渡辺さんの俳句傑作選


2024年 4月の俳句

リハビリの試歩恐々と青き踏む

病院に入院なんてことは、
まず気分的に明るいということは皆無です。
ジトーッとした気分に全身包まれるわけですよ。
なんでこうなるのというなんとも言えない後悔。
まあ、結局くはあきらめの境地に至って入院。
入院の手引きなんてのがあるんですね。
一つ一つ確認して準備はできた。
さあ、という勢いをつけた気分で、
家を出る・・・。
どんな地獄が待ってるのかなぁ…、
なんてことを考えてるわけですよ。
人生における最大の谷間、
なんてことを考えながら、
病院のドアを開けて奥に入っていくわけですね。
まあ、入院だから病室のベッドを、
案内されて、あてがわれるわけですが、
まあ、ベッドひとつのスペースというのは、
なんとも狭い・・・。
最小限に荷物しか持ってきてないから、
それでもいいわけです。
これからどこまで続くこのベッド生活。
なんて考えてると、
退院間近の日がやってくる。
入ってくるときは、
もう出られないんじゃないか、
なんてことを意外に真剣に、
考えたりするのですが、
大丈夫です!
その日は来ます。
しかし、ベッドに横になってる時間が、
長かったことを考えると、
(歩けるのか)という不安が頭をよぎります。
病室を出て廊下の端に行って、
元気を出して反対側の端まで歩いてみる。
するとすれ違う人あり。
うん・・・と、振り向くと、
やはりお年寄りが歩いている。
端までいくとUターンしてまた歩いている。
まあ、やはり入院してると歩けるかどうか、
不安になるもんですね。
いずこも同じ心理なんですな。





イケメンの獣医ニタニタ燕来る


最近回りではペットを飼う人が、
増えてきた気がする。
猫派、犬派と別れるわけですが、
鳥派というのもあるんですよね。
ただどんなペットも買う人より、
だいたいは寿命が短い。
死んだペットの話を聴くと結構つらい。
長年家族同様に親しんできた仲を、
いきなり裂かれてしまうと、
寂しいし悲しいですよね。
家族としての年月が長くなれば、
人間の家族を失うような悲しみですね。
かつてオカメインコを買ったことがあって、
そのインコが死んだときは涙が止まらなかった。
もうペットを飼うのはよそうと、
決心した瞬間でしたね。
雛のうちからエサをやり、
出かける時は籠を持ち歩いたりして、
育てた後で死なれると結構つらい。
獣医にも見せましたが、
なんだかわけわからないという感じ・・・。
帰ってきてなんだか当てにならないなと、
思った記憶がある。
獣医といっても、
すべてわかるわけでもないんだなと、
変に悟った瞬間でした。
病気のペットを見ながらニタニタとは、
なんだか心寒くなる情景ですね。
まあ、獣医にも色々いますが、
具合の悪いペットを前にして薄ら笑いされると、
(この野郎!)と、怒りが湧いてきそう・・・。
ニタニタという表現を見ると、
ここでいい気持ちはしなかったということですね。
いろんな情報を集めて、
選んだほうがよさそう、
人間の医者でも同じですかね・・・。





満室の桜田ホテル夜寒かな

桜田ホテルというと、
さくらが沢山見られるホテルということだろうか、
ネーミングからしてそう思いたいホテルではありますね。
単純に自然がいっぱいという比喩なのかもしれない。
どんな状況にあるホテルなのか、
想像を巡らせるしかないかな。
どっちにしても満室ということは、
人気があるということだろう。
しかし単に満室ということで、
これはどうなんだろうと思うと、
外人さんの観光客が増えて、
どこもいっぱいなのかなという想像がまず来る。
外人さんというとちょっと前は中国人ね。
あっちを見てもこっちを見ても、
中国のツアー客でいっぱい。
何年か前知床に行ったことがありますが、
有名どころでは中国発の人でいっぱいだった。
最近はアメリカ、ヨーロッパ、
オーストリアの観光客も増えているみたい。
経済発展著しい東南アジアからも、
かなり来てるみたい。
なんだか地元の日本人が、
はじき出されてしまってる感じ。
日本にいて日本の名所に行けない、
という事態になってますね。
京都難かラッシュですよ。
ほぼ外人ですね・・・。
日本人は結構探さないと分からない。
中国の人ともくべつ付きにくいし・・・。
値段を考えても日本人が、
気楽に泊まれるようなホテルはないかな。
外人さんんほうがお金になるってことかな。
すごい時代になりましたね。





理科室の天球儀みて卒業す

3月は卒業式シーズン。
はるか遠くになってしまった感のある学校卒業式。
一番印象に残ってるのは中学の卒業式かな。
やはり小学生から中学生になり、
自我意識が強くなって、
両親になんだか意味も分からず、
反抗的な気分を持ったり、
好きな女子生徒ができたり、
なんだか気分に変動の大きかった、
年ごろというのかな・・・。
卒業式の時一番寂しさを感じたのも、
中学の卒業式だった。
高校生になるとだいぶ気分的にも、
変わってきていて、
中学生の時のような新鮮な気分というのは、
あまりなくなっていった。
そういう意味では、
ちょっと大人の精神が入ってきたのかな。
天球儀が出てくると、
これは高校以上の卒業式だよね。
自分をめぐる世界が広くなってきて、
一抹の不安と期待・・・。
小さな範囲で考えていたことが、
一気に広がって地球全体、
そして今や宇宙にもその思考が広がっていく。
街工場の集合体でロケットを飛ばそうという時代。
今回はうまくいかなかったようですが、
近いうちに成功すると思う。
今卒業式を終えた若者は、
地球を離れて宇宙に出ていくかもしれない。
宇宙戦艦大和は50年くらい前になりましたが、
宇宙に出ていくというのは、
もっと具体的になってきたと思う。
青年よ大志を抱けという言葉がありますが、
この言葉はすでに宇宙へという、
志に変わってきている。
そう思うね。





ママチャリでコンビニまでの春愁い


昭和前半生まれの者にとっては、
自転車に乗るということも、
ちょっと厳しくなってきてる。
ママチャリだと安定はいいのですが、
どうも人をよけたり車に注意したりが、
どうもいまいち自信が持てなくなる。
いやすでにそういう注意力を、
持ってるか自信がない・・・。
若いころは自転車通学など普通のことで、
荷物を片手に持って、
片手運転で通学したりした。
特に怖くもなかったし、
皆同じようなものなので、
どうってことなかった。
令和の時代になるとそうはいかない。
自転車に対してもいろいろ規制が出てきて、
その一つ一つを覚えなければならない。
まず覚えられるかが問題になる。
片手運転で車道を走ってると、
なんだか注意されそうだ。
自転車も昭和の時代より難しくなってる。
昭和前半世代にはたとえコンビニまでといっても、
ハードルは高くなっている。
自己でも起こせば批判されそうだ。
高齢化の車の運転と変わらない。
今の自転車は電動付きが普通になっている。
ママチャリといっても電動付きだ。
それほどスピードは出ないと言っても、
足漕ぎよりはスピードは出やすい。
自転車のコントロールも、
それだけ難しくなっているということだ。
自転車もそう気軽な乗り物では、
なくなってきたということだ。





主催者吟


礼拝堂少女のギター冬薔薇

起き抜けの春光まぶし夜なべして

街路樹のほのかに緑増えて春

暴風雨満開さくら散らし去る

せわしなく蟻ジグザグと春隣



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