渡辺さんの俳句傑作選


2024年 1月の俳句

拘置所の面会室や水仙花

最拘置所の面会室といえば、
なんだか寒々しい感じをすぐ連想する。
罪を犯した人と弁護士の面会、
または親族との面会。
まあ、ひんやりした空気感ですな。
大体椅子が面会者と面会される側に一つづつ・・・。
分厚いガラスで仕切られてますからね。
温かみもなんにもない。
どっちにしてもあまり座りたくはないかな。
先日、松本清張の「顔」というドラマを見た。
最後がこの拘置所の面会室の場面で終わった。
なんだか最後があまりにも唐突で、
「あれ?」って感じ・・・。
なんだか原作もこんな感じなのかなと、
ちょっと疑問に思った。
なんだか物語を引っ張りすぎというか、
最後時間切れみたいな終わり方だった。
「ええっ???」っていう感じだけが残った。
配役がよかっただけに、
ちょっと時間にとらわれた感じ・・・。
テレビだから仕方ないのかな。
コマーシャル時間もあるし・・・。
ほんとに最後面会室に、
主人公の犯人の女性が入ってくる。
弁護士と向き合って、
ナレーションが入って終わり。
最後を急いだのかなって感じ。
テレビの刑事ものにはよく面会室が出てくる。
実際がどうなのかは分からないです。
テレビの情報だけでこんな感じかと推察しては、
いけないのかもしれない。
しかし、実際に拘置所の面会室に行けるわけもない。
実際を知らないで、
なにかを言うというのも、
いけないのかもしれないです。
しかし、この世の中テレビの情報が、
これだけ溢れれば、
その中だけでイメージを作り上げて、
そういうもんだという固定観念にしてしまう。
もっとも実際その席に座るようなことを、
しでかすというのも、
これはどうかと思う。
ま、想像の中でイメージ処理をしておいた方が、
よりよさそうですね。





七福神カーナビでゆく冬日和


七福神をカーナビで辿っていこう、
という話ですよね。
今のカーナビは凄いと聴く!
精度が半端ないらしい。
このカーナビの登場で、
とにかく道に迷うことがない。
しかし、時々合わないことがあるらしく、
カーナビに怒鳴ってるのを時々見る。
それでもカーナビは変わらずクールな声で、
道案内をしている。
このカーナビがないころは、
運転席の隣に座って道路地図をもって、
あっちだこっちだと指図する役割をよくした。
たまに間違えるとがみがみ文句を言われたりしながら、
道路地図とにらめっこしながら、
目的地を目指した・・・。
今や時代が違うね。
七福神も以前は、
地図の道案内を見ながらめぐっていた。
この七福神めぐりというのも各地にあって、
観光の一つにしているところもある。
身近なところでは、
お隣の区、港北区にある。
これも全部行くにはカーナビがないと無理だね。
今年は年初から天災や事故に見舞われる年。
地元に七福神があれば、
めぐってみるのもいいかもしれない。
去年年末は政治家のキックバック問題。
それを引きずったまま2024年に入ってすぐ、
震災と航空事故・・・。
なんだか不穏な年の始まり。
これから何が起こるんだろうと、
ちょっと辰年をいぶかしく思ってしまう。
なんか身を引き締めなければいけないんでしょうね。
聞き慣れた七福神といって、
簡単に受け流してはいけないのかもしれない・・・。





冬日和行人坂にインド人

最近、東南アジア系の人を、
よく見かけるようになった。
以前は白人の人を多く見かけては、
外人さんだ、なんて思っていたのだが、
ここ十年で白人さんはもう当たり前って感じで、
あまり外人さんだという強い印象はなくなった。
むしろ東南アジア系の人とか黒人の人とか、
そういう人を多く見かけるようになって、
「外人さんだ」と思うようになった。
白人の方を珍しく見ていた昭和の世代は、
もう古いのかもしれない。
昭和人の子供のころは、
アメリカ人を見ると、
あっ!外人さんだと強い印象を持ったものだ。
ハーフの子なんか見ると、
ほんと珍しく見ていたもんだが、
今やもう完全に日本人の中に溶け込んでいて、
珍しくもなんともなくなっている。
むしろ東南アジア家の人とかアフリカ系の人が、
外人さんだと思ったりする時代になってる。
やはり電車の中で見かけると「あっ!」外人さんだと、
思ってしまう・・・。
ただとにかく驚くのはアフリカ系の方のスタイルの良さ。
一歩の歩幅の広さ・・・。
なんだかこちらが三歩歩くのに、
あちらは一歩でしかない・・・。
ちょっと陸上競技ではかなわないかもしれないと、
強く思い知らされる感じ・・・。
これからの子供たちは、
もうこういう人たちも外人さんとは、
特に意識しなくなっていくのかもしれない。
こうしていくうちに、
日本も多民族国家になっていくのかな。
人口減少国家の宿命で、
これから100年の間に多民族国家になっていって、
純然たる日本人というのは、
消えていくのかもしれない。
この先、俳句で読まれる外人さんとは、
どういう人を指すようになるんだろうと、
思いますね。





人日やATMと喧嘩する

昭和の前半、とはいっても太平洋戦争後生まれ。
その頃の人たちが今いろいろ世の中のIT化に、
なんだか翻弄されてる感じ。
団塊世代筆頭の人たちはそろそろって感じの年頃、
その次の世代がそろそろ古希を越える年代。
時の流れは速いといっても、
この団塊の世代の幼少期からすると、
けっこう長い年月が経ってるんですよね。
テレビの創成期からの年月を顧みるに、
今のIT化の流れは脅威ですね。
テレビが出てきたときはほんと面白かった。
最初はどこもなかなかテレビは買えなくて、
町内にあるけっこうな邸宅にあるテレビを、
子供たちが見させてもらってた。
けっこう気楽に見せてくれた。
そしてテレビが各家庭に入り、
テープレコーダーなんぞができて、
ウォークマンが出てきて、
世の中がはっきり変わってきた。
親の世代はなんだかついてけないという雰囲気。
そして世の中はさらにどんどん進んでいき、
団塊の世代もなかなか理解に苦しい時代に入ってきた。
いろいろ連絡するのにガリ版を使って印刷していた時代。
鉄筆なんてもう死語だな・・・。
卓上の和文タイプライターが出てきて、
ワープロが出てきて、
パソコンが出てきた。
この期間というのは、
あっ!という間のような気がする。
目まぐるしく変わっていく世の中に、
昭和生まれは合わせるのが大変
銀行で現金を下ろすのも機械化されて、
自分で操作しなければならない。
なんだか思うようにいかないとカッ!とするんですね。
相手が窓口の女の子だと、
文句を言っても反応がある。
しかし、相手がATMだと、
自分だけカッカ!する独り相撲・・・。
はたから見れば滑稽に見える。
若い連中を見ると何かあっても、
クールに対処している。
昭和世代とのギャップを感じるね。
七草を愛でる平成、令和世代は、
少数派なんだろうな・・・。
とりあえずスーパーには七草は売っている。
数は少ない。
生きているうちに消えることがあるのかなぁ・・・。





人日の宝くじ買う長い列


宝くじといえば年末ジャンボ。
妻に頼まれて10枚ほど買った。
当たるわえないとぶつぶつ言いながらも、
買い物帰りにかってきた。
絶対に当たらないと断言して渡すが、
妻は「こういうのは夢だから」と言い返す。
自分自身は買わなかった。
それにしても買う人は多い。
けっこう並んでいる。
これだけ買う人が多いのかと、
少々びっくりして自分の順番が来ると、
十枚と言って買う、
慌てて連番でという・・・。
連番で買えば300円くらいは当たる。
まあ、小さい話だが、
それでも買う人にとってはいいらしい。
ところがなんということだろう。
その買った宝くじが当たったのだ!
まあ、金額は大したことはないのだが、
妻は大喜びしてる。
瞬間、当たるなら自分で買えばよかったかな・・・、
と、少し悔しい気分にもなるが、
そういうことは言わない・・・。
負け惜しみに聞こえる可能性大だ。
やはり当たったと喜ぶ妻を横目で見ながら、
泰然自若静かにテレビを見る。
しかし、心の本の隅に、
なんとも言えない悔しさは残る。
サマージャンボは買おうかな・・・。
宝くじは買わないという決意がいきなり揺らぐ。
しかし、SNSニュースに書いてあった、
金が残る人は宝くじは買わないという記事が、
頭を駆け巡る。
妻はうろうろしながらご機嫌だ。
こういう正月風景はなんなんだろうな。
大地震あり、航空機事故あり、
なんだか大変な正月風景なのだが、
宝くじがちょっと当たったくらいで、
そんなに喜んでいいのか・・・。
まあ、何を言っても愚痴っぽく聴こえるから、
この辺で書き仕舞い・・・(*ノωノ)
大変な年の始まりになりましたね・・・。






主催者吟


冬枯れの病院の森バスを待つ

遥かなる雪山沁みる懐かしさ

ブランコを押されはしゃぐ子落ち葉舞う

着膨れて朝のラッシュや検査行く

落ち葉踏む心の淀み消えにけり



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