渡辺さんの俳句傑作選


2023年 11月の俳句

小春日の電子カルテがじれったい

電子カルテというと病院ですな。
病院の検査に行って、
いろいろデータができるんだと思うのだが、
いざ診察室で医師と向かい合うと、
「まだデータカルテが上がってきてないな」
なんてことを言って、
なかなか本題に入れない。
「時間がかかりますか?」
なんてことを聴いたりしながら、
なんとも意味のない話で間をつなぐ・・・。
なんだかこちらはいらいらしてるのだが、
医師のほうは結構平気で、
なんだかんだ言っている。
検査データに、
なにかよろしくないことが出てると屋だなという、
なんとも言えない不安が、
時間とともに大きくなっていくわけですよ。
しまいには話をしながら作っている笑顔が、
なんとなく変形してくるのを感じる・・・。
こういう検査というのは、
ガザなんかの紛争地だと、
どうしてるのかなと思う。
どうしてるのかなって、
検査する医療機器も、
なくなってるんじゃないかと思うと、
検査もなく行き当たりばったりで、
薬を使って治療してるのかなと思う・・・。
こんな状態だと生きられる命も、
結果失われてしまうだろうな。
特に老人、子供はなすすべもないね。
テレビの映像に移る赤ん坊の顔を見ると、
やはり哀れを誘うよね。
攻撃してされて、
やってる本人たちはそれでいいかもしれないが、
巻き込まれる老若男女はたまらないよ。
相変わらず国連は機能しない。
悲劇が悲劇を生む連鎖は、
未来永劫続くんだろうな。
人間の愚かさの典型的な露出だな。
真面目な顔して双方テレビで語ってるのを見ると、
猿山のサルの喧嘩と一緒だなと思う。
人間も太古の動物と、
なんら変わらないというのがよく分かるね。





イケメンの大仏に合う小春かな


日本三大仏というと鎌倉と東大寺の大仏と、
牛久大仏、高岡大仏が入るそうな。
四大仏でもよさそう・・・。
鎌倉と東大寺の大仏はテレビでもよく出るので、
なじみ深いですが、
牛久大仏と高岡大仏は、
見たことある人は、
そうはいないかもしれないですね。
高岡大仏は本物を見たことがありますが、
光背輪があり堂々としたたたずまいですよ。
鎌倉と東大寺の大仏の規模ではないですが、
かえって親しみを感じますね。
牛久大仏は、
ちょっと威厳を感じさせる雰囲気がありますが、
高岡大仏はちょっと微笑んでるような、
優しい雰囲気がありますね。
まあ、これら大仏はこの世界では、
スターであることは間違いないかな。
高岡大仏に行った時は、
すぐ近くの喫茶店に入りましたが、
若夫婦が営んでるようで、
なんだか新鮮な雰囲気がありました。
帰りに外に出ると旦那さんは、
花をお手入れしていた。
奥さんは店内でお客さんにコーヒー出したり、
忙しそうだった・・・。
なんだかほほえましい光景だったことが、
印象に残っている。
そういう気分的余裕も、
大仏を見た後だったからかな・・・。
大仏の前に立ちまずそのお顔を拝観し、
下を向いて手を合わせる。
腕を下におろしてまた大仏様のお顔を拝観する。
手を合わせる前と後でなんとなく、
気分に差があるのは自分だけかな・・・。
大仏様の前を離れて歩き始めれば、
なんだか普段の自分にすぐ戻ってしまうんですね。
自分がいかに凡人かよく分かります(*^^)v
こういう大仏様のお顔を創る人たちって、
凡人じゃないね。
万人に認知させられる力を持ってるわけだから、
自分と同じなんて思っちゃいけない・・・。
こう書くと自分と同じじゃないということを、
確認してる気がするね・・・。






レモン三つお手玉をする小春日和

レモンの形というのは、
両サイドを結んだお手玉と似てますよね。
布を筒状にして小豆を入れて、
両サイドをふさげばお手玉になるわけです。
戦国の世、浅井長政の婦人、
お市の方が小豆を入れて両サイドを結んだ、
袋を信長に送って危難を、
伝えたという故事もありますね。
今テレビで放送している、
「どうする家康」でこの場面が放送されましたが、
小柄な女優さんが山越え湖のほとりを越え、
走りに走ってこの袋を届けて息絶えたという、
場面がありましたが、
この場面はなかなか良かった。
女優さんの名演技が光りましたね。
この時代劇ドラマの屈指の名場面だったと思う。
それにしてもこれによって、
旦那が窮地に陥るかもしれないというところで、
兄の信長に伝えたというのは、
戦国時代ならではの逸話かな・・・。
目の前にレモンが三つ・・・。
手に取ってみたいというのは、
自然な人間の感覚だと思うのですが、
三つを同時に手に取ってお手玉をする・・・。
三つでお手玉をするのは、
男だとチョイ無理なのではないかな。
三つを投げてお手玉をコントロールするというのは、
女性の手の感覚ですよね。
男だと三つあるレモンを二つ取って、
左右に投げ分けるのがせいぜいじゃないかな。
そういってしまうと元も子もないんですが・・・。
男で三つの投げ分けをするには、
そこそこトレーニングが必要かも・・・。
それが小春日和につながるわけですよ。
ひがな日当たりのいいところで、
すぐには絶対にできない、
三つのレモンを手に匂いをつけながら、
失敗してはまた試す。
なんだか隠居してる感じがないでもない。
しかし、男にとって日がな、
こんなどうでもいいことが無心にしてくれる、
貴重な時間になるんですね。
女性はさっさとできてしまうので、
この時間間隔は理解できないかも・・・。
おっさんならではの時間間隔なんだろうな。
なんだか寒くなってからの陽だまりが恋しいな・・・。





小春日の魔女は笑って猫を抱く

小春日の魔女・・・???
ウ~~~ン・・・ここではっきり言って委員会。
わが妻の顔をチョイ振り返ってみてしまう。
なんだか、なんだなかなって感じ・・・。
意味も分からず笑って、
猫なんか抱かれると恐ろしいね。
この俳句は昭和の時代に、
生を受けた人々の率直な感想って気がする。
昭和の夫婦は、
それなりに年輪を重ねてるわけですよ。
「あなただけが生きがいよ」
なんて言われて幾星霜・・・。
今やという感慨もって眺めるわけですよ。
今や意味不明となっている、
ほほえみを浮かべて我が家の潤滑油、
猫を抱いて笑いかけてくると、
それ自体がその昔は、
可愛いかななんて思えたものが、
令和に入ると意味が分からなくなっている。
厳しい人間のサガをまともに受けるわけです。
猫というのは大昔から飼われていて、
江戸時代もののドラマでは、
よく城の大奥の中に鎮座してる場面がある。
なんだかやりて婆の奥女中なんかの脇に、
ゴロンとしてたりするわけですよ。
それに向かって奥向きの坊主が頭を下げてたりする。
猫でもここまで上り詰めてると、
大の男が頭を下げてるわけですよ。
野良猫とは全く違う階級って感じの、
お猫がいるんですよ。
昭和の魔女の膝に抱かれてる猫に、
まず掌でなでなで動作をしたりして、
ご機嫌を取ってみる。
それがなかなかいい反応だと、
顔を上げて次は魔女殿に、
にこやかに語りかける・・・。
これがいい潤滑油になるわけですよ。
この猫殿がいないと、
なんだか振り向きもしない、
なんてことがあるわけで・・・、
そう思うと猫一匹、
なかなか侮れない存在だというのが如実に、
悟らされるわけですね・・・(*^。^*)





合鍵を二つ作って小春かな


家のカギというのは、
なかなかの貴重品。
無くせば途端に家に入れない・・・。
いきなりホームレス状態に陥るわけですよ。
体中探してもないとなると、
まあ、呆然としますよね。
帰ってきてるわけですから、
行く場所もない・・・。
誰か返ってくるまで、
どこかで待つということになる。
近くに公園があればそこで待つ・・・。
喫茶店があればそこで待つ・・・。
しかし、近頃では公園でいつまでもいると、
なんだか怪しまれる・・・。
喫茶店といっても以前のような、
ちょっと広いゆったり席の喫茶店なんかは、
そうはない・・・。
ドトールとかスタバなんてお店もあるが、
なんとなく長居ができる雰囲気じゃないかな。
椅子もゆったりしてないよ。
昭和の人だったりすると、
こういう時の時間の過ごし方が、
いまいち分からない。
お店を覗いてみたりとか、
そういう行動がなんだかできない・・・。
夕暮れ迫るなんてことになったら一大事。
家族に慌ててメールしたところで、
煙たがれるだけかな・・・。
奥さんとか娘だといきなり怒られる。
優しく対処ってのはないね。
下手すると帰ってきても、
ぶつぶつ文句を言われかねない。
厳しい現実に直面するわけですよ・・・。
一番適切なのが皆が帰る時間を見計らって、
散歩かな・・・。
日ごろの歩数かせぎを意識して、
駅の一つくらいはゆっくり歩く。
五千歩くらいはそれで稼げるわけですよ。
その数字が少し満足感を与えてくれるわけですね。
そして運命の帰ってきたかメール・・・。
これで帰ってきたメールが届くと電車に乗るんですよ。
まだ帰ってきてないとなると、
帰り道も歩くんですね・・・。
まあ、歩数はこれで稼げると、
自分に言い聞かせながらですよ((+_+))





主催者吟


秋の日のきらきら朝の退院日

紅葉に変わる林の歩のさやか

終電車スマホの並び窓に月

人気無き公園群れる赤とんぼ

秋晴れや三筋に分かれ飛行雲



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