渡辺さんの俳句傑作選


2023年 3月の俳句

セクハラやモラハラばかり菜の花忌

パラハラ、モラハラは、
今やニュースでも普通に出てくる言葉になりました。
この言葉を聴くようになったのは平成からかな。
昭和の時代ではほぼ聞いたことがなかった。
学校の運動部なんかパワハラなんて普通にあった。
先輩には口答えもできなかったですよね。
そこでいかにこれらをかわしてうまく立ち回るか、
特に運動部では、このあたりの立ち回りが、
自分の立ち位置を守る重要な要素だった。
特定の先輩からはよく嫌味を言われてましたが、
そこでうまくかわしていかないとダメなんですね。
パワハラ、モラハラなんて言葉は、
なかった時代と言えばそうなんですが・・・。
でもそういう体験というのは、
社会に出ても役にはたった。
受けきれなくてダメになったやつもいたけれど、
総体的にはみなうまくかわしながら部活をしていた。
平成、令和と時代は流れて、
テレビでもちょくちょくこの言葉が流れるようになった。
最初聞いたときは、
どういう意味か分からなかった。
パワハラ、モラハラってなに?
みたいな感じだった。
昭和の時代はこういうことを、
うまくかわしていくのが世渡りだった気がする。
昭和の時代は子供のころから、
そういう体験を通して、
世渡りというか先輩後輩の接し方を、
自然に学んでいた気もする。
今の時代そういう体験もなく世の中に出ていくから、
すぐに人間関係でぶつかる。
そしてこの言葉があぶり出されてくる。
最近フィギュアスケートのコーチ同士の裁判が決着した。
パワハラ、モラハラをめぐっての裁判。
裁判が悪いわけではないけれど、
当事者たちの問題解決の度量が、
欲しいっちゃ欲しいですよね。





多事多難三年ぶりに山笑う


コロナ禍で過ぎた三年間、
なんだかコロナも五類に引き下げられ、
それでいいのかと、つい突っ込みたくなるような、
政府の会見・・・。
なんとなくほんとに信用していいのかと、
半信半疑以上に疑って聞く人も多い気がする。
マスクも個人の判断に任せるという、
なんとも丸投げ的な話。
三年間脅されてきて、
突然、大丈夫だよ~~~ん・・・、
って言われてもなんだかしっくりこない。
最初の段階で志村けんがコロナで死んでしまったり、
感染して苦しむ姿をテレビで見てしまうと、
その印象が強くて、
どうもマスクを取ればと言われても、
そうだねと言って簡単には外せない。
五類に引き下げた途端、
東京都の感染者数が異様に減ってきた。
これってなんだか都合よすぎるんじゃないと、
なんだか言いたくなるけどね。
病院なんかでは今でも戒厳令下の状況みたい。
病室での面会は謝絶されていて、
看護師さんとか事務の人たちも、
しっかりマスクをしていて気軽な感じじゃないね。
個人の判断にゆだねるといっても、
早々簡単にマスクを外すなんてことはできない。
道行く人、マーケットにいる人、
すべてマスクしてる。
道を歩いていてマスクをしてない人に出会うのは、
一人いるかいないかの確立・・・。
みんな刷り込まれた恐怖を、
一気に捨て去るなんてことは、
できないんじゃないかなぁ・・・。
もうコロナに関して、
国の会見ではけっこう軽い雰囲気だよね。
コロナの出始めの時もなんだか軽かった。
終わりの方もなんだか軽いですね・・・。





供与する戦車のニュース冴え返る

ウクライナ、ロシアの戦争も終わりが見えないですなぁ・・・。
プーチン氏の振り上げたこぶしは、
まあ、下りることはないね。
それにしてもアメリカなりドイツなり遅いね。
供与する武器も小出しにちょこちょこやっている。
これでは決着がつくわけもない。
見てると、
ロシアが負けてしまっても困る、
ウクライナが負けてしまっても困る。
両股スタンスなんですよね。
ロシアが完全に負けてしまっても都合が悪い。
ウクライナが完全に負けてはさらに悪い。
ようするに小出しにして、
両方負けないようにしてるわけですよ。
このパターンは長引きますよ。
小出しにしないで圧倒的物量で攻めれば、
あっ!という間に決着はつきますね。
ロシアが言う「この戦争を長引かせてるのは西側だ」
当たらずとも遠からずなんですね。
援助をやめればロシア勝利で終わり。
西側諸国が圧倒的物量を一気に援助すれば、
ウクライナの勝利で決まる。
どれも選択肢に入ってなくて、
だらだらやってるわけですよ。
この西側の態度は、
ウクライナの人たちにはたまらんですよ。
蛇の生殺し状態といったほうがいいのかな。
戦車の供与にしても、
四台五台となんだそれ状態。
それzれの国がそれぞれ申し出るけど、
いつになるんだか分からない。
言うだけってパターンが多いんだろうな。
いわゆる体裁を整えるってこと・・・。
本気でやる気はないけど皆の手前ってこと。
来年までやってるかもしれない・・・。





マッチングアプリ始めて雛納め

最近よく耳にするのがマッチングアプリ。
昭和の前半の人間にはピンとこない。
テレビではこのマッチングアプリで知り合って、
なんと結婚した、なんて話が出てくる。
昭和の時代では、結婚相談所というのが全盛で、
近所のやりて婆が口利きをしたなどの話をよく聞いた。
今、結婚相談所なんて話は聞かなくなった。
「ねるとん」なる番組も一世を風靡してましたね。
裏番組には「恋のから騒ぎ」とか、
今では全く影も形もなくなりましたが、
ほとんどが過去の遺物になってしまいました。
そして今や「マッチングアプリ」
よく知らない相手と会ったりなんだりするって、
怖くないのかなと思うのですが、
今どきの若い子ってなんだか平気ですね。
それほど若くないおじさんおばさんも使ってるみたい。
某有名女流タレントの方も、
このマッチングアプリで知り合った、
15歳くらいだっけ年下の男性と、
上手くいっているという話を、
テレビで堂々としていた。
街中でインタビューをしたりしているカップルでも、
マッチングアプリで知り合ったとか言うのがけっこいる。
臆面もなくって思うのは、
自分が昭和の感覚だからなんだな・・・。
昭和は遠くなりにけりを実感するね。
若い時は自分が親より新しいと思っていた感覚が、
今や自分の感覚が古いと思われてるわけよ。
なんだかすべからくがそうなってくると、
なんだかあの世も近くなったかも・・・。
マッチングアプリって、
危うさっていうのはないのかな・・・。
昭和人にとってはどうも理解を越えてきてるね。
なんだかスッキリ受け止められないけど、
今どきの子に話を聞くと、
特に引っ掛かりはないみたい。
日本人の宇宙飛行士が月に降りるかという時代。
昭和人の感覚がついていけなくなるわけですよ。





白内障手術の後の犬ふぐり


白内障の話は多いですね。
まあ、ほとんどの老人が羅漢する状況なんですね。
手術自体は至極簡単なもんで、
年齢が若いと入院もなしなんですね。
ただ見にくい状態はかなり改善されて、
パッと視界が開かれるそうです。
車の運転をする人は、
早々に手術を受けてしまうようです。
昼間はいいけど夕暮れ時は、
なんだか危ないという話を聞いた。
そういえばこの犬ふぐりという花は非常に小さい。
この小さい犬ふぐりの花も、
手術によってしっかり見えるようになる。
細かい視力が戻るってことですね。
細かい視力が戻ると一番気にあるのが、
今までぼんやりしてた顔が、
異様に明確に見えるようになるということです。
自分の顔でもギョッとするらしい。
一番激しいのは外を歩いていて、
大きな窓ガラスをひょいと見た時、
「どこの老人だ?」と思うと、
自分だったという、
なんだか笑えないエピソードも・・・。
きれいな人だなと思っていた人が、
良く見えるようになったおかげで、
イメージが変わってしまった、
などという話も聞きますね。
思われたほうは、
大きなお世話って気もしますが・・・。
医術の進歩はやはりありがたいですよね。
昔だったら白そこひという感じで、
盲目になっていたわけで、
それが簡単な手術で、
視力を回復できるようになってるわけで、
長寿になった日本人にとって、
神からの贈り物って気がするくらい重要です。
白内障の個体数は寿命が延びれば、
確実に増えていきますが、
この手術がかなりの救いとなりますよね。





主催者吟


卒業の思い出恋の終わりとか

公園の親子飛び跳ね冬日和

深き藍冬空カット飛行雲

薬飲む頬にほんのり雛の風

薄着して足取り軽く山笑う



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