渡辺さんの俳句傑作選
2024年 11月の俳句
がん保険グレード上げて障子貼る
古希を過ぎれば癌にかかる確率はグッと高くなる。
まあ、若いころは保険なんてことは何も考えてなかった。
年寄りがいう問題だと、思っていた。
それがついにというか、
自分がその年齢に到達してしまった・・・。
これはまずい。
年寄りになったという実感があまり沸かないうちに、
強制的に年寄りになった。
これはかなり凄いことだ。
調子に乗って若い女の子とおしゃべりをしていると、
いろんな視線が集まってきてるのが分かる
老人と少女という取り合わせはそんなに珍しいかな。。。。
まあ、孫と爺という取り合わせが珍しいのかも。
今の若い子は障子貼りの手伝いはしないね。
障子張りは爺ちゃん婆ちゃんが貼るのは、
当然という顔だ。
昭和の時代は障子張りといえば、
家じゅうでやるのが当然だった気がする。
秋の日は短いからてばやくやらなければならない。
これがなかなかの重労働。
令和の御代は障子張りなんて、
自分でやる家庭ってあるのかな・・・。
障子自体がない家が多いかも。
フローリング全盛の時代になって、
障子文化というのは消えつつあるのかも・・・。
保険というのも何も考えていなかった30代。
なんだか郵便局のおじさんの言いなりで入った保険。
今頃になっていろいろ知識が増えてくると、
もう少し考えてはいればよかったと後悔。
後悔先に立たずとは、
先陣知恵ってすごいと思う。
今、保険がクローズアップされてくる年代になって、
あれこれパンフレットとか見ても、
もう入れる余裕はなし・・・。
まあ、最初が肝心とはこれまた先人の知恵だね。
30代で人生の後半を考えるというのは、
やはり無理であったと思うばかり・・・。
ほけんの窓口がもう少し、
というかもっともっと前にできていれば、
多少今の状況は変わったかも・・・(/ω\)
十五夜の浜でロックのコンサート
そういえば十五夜という言葉が、
日本にはあったな・・・。
最近あまり話題になることも少ない言葉。
この曲の歌詞はかなり悲しい要素が詰まっている。
出だししか知らないという人も多いかもしれませんが、
歌詞全体は昔の日本の悲しい一コマを、
歌詞に持ってる歌なんですよね。
十五夜お月さんで跳ねるのはウサギさん。
しかし今はロックがお客さんを跳ねさせる。
月が煌々と照っていても、
だれも月を見て跳ねるなんてことは無い。
そもそも昔の日本人の文化が、
残っているなんてことも今は無いわけで、
今は今の令和の文化で生活してるんですよね。
月にはうさぎがすんでいるという文化が、
昔の日本にはあったわけですが、
今そんなことを言う人もいないですよね。
っていうことは月を見上げて、
という文化は無いわけで、
まあ、スーパームーンの時だけかな、
月を見てみるというのは、
テレビのニュースで言うから見るという程度。
まあ、見れば確かに大きい。
それもテレビで中継されれば、
それで満足になってしまうのかな。
十五夜お月さんみたいな、
童謡の文化というのは、
今の日本にはほぼなくて、
令和の若者がずーーーッと、
音楽文化を辿っていっても、
エレキバンドの世界しかないわけで、
童謡の文化世界は、
昭和でほぼ絶滅してるんですよね。
古き日本の文化に触れることは、
歌からはほぼできなくなっている。
まあ、国の政策ということもあるんだろうな。
貧しかった日本の残像は、
消してしまえということだよ。
平成の中期くらいまでは、
童謡のコンサートなんてのもあった。
由紀さおり、安田祥子の姉妹が、
コンサートで歌ったりしてた。
そういうコンサートも絶えて令和。
団塊の世代が消えるまでに、
果たしてどんな日本文化が、
生まれていくんだろうと思う。
こういうのが、
昭和世代のボヤキっていうんだろうな・・・(*ノωノ)
宮殿の耐震工事神の留守
宮殿の工事といえば、
パッと浮かぶのが沖縄の首里城。
宮殿ではないがパリのノートルダム寺院。
かなり大掛かりな工事を長くしてますよね。
こういう再建工事のプログラムの中に、
耐震工事も含まれてるのかな・・・。
とにかく自信というのは怖い!
今年の能登地震は、
地震の恐ろしさを再認識させましたね。
過去にも東北大震災さらに前には、
阪神大震災・・・。
大きな地震に襲われてます。
テレビでその惨状を見ると、
自分がこういう地震の中に、
身を置かなくてはならなくなった時に、
自分自身の思考がどうなるだろう、
と、考えてしまうと、
全く思考が真っ白になってしまう。
もう体力で勝負できる年齢でもないし、
力強さもまったく自信がない。
今住んでるところも、
強力な耐震工事というのはない気がする。
狭い部屋の中で押しつぶされてお終いかな・・・。
そういう想像ができても、
それがほんとに怖いという感覚、
いや思考がそれほどない。
なぜだろうと考えてしまうと、
そこにやはり年齢の壁があると思う。
命の力強さがあまり残ってないのかもしれない。
意識をするとかしないとかではなくて、
巨大な地震とか想像した時に、
諦めが先にたってしまうのだ。
災難に立ち向かうという意識が、
どこか鈍い気がする。
若い時には負けないぞという、
気合みたいなものが湧いてきたが、
やはり昭和は遠くなりにけりなのだと思う。
昭和で燃えた自分の中の炎・・・。
令和になってだいぶ小さくなったなと思う。
地震に対した時に、
どこまでその状況を跳ね返すことができるのか・・・。
それこそ自信はないね。
愛猫の匍匐前進体育の日
匍匐前進といえば、
お笑い芸人のやす子が、
ゴキブリ退治のコマーシャルでやってましたね。
やす子も24時間テレビのマラソンで、
完走してだいぶ知名度を上げました。
寄付金もずいぶん集まったようです。
こういうチャレンジは良いですよね。
コマーシャルの匍匐前進も元自衛官だけに、
切れが良かった。
いま国民体育大会とは言わなくなってるんですね。
まあ、スポーツ大会という方が、
感覚的にはあっていると思う。
オリンピックでもメダルの数が増えてる気がする。
実際増えてるんだと思う。
やはりこういう国内のスポーツ大会があるというのが、
オリンピックの結果に繋がってるのではないかと思う。
夏季と冬季とパラスポーツもある。
全般的に行われてるんですね。
もう少し予算を取って、
行われるようになることを願いたいね。
まあ、スポーツとはだいぶ距離感が出てしまった現在、
選手の活躍するところを見るだけでも元気が出る。
シニアスポーツも盛んになっている。
98歳で毎年富士登山をするおばあさんなんか、
奇跡的にすごいと思う。
こちらはすでに登山からはリタイアしてしまっていて、
高尾山を登りきることも厳しい感じ・・・。
ケーブルカーで行けるところまでが、
今登山に可能な体力・・・。
以前高尾山に登った時は、
帰りの下山道は思いのほかきつかった記憶がある
けっこう遭難も多いらしい。
高尾山と言えども山なので、
甘く見てると痛い目を見るということですね。
昭和生まれの自分に適したスポーツは何か、
一番適していそうなのがウォーキング。
ただ歩くというのが一番向いてそう。
歩くと言っても腰の具合も良くないので、
3000歩くらいが限度かな。
国民スポーツ大会の日に、
公園のベンチで秋晴れの空を眺めてる、
いかにも昭和のお爺という感じ・・・。
猫でも匍匐前進で足腰鍛えてるというのに・・・(/ω\)
首都高に暴走族や夜夜の月
今は暴走族というのが一般的な呼び名。
昭和の時代にはカミナリ族、
という言葉で表現されていた。
昼間も夜も関係なくエンジンをふかして走る。
騒音をまき散らして走る。
特に夏の夜はかなり街中でもうるさかった。
最近はスピードも競うように出してるので、
暴走族という単語でくくられるようになっている。
カミナリ族というのは昭和の言葉って感じ・・・。
令和の子供たちはこの言葉を知らないと言っている。
暴走族というといかにも暴力的で、
危険というイメージがしっかりついてくる。
バイクのマフラーを改造して、
とにかく大きな音を出そうとしている。
しかもスピードを限界まで出してるから、
危ないことこのうえもない。
スピードと爆音。
これがないと満足できないちうことだ。
しかし、危険も当然伴う。
ちょっとしたことであの世って感じがするからね。
月が出てると、
月の世界に引っ張られるということだ。
暴走族を見ていると、
「なむ~~~」と、
月に向かって手を合わせて、
一言念じてしまう。
首都高に月が出て、
それに向かって暴走してるのを見れば、
お月様の世界に、
ひたすら近づこうとしてるように見える。
最近は若い連中だけでなく、
けっこう年嵩のいった中年もいるらしい。
ヘルメットを取ったら、
結構なおじさんってことも多くなったみたい。
おじさんたちは結構高級なバイクに乗ってるから、
まあ、見た目で分かるけど・・・。
しかし、暴走しながら、
月の世へまっしぐらじゃなんだか、
けっこう切ない気はする。
首都高の上にまあるい月が出ていたら、
暴走族の何人が行っちゃてるのかなと、
想像をめぐらしてみると、
なんだか空しい気はするね・・・。
お手てとお手てを合わせて、
「なむ~~~」
なんだか自分に言ってるみたいだな(*ノωノ)
主催者吟
復興へ熱ある秋の能登太鼓
寄園児らのわちゃわちゃ散歩枯れ葉散る
秋の蝶朝露重く飛びたてず
シューベルト冬の旅聴く星月夜
指キツネ壁に踊らせ虎楽笛
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