渡辺さんの俳句傑作選
2025年 5月の俳句
モンタナ州地図で指さす麦の秋
モンタナ州というとアメリカですね。
あまり馴染みのない州の一つかもしれない。
ニュースにならない州ということですかね。
ニュースにならないと、
日本人にはなじみが薄くなるんですね。
なんだかアメリカというだけで、
トランプ大統領の顔が浮かんでくる。
なんだか世界にとっても日本にとっても、
いまいちの大統領ですかね・・・。
モンタナ州は面積が、
日本とだいたい同じということです。
一つの週に日本がすっぽり入るくらいの国と、
よく戦争をしたもんだと思いますね。
一つの州と日本全体と戦争をしても、
おおよそ勝ち目はないですね。
戦争に突入した時の政治家や軍人の顔を、
写真をネットで見たりすると、
なんとも貧相な感じですよ。
人間貧相な顔つきをしてると、
ダメなんですね・・・。
最近わけもわからず、
刺したり切ったりする事件が多発してますね。
毎日のニュースに出ることが、
なんともやりきれない気分にさせるわけですが、
テレビに映るその連中の顔見ると、
貧相極まりないって感じ・・・。
小学生の列に車ごと突っ込んだ奴の言い草が、
働かない食ってるのが許せないという動機。
小学生で働かないで食うって当然だろ。
こいつのレベルが小学生程度ってことなんですな。
モンタナ州から話が一気に飛び過ぎましたが、
モンタナ州の特徴をネットで見ると、
大自然が広がるいいところのようです。
犯罪率も低いということです。
銃乱射なんて事件があっても、
名前が出たことはない。
日本と同じくらいの面積に、
人口百万人の人口のようです。
なんだか一人のスペースが広そうですねぇ・・・。
なんか行ってみたいけど、
ツアーの募集にもあまり名前を、
見ない場所ではありますね。
ご近所のガレージセール花水木
ガレージセールというとそもそもの発祥の地は、
アメリカということですね。
リサイクル意識を高めるとか、
手作りの品物を売るとか、
けっこうアメリカでは盛んのようです。
日本ではそう簡単でもないかも・・・。
そこそこ広さのガレージを持ってる家ってそう多くない。
ご近所でガレージセールをするお宅があるということは、
この句の作者の住んでるところって、
けっこう邸宅が揃ってる場所なのかな・・・。
ガレージの中というだけでなく、
庭でも品物を並べて売ったりするようです。
日本だとお寺の広い境内とか、
市内の広い公園とか、
そういうところに手作り品を持ち込んで、
売ってたりしますよね。
ま、使われなくなったちょっとした家具とか、
花瓶などの小物類も、
なかなかいいものがあったり、
4月5月の天気のいいカラっとした日に、
ちょっとした小銭をもって、
眺めて回るのも一興ですね。
けっこう掘り出し物にぶつかったりしますよ。
以前テレビ朝日の番組で、
じゅん散歩というのがあるのですが、
高田純次が街のそこら辺を歩き回る番組ですが、
寺の境内で開催されていた、
骨董市のようなところで、
一つ買い物をしていた。
買ったら運ぶのはマネージャーなのかな、
けっこう重そうでなかなか大変そうに見えた。
でもそういう場所を渡り歩いて、
骨董品を収集してる人もいるんですよね。
テレビ津京の「なんでも鑑定団」に時々出てきます。
まあ、あまりいい値はついたためしがない。
時々そういう場所に出くわすこともあるけど、
今まで買ったこともないなぁ・・・。
ガレージセールというと耳障りはいいけど、
なんだか廃物セール的な、
感じがしないでもないなぁ・・・。
いわゆる不用品大セールとかいう感じ・・・。
安曇野やこいのぼり舞う道の駅
街中でこいのぼりを見ることもなくなりました。
以前はマンションのベランダなんかに、
ミニこいのぼりが出てたりしてましたが、
近年そんな光景も全くなくなりました。
待ちに子供の姿が少なくなったのも原因かな・・・。
だからというわけでもないですが、
5月5日といっても、
ただ休みという以外なんの感慨もないな。
昭和の時代だと、
ちょっとした庭のあるお宅だと、
こいのぼりを上げる景色があった気がする。
道を歩いていても、
なんとなく風情を感じる景色があった。
平成から令和の時代になると、
少子化ということもあり、
物価高ということもありで、
こいのぼりをどうするという感性は、
消えてしまったかもしれない。
町の住民には、
特にそういう感性というのは、
なくなった気がする・・・。
テレビなんかだと100メートルのこいのぼりを、
上げたとかいうのがニュースになったりしてる。
100メートルのこいのぼりを上げるのは、
さぞかし大変だろうと思うのですが、
とりあえず風をはらんで形を保っている。
かと思えば川の両岸をつないで、
たくさんのこいのぼりを泳がせるとか、
スカイツリーでも、
たくさんのこいのぼりを上げたと、
ニュースで言っていた。
もう今の時代は、
そういうイベントでしか、
こいのぼりを感じることはできないみたいですね。
いわゆる昭和の時代に見ていた、
家単位のこいのぼりは消えました。
これは一種の文化の後退なんじゃないですかね。
こういう文化の後退こそ、
戦争につながったりするんですよね。
日本が戦争に突入する時代が、
こういう文化の後退が、
顕著になった時だったんですよね。
犬友と話し弾んで春時雨
最近、回りでも犬を飼う人が増えた気がする。
ペットブームということなのかな・・・。
自分はかつて死なれた経験があるので、
とても飼う気にはなれないかな。
それでもまわりに諮ってる人が多い。
いろいろ話を聞いていくと、
やはり犬だと散歩に連れて行かないといけないので、
飼い主運動不足解消につながるということ、
朝と夕方に連れて歩くということがあるみたい。
朝、外に出ると犬をおともに散歩してるご老人も多い。
夕方になるとさらに人数が増える。
まあ、昭和の時代の半ばくらいの人にとって、
犬との散歩は歩くということで、
ボケ防止にもなっている。
犬とのちょっとした会話も重要ということだ。
またこれも重要な犬を飼う要素のようですが、
散歩したりドッグランのできる場所とか、
そういうところで出会う同じ犬仲間の存在も、
大きい要素だそうだ。
歳とともに周りに人が少なくなっていくのは世の常。
何にもしないでいると孤立状態になってしまったり、
だれともしゃべらない日常になってしまったり、
良くない状況が生まれてしまう。
そういう時に犬が人を連れてきてくれる。
まったく知らない人でも、
共通の事柄があると話は弾む。
犬のことでも情報を交換したりする。
そういう共通の情報交換というのは会話に通じる。
もしペットの犬がいなければ、
何日も人と合うことも、
会話することもない状況ができてしまう。
そこで待ってるのが「ボケ・・・」
人間言葉を交換する刺激が無くなると、
これはボケ一直線ということになる。
人間はコミュニケーション力によって、
絶滅しないで、
ここまで来ていると言っていいと思う。
会話力というのは、
人類の生存に欠かせないことなんだと思う。
犬友と楽しく情報交換するということは、
人間にとって非常に重要なことだと思う。
新しい情報を取り入れていくというのは、
極めて重要な人間のボケ防止だと思うね。
家族葬しめやかに降る春の雪
ここのところ昭和に活躍された芸能人の訃報が続きますね。
けっこう驚いたのがいきなりの訃報が出た八代亜紀。
この少し前にテレビの番組で見たすぐ後で、
あっ!っていう感じ・・・。
テレビの映像を見る限り、
そんな雰囲気はなかった。
曲集が出るということでヌード写真が載ってる、
これも最近物議をかもしてましたね。
大抗議があったみたいですが、
本人の人生の一部ということで、
まあ、ありなのかなとも思いますが・・・。
歌の歴史に何ら影響は及ぼさないと思いますね。
やはりいいですよ!
それと驚いたのが中山美穂の突然死。
これもほんといきなりのニュース。
死因はヒートショックということだ。
中山美穂といえば印象深いのが、
彼女が18歳ころテレビの番組かなぁ・・・。
三~四人のその当時のアイドルが出てたんですが、
一人一人カメラが写していくのですが、
中山美穂のとこまで来て、
びっくり!!
この子だけ他を圧倒するオーラがあったな。
この子は出てくると思ったらやはり出てきた。
それにしても突然の死だったと思う。
そのほかにも俳優、芸能人の訃報が続きますよね。
昭和のドラマでは定番という感じで出演していた、
俳優とかタレント・・・。
多くが家族葬でその映像は出てこない。
お別れの会で故人をしのぶというのはありかな。
出も結構多くは家族葬ですよね。
ほんとに近しい人たちで故人をしのぶ。
想像してもなんだか奥深さを感じずにはいられない。
芸能界という広大な闇のような世界で、
成功するなんてほんと奇跡に近いことで、
大変なことですが、
それでも最後はほんとに身近な人に囲まれて、
この世を去っていくんですよね。
平家物語の一節を思わないではいられないかな。
~たけき人もついには滅びぬ、
ひとえに風の前の塵に同じ・・・~
無常観に満ち満ちてるわけですが、
最後はどんなに栄華を誇った人でも、
こじんまりと身内だけで送られていくんですね・・・。
主催者吟
桜餅娘親子の去りし居間
春愁や目覚めし夜の闇深し
桜咲くギターを背負う女学生
五月晴れ散歩のリズム速めたり
こいのぼり折り紙で折る留守居かな
topへ