渡辺さんの俳句傑作選


2023年 10月の俳句

朝倉の栄華の跡は大花野

栄華という言葉ですぐ連想するのは、
ジャニーズ事務所ね。
ただ違うのは栄華の跡は、
大花野には絶対にならない。
むしろ殺伐とした枯野が広がりそうだ。
一木一草すべてを枯らしてしまった大将は、
今頃あの世で高笑いかも・・・。
やりたい放題やって、
さっさと去っていったわけで、
なんら恥もなくってところだ。
それにしても今回のジャニーズ騒動は、
日本の忖度文化の集大成みたいな感じ。
テレビをはじめとする報道機関は、
週刊文春以外はすべて口を閉ざしていた。
北公次氏の告発にもおおむね無視。
結局イギリスのドキュメンタリー番組が放送されて、
はじめておっとり刀で動き出した。
日本の外圧で動く文化が、
今回、遺憾なく発揮された格好だ。
江戸幕府終焉の時も、
アメリカの外圧によって動いた過去がある。
日本の民主主義も戦争に負けて、
はじめてアメリカによってもたらされた。
日本の忖度文化は自浄作用を、
発揮させることがない。
それにしても犯罪文化が浸透していた事務所が、
これほど大きく日本の芸能界を、
牛耳っていたのかと思うと、
芸能界という世界が、
いかに恐ろしい文化を内包していたかが、
分かるというものだろう。
もしイギリスの告発ドキュメンタリー番組がなければ、
この先も犯罪を許したままジャニーズ事務所が、
日本の芸能界を席巻し続けたかと思うと、
普通の人が近づいてはいけない世界の、
筆頭になるだろう。
ジャニーズ事務所崩壊で次に台頭するのはどこか。
必ず次が出てくるんですよね。
ジャニーズといいビックモーターといい、
やり得文化は日本の底流を、
深い闇に包まれながら、
流れつづけるのかな・・・。





ミッキーの声真似をして秋祭り


ミッキーマウスは、
ほとんど永遠のアイドルって感じ。
昭和世代から連綿と続く、
廃れることのないアイドル・・・。
ミッキーマウスの後を追っているのが、
ポケモンのピカチュー。
これも根強い人気があって、
いまだにその人気は衰えない。
はたしてその人気はどこまで続くのか・・・。
昭和世代の戦後派には見届けられないかも。
ミッキーの声真似ということが、
この句には声真似とありますが、
ミッキーはそもそもアメリカ人の、
ウォルト・ディズニーが描いたアニメ。
もともとの声をまねするのか、
日本版の吹き替えの声真似をするのか、
オリジナルの声質は少し低め、
日本版は少し高め・・・。
どちらの声を真似してみるのか。
たいした問題ではないという意見もあると思うが、
日本に上陸してディズニーランドでも活躍する、
永遠のアイドルといえるミッキーマウス。
この声の行方は若干興味津々・・・。
ディズニーランドでは、
声は出さないみたいだけど。
ミッキーマウスは日本の戦後、
まだ日本にアニメ文化がない時から、
津々浦々で活躍してきてる。
妹まで出現したからね・・・。
日本の復興期とともに、
ミーッキーのデザインされたものが結構あった。
不滅のキャラクターかな。
あと追っているのがポケモンピカチュー。
これから令和時代は、
この二大アイドル界の巨匠が、
席巻していくのかな。
ミッキーの声真似ができるのは、
結構昭和世代かもしれない。
平成世代や令和世代は、
ミッキーの声って、
あまり聞いたことがないんじゃないかな・・・。





キャリーバックゆっくり引いてななかまど

コロナも解禁になって、
旅行というキーワードが、
いよいよ発揮されてきてますね。
旅番組が増えてきたのと、
旅をいろいろ紹介する番組も増えてきている。
コロナ全盛のころは、
旅という単語は口に出しづらい・・・、
そんな空気が世の中全体を覆ってましたよね。
ザックを背負って駅にいると、
なんだか視線を感じましたよ。
別に遠くへ行くわけでもないのですが、
なんだか特別な視線を感じたりしました。
そういう視線をなんだか体に感じつつ、
電車に乗り込んだりしてましたね。
出先から帰ってくる道中でも、
キャリーバックを引く速度を上げて、
自宅へ向かったりしましたね。
政府がコロナを普通の感染症にしてから、
なんだか旅行にも余裕が出てきた感じ。
キャリーを弾く音が時々聞こえてきますが、
前よりゆっくり引いていく音が分かりますね。
コロナ時代は特別だったんですね。
とは言え、今コロナが消えたのかというと、
そんなことはない。
いまだ立派に空気の中に、
生存を続けているのです。
ただワクチンが行きわたったことで、
政府に安心感が広がってるんですね。
旅行番組もどんどん増えて、
ここぞとばかりテレビ番組になってます。
その反面、感染は少しづつ広がっていて、
変異株も出現している。
これから冬に向かっては、
少し用心した方がいいのかな・・・。
なんと真夏にインフルエンザが流行しているという。
コロナに感染症の地位を譲らないという、
強い決意を感じますね。
ウィルスの世界にも生存競争があるんですかね。
今は双方せめぎ合っている。
これから冬に向かって、
どちらに凱歌が上がるのか。
なんだか注目していく価値があるかも・・・。





どんぐりの転がっている無縁墓地

今全国で問題になってるのが無縁墓地。
都市部に住んでいる人たちのご先祖の墓というのは、
地方にあることがほとんど。
知り合いにも地方から先祖代々のお墓を、
移動してきたという話を聞きます。
例えば東京近郊に住んでいて、
遠い地方のお墓をお参りするというのは、
かなりの負担になるんですね。
まして年齢がいって高齢化してくると、
これは難行苦行の世界になるんですね。
地方にあるお墓を墓じまいして、
少しでも近場に引っ越し・・・。
これもなかなかお金がかかるので大変らしい。
親族の所在がはっきりしてる場合は、
まだいいのですが、
もう誰のものとも分からないお墓も、
かなりあるようですね。
いわゆる無縁仏・・・。
なんだかこの単語自体に、
なんとも言えない寂しさが漂ってますよね。
管理する親族が絶えてしまった場合もあるようです。
代が進んでだれも見向きもしなくなる場合も・・・。
昭和世代は、まだ親の世代を見てきてるので、
多少関心は寄せてるようですが、
平成、令和世代になると、
もう存在すら意識外になっていくようです。
人の気配が消えた墓地に転がるどんぐり・・・。
なんだか秋風が吹くさまは、
寂しさの極みですね。
地方に行くと村自体の存続も厳しくなってるようです。
村が無くなればお寺も廃寺になってしまう。
下手すると墓地全体が、
無縁仏になる可能性もありますね。
少子化が進んでいけば、
こんな状況も増えていくことが分かりますね。
昭和世代もなんだか悩ましい・・・。
自分の後始末をどうしていくのか。
どんぐりの転がっている風情を想像すると、
暗澹たる気分になりますが、
いつの世も現実というものがあるんですね。
なんともはや・・・ですね。





育児書をあれこれ読んで竹の春


育児書という単語も聞かなくなって久しい。
娘が生まれた時は分厚い育児書を、
いろいろめくって読んだりした。
大きくなるにしたがって、
だんだん読まなく放っていくんですが、
大掃除をしたりしてる時に、
ふいにこの本が出てきたりする。
付箋が沢山付いて、
一つ一つページをめくっていくと、
懐かしさとその時の必死が懐かしく、
よみがえってきますね。
母親も出産当初はくたびれてますが、
だんだん子供が成長するに従い、
エネルギーが充電され、
なんだか信じられないくらいのたくましさに、
成長するんですね。
お父さんというと、
まあ、あまり変わらずですね。
育児書時代は、お父さんも母親に負けずに、
育児書をあれこれめくるのですが、
だんだん母親が元気になるにしたがって、
育児書をめくる回数も減ってくるんですね。
育児書も小学校くらいまでかな。
それ以上に成長すれば、
なんか変調があればすぐ医者に飛んでいく。
なんだか救急車まで呼んだりする。
えっと思うお父さんをしり目に、
母親はもうおかまいなく呼んでいる。
なんだか迫力が違うんですね。
なんだかその迫力に圧倒されていくわけですよ。
母は強しを実感させられますね。
大人になってもお母さんが一番なのは、
なんだか納得させられます・・・。
母の日と父の日を比べてみても、
けっこう分かるんですよ('◇')ゞ
我が家の育児書は行方知れずになって久しい。
なんだか探す勢いも失せている。
世話にはなったんだけど、
引くことがなくなったのは、
いいことなのかもしれないな・・・。




主催者吟


髭を剃る剃刀冷えて秋近し

秋雨や飛んでは止まる揚羽蝶

天を突くクレーンの先の赤とんぼ

街路樹の端の紅葉検診日

大喧嘩蟹大ばさみ秋近し



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