渡辺さんの俳句傑作選


2024年 5月の俳句

母の日のラインスタンプの応酬

母の日なんていうと、
娘と母親が妙に盛り上がる。
こちらには何の盛り上がりのすそわけもない。
なんだか盛り上がってる母娘を横目に見て、
まあ、特に反応もせずにスンとしてる。
こちらの盛り上がらない表情に、
特に何の反応もない。
婦女子のこういう盛り上がりには、
どうもおっさんたる父親はついていけない。
プレゼントだカーネーションだのという言葉が、
こちらの頭上を飛び交っている。
この微妙な空気感はなんだ・・・。
これは毎年の父の日の、
なんとなく盛り上がらない空気感を、
引きずってのかもしれない・・・。
そんなことはほっとけと、
自分に言い聞かせてみたりするが、
どうもなんと言うか・・・だ。
母の日にはカーネーション、
父の日にはなんか花があるんかな。
父の日になにもないということもないのだが、
簡単なプレゼントが来ても、
なんだか盛り上がらない雰囲気。
母親はスンとしていてお言葉もない。
あれから20年以上の年月を感じさせる・・・、
この関係・・・。
それでも女の子は、
そんな微妙な雰囲気はものせず明るい。
今はラインというのがあるから、
外からのメールにもスタンプが送れる。
普段あるから適当にメール文に、
くっつけて送るのだが、
なにが娘から返ってくるだろう、
なんてひそかに期待したりする心持が、
なんだかいじましい('◇')ゞ
毎年母の日のスンが、
大きくなっているような気がしないでもない。
「気のせいだよお父さん」
なんて娘の声が聞こえそうだ。





春愁や体温計がこそばゆい


なんだか継続観察みたいなのが一つ増えた。
病院ってとにかくなかなか無罪放免にしてくれない。
検査の旅になんか出てくる。
そんなの気にするのかえ・・・、
なんてこちらは思うのだが、
検査していこうということになる。
検査の時には体温計なども出てくるのだが、
脇に挟むときにヒヤッとするんですね。
普段自宅だったら、
それほどなんとも思わないのだが、
病院だとなんだかヒヤッが、
脳みそのてっぺんまで届く緊張感がある。
ヒヤッがおさまると、
なんとなく脇の下に、
異物の混入感覚が大きくなる。
なんかこう肩を少し上下したりする。
こそばゆさというのがあるのかな・・・。
時間になるt看護師さんが体温計を見てくれる。
特に反応がないとどこかホッとしてるんですね。
それにしてもこの検査というのは、
気分的にはどう転んでも重い。
転んだらケガして
もっと重い気分になるのか( 一一)
今の時代、春というのは、
だんだん死語化してきている。
春愁という言葉は令和生まれの連中には、
ピンとこない季語になっていくかも・・・。
これからの時代俳句の季語も、
大変なことになりそう。
体温計という言葉は、
今になって大きな存在感になっている。
平成までは気にしたこともないのに・・・。
なんとも言えない寂しさってのはあるね。
春愁という季語は後期高齢者には、
特に沁みる季語だな・・・。





家族葬滞りなく夜の新樹

最近身の回りでも誰それが死去した、
という話を聞くようになりました。
最近目にとまったのは、
フジコ・ヘミングという女流ピアニストが、
死んだというニュースです。
それ以外にもクラシック、ポピュラーなどの、
死のニュースが増えてます。
昭和世代が親しんだ人が多いですね。
なんとなく一つ時代が進んだ気がしますよね。
訃報はがきが毎年切れ目なく来るようになると、
自分が何者かによって、
生かされてるんだなと思う。
死というものが、
基本自分でコントロールできないものだと思うと、
なんかの力によって、
今を生かされそして死なされると、
思いますね・・・。
その見えない力は何ぞやというと、
なんだか哲学っぽくなるし、
宗教がかってくるんですね。
人間目に見えないものに対しては、
あきらめるか何かにすがるか、
どちらかを選択するんですよね。
なにをどうしても死というのは、
避けることはできない・・・。
最近の傾向として、
家族だけの葬式が増えてる気がする。
芸能人の死でも家族葬で、
済ませたという記事が多い。
最後はもっとも近しい人たちに、
送ってほしいという本人の意向もあるのかな。
それを回りの人間が寂しいと、
感じるかどうかはまた別の話だ。
一人死ねば一人新しい生命の躍動が出てくる。
地球上のすべての生物は、
そういう生徒死を繰り返していく運命を、
背負ってるんですよね。





若葉雨人気者なるハシビロコウ

ハシビロコウという鳥がいる。
大きいくちばし、ギョロッとした目、長い脚。
それと、とにかく体が大きい。
一番不思議なのは一日中ほとんど動かない。
目はしっかり見開いているのだが、
動かない・・・。
ただ立ってるだけで疲れないのかな、と、思うが、
じっと見つめてもまず動かない。
特徴的な大きなくちばしで、
何を食べるんだろうと思う。
どうも自然界ではハイギョを食べているらしい。
餌のハイギョが水面に浮かんでくると、
一瞬の動きで拍っと食べる。
やはりこの目の鋭さは、
ただぼーっと立っている、
だけではないことが分かる。
体が大きいから動きずらいというわけではなく、
餌が足元に来るまで、
ひたすら待っているということだ。
待ちの剣法というわけだ。
このハシビロコウが、
ここのところ人気を集めてるそうだ。
なんだか動かないだけの鳥の人気が、
上がるというのはどういうこと・・・。
とにかくじーっとしていて、
がいやでざわざわしてても、
一向に気にするということがないらしい。
そういう鳥の人気が上がっているらしい。
とにかくせわしない現代社会。
常に何かに追われての息苦しさ。
立ち止まってゆったりというのも、
なかなかそうはいかない。
そういう現代社会の中から、
ハシビロコウを見てると、
動かないを見てるだけで癒される、
というのがあるかもしれない。
動かないをじっと見ているだけで、
ざわざわしてる気持ちが、
徐々におさまってくるというのか・・・。
自分の中に静寂を見つけるというのか・・・。
そう考えてみると、
ハシビロコウの静かな人気が、
理解できる気がする。





賑わいのヨガ教室や若葉風


最近のテレビで著名人の話として、
非常な窮地に立たされてしまって、
身動きが取れなくなってしまった状況から、
ヨガをすすめられて、
そこから心身ともに、
立ち直ったという話をしていた。
ヨガといえば発祥はインド。
4500年ほど前らしい。
気の遠くなるような古さといえるだろうか。
日本には空海が持ち帰ったようですね。
あまりの歴史の古さに唖然とするわけですが、
今や普通に日本人の生活の中に溶け混んでますね。
ヨガをやってるという話を聞いても、
特に不思議な感じもしないですし、
奇異な感じも受けないですよね。
実際にどんな効果があるのかは、
やったことがないので分からない。
ただ長年不調を訴えていた人が、
ヨガの教室に通い始めてから、
不調が好調に変わってきたという話は聞く。
減量にも効果があるということで、
実際に体重が減ったという話を聞く。
まあ、4500年経っても、
廃れずに存在するというのは、
並みのことではない気がしますね。
いつも体調が今いまいちで、
不調の帝王たる自分も、
実際にやってみたい気はするのですが、
独特の姿勢というか、
体の形ができるのかといわれると、
いきなり自信がなくなる。
体がコチコチに固いので、
ヨガでの姿勢ができないという恐れがある。
返って体の節々が痛くなるんではないかという、
なんとなくではあるが恐怖感もある。
まったく大丈夫だと言われてはいるが、
一歩が踏み出せないんですよね。
なんだかんだ一歩が大事だと、
普段言っている自分としては、
忸怩たるものがあるわけですが、
どうもなぁ・・・( 一一)





主催者吟


白つつじ沁みる故郷の停留所

親ツバメ雛奪われて去りゆけり

看護師の明るき声やつつじ咲く

絶え間なく土塁を穿つ春の雨

パソコンのセピアの写真父母と梅



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