渡辺さんの俳句傑作選


2024年 9月の俳句

蛇穴に入る書いてみる懺悔録

台風10号は粘りに粘って、
いろいろ災害をまき散らして去っていきました。
強力な低気圧なので、
腰、膝、その他の痛いところが、
一気に噴火してなんともはやでした・・・。
人生齢70歳を過ぎ、
いわゆる古希を過ぎてのことですが、
いろいろ自分の過去を振り返ったりしますね。
昭和、平成、令和にまたがって、
生きてきてるわけです。
昭和の思い出は昭和らしさがあり、
平成の思い出はまた昭和とは幾分違ってあります、
令和はまだ始まって一桁。
しかし、昭和世代にとっては、
そうそう人生の記録を綴る、
というわけにはいかない。
まあ、令和の道程は細っていくものですよね。
懺悔録という一言は、
昭和世代にはチト重いかな・・・。
大きな罪を持った人もいれば、
本の小物というほどの罪を持った人もいる。
悔い改めるということにおいては、
さして変わりがない重さだと思う。
書いて記すという行為は、
どこかに許しを請うという気持ちがあるわけで、
まあ、昭和世代はいまその状況にあるのかな。
誰しも半世紀を過ぎていけば、
懺悔すべき事柄のいくつかは、
しっかり胸の奥にしまわれているんですね。
その発露となる齢が古希過ぎてというころかな。
わが父は戦争世代だったのですが、
海軍航空隊にいて、
なにがあったかは語ってないんで、
分からないですが、
特攻隊の話がテレビに出ると、
「つらい」という言葉をよく言っていた。
若い年ごろで聴いていたので、
それがなにを意味するのか分からなかった。
今思うとそこに懺悔の意味があったのかもしれない・・・。
今思うとそれは聴かないでよかったかもしれない。
古希を過ぎていけば、
懺悔録は好むと好まざると存在していくのです。





竜胆や南アルプス天然水


リンドウは紫色をしたラッパの湯に咲く花ですね。
登山をしていると山間に咲いている花です。
背丈は低いですが、
がっしりした頑丈そうな花です。
皆アルプスの山に登山に行くと、
歩いてるところによく咲いてます。
陽にあたって綺麗な色合いが印象的な花です。
その昔には薬草として使われていたようです。
どんな病気に効能があったかは分かりませんが・・・。
しかし薬草としての資質があるということであれば、
今や売れ筋ナンバーワンかもしれない、
「南アルプスの天然水」の象徴といってもいいかも・・・。
なんで水が売られ始めたのか、
自分が子供のころは、
まだ都内でも井戸があって、
その水を飲んだりしていた。
世田谷という都内でも、
田舎に住んでいたということなのかな・・・。
井戸水は冬は暖かく夏は冷たい。
たらいに汲んでスイカをよく冷やして食べた。
水が売られ始めたころは、
なんで水なんだと思ったりした。
学校でも水道の水を飲んでいたわけで、
水は、ただという感覚が、
骨の髄まで沁み込んでいたから、
なんで水を買わなければいけないの?
という感覚だった・・・。
飲食店に入ってもまず水が出てきたりするが、
すべて、ただ・・・。
そういう感覚のところに、
ペットボトルに入った水が売られ始めたわけですよ。
けっこうびっくりして「なんで?」とい感覚。
平成、令和と時が過ぎてくると、
子供たちはペットボトルの水を飲むのが常識。
昭和の常識は令和の非常識、
という言葉がありますが、
この水に関しても言えることなんだろうと思う。
昭和世代の自分としてはなんと言うか、
水をかって飲むという行為が、
どうもしっくりこない・・・。
熱中症予防で水を飲みましょう、
というキャッチフレーズもありますが、
まあ、水筒に水道の水を入れて出かけるんですよね。
そういうところに平成、令和とのギャップがあるのかな。





デパ地下で出会う秋果の光沢よ

秋の果物、ぶどう、梨、これ代表ですね。
なんだかスーパーでもこれを見ると、
なんだかうれしくなるんですよね。
しかし、このぶどうにしても、梨にしても、
けっこうピンキリがあって、
高いとかなりの金額になるんですね。
今は、幸水に変わって豊水が、
けっこう勢いを持ってきてますよね。
出始めの頃は幸水なんですよ。
この幸水と豊水はやはり味わいに違いがあって、
まず見た目では幸水は少し小さ目、
豊水はどっしり地少し大きめですよね。
見た目の色合いも少し違いがあって、
この二つには味わいの違いもあります。
幸水は甘みが強いですよね。
ちょっと小柄なので、
一つ食べてもう一つという気分になります。
豊水は少し酸味があるのとがらが大きめなので、
一つ食べると大体満足感が出ますね。
ぶどうはさらに種類が豊富で、
デラウエア、シャインマスカット、巨峰など、
デラウエアは昭和世代には最も一般的かな。
シャインマスカットは高級ぶどうで、
そうは買えない・・・。
少し前にスーパーで半値くらいの安売りをしていて、
もう目が点・・・(*ノωノ)
真っ先に買い物かごに入れました。
安いから味はどうかと思いましたが、
間違いなく美味しい!!
妻には二つ買ってきなさいよ!!
と、恨みがましい一言を言われてしまった('◇')ゞ
巨峰も今はかなり出てますね。
今は種なし巨峰が主流かな・・・。
シャインマスカットはちょっと手が出ないというときはこれ、
やはり美味しいですね。
ぶどうというと、この種がちょっとうっとおしいと、
感じることは、よくありました。
一粒ごとに種を出さないといけないので、
面倒と感じることも多かったですよね。
そのせいか、最近は種無しがはやってるようです。
これは楽でいいです。
食べる速度も上がって次々口に入ります。
次々に口に入る感覚というのは、
なかなかいいんですよね。
口の中の空白時間が短く、
気持ち的な満足感が強いんです。
ニュースでシャインマスカット泥棒が、
横行してるということです。
許しがたい!!
これは、なんだか美味しい味覚を、
阻害されたような気分になりますね。





籐椅子や頑固一徹父の背骨

父親が籐椅子に座ってる姿を見ると、
なんだか近寄りがたく、
なんとなく遠回りで部屋に戻ったりしてましたが、
なんだか昭和父親って、
口数も少ないので怖く感じましたね。
今、令和の時代になって籐椅子というのが、
どれほどの存在感を持ってるのかなぁ・・・。
籐椅子に座って新聞見てる父親の姿というのは、
今は一般的ではないのかもしれない。
昔ながらの籐椅子というのも最近ではないらしい・・・。
父親とか、おじいさんが籐椅子に座って、
新聞を読んでいるという姿自体が、
最近の子供の映像の中には、
ほぼゼロということらしい・・・。
まあ、これだけインターネットが進んでくると、
ニュース記事自体がスマホで見られてしまうので、
家で新聞を広げて、
じっくり読むなんて文化もすでにないかも・・・。
この頑固おやじという父親像も、
今や死語化しつつある。
平成から令和にかけても父親像というのは、
物わかりのいいお父さん像ですよね。
昭和の父親像は怖いというイメージが強く、
言いづらいことは母親を通していったりしてた。
今やもう子供の言うことは、
素直に聞く物わかりのいいお父さんが主流だ。
昭和のドラマ、寺内貫太郎一家は、
令和ではまず無視されるドラマだな。
ちゃぶ台返しも、すでにちゃぶ台はない。
ちゃぶ台返しをするお父さん像というのは、
もう死滅している・・・。
そういえば籐椅子の形状も、
ずいぶんと変わっているようだ。
昭和世代の自分がインターネットで見てみると、
イメージが全然違う・・・。
籐椅子ってこんな形だったっけ・・・、
てな感じを持つのです。
頑固爺とか頑固おやじが座る感じではなくなっている。
こういうところを見ても、
昭和は遠くなりにけり、
っていう感慨を深く持つね(/ω\)





血圧を自己測定しそぞろ寒


病院に検査しに行くと、
順番を待っている間に、
備え付けの血圧測定機に、
入れ替わり立ち代わり腕を通す人が来る。
目を伏し目がちにしてジッとしている人。
少し上目にしてボケッとしてる人。
少し怒ったように差し込んだ腕のほうをにらんでいる人。
なかなか様々な表情がみられる場所でもある。
出てきた結果を見る人の表情もいろいろある。
なんだか驚いたような表情をする人。
眉間にちょっと皺をよらせて、
ジッと結果を見る人。
血圧というのは高いと表情は曇る。
その数値には、医者も気にするところだ。
若いころ血圧測定器を買ったことがある。
何で買ったのか詳細は覚えてないが、
まあ、とにかく勝って測定したりしたんですね。
自分自身は血圧は低いので、
特に数値に問題は出なかった。
そのうちこの血圧計も、
どこかに行ってしまった・・・。
回りのある程度年配の人に血圧の話をすると、
降圧剤を飲んでる人って多いですね。
同じ兄弟でも一人降圧剤を飲んでるのがいる。
けっこう兄弟でも違いはあるんだなと思う。
しかし、自分で血圧計をもって、
計った数値が高めだったりすると、
いやはやの表情だね・・・。
なんだか首筋が寒くなるという感じだ。
血圧が高くなっていくと、
やはり脳関係に何か起こることがあるから、
そこで神経質になるということですね。
特にある程度年齢を重ねてくると、
脳梗塞とか脳溢血とか、
非常に危ない事態を引き起こす素となる。
血圧が高いと血管に負担が買っていくから、
切れやすくなるんですね。
回りでも脳梗塞に陥る人が増えている。
自己測定は必要ですが、
会話の中で触れるには、
少しハードルが高いかな・・・。。




主催者吟


金色の稲穂の隅で笑む地蔵

蝉しぐれ病院のカフェに響きけり

はしゃぐ声園児ら遊ぶプールかな

光る雲北岳登山遥かなり

廃駅に兵士の名あり蛍飛ぶ



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