こえてきて、
そこに季節感があふれていた。
自分が高校生になった時は、
革靴というのがようやく慣れてきて、
二学期からまた履いて登校、
というのがなんだか新鮮だった。
今はもう履く靴もまちまちで、
そういう雰囲気は全く消えていますが・・・。
今は猛暑の時代、
新学期になってもなかなか大変な時代だ。
これからオミクロンの流行がどう転んでいくのか、
それによって学生たちの運命も変わるね。
コロナ前の画一した学生の世界とは、
変わっていくんだろうな・・・。



主催者吟


父の背を追う夢覚めて秋の雨

終電車逃し見上げる朧月

落ち蝉を咲けて闊歩すピンヒール

登山道整備の古老雲の峰

秋晴れやギター合奏ズレもよし



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