渡辺さんの俳句傑作選
2025年 6月の俳句
金魚すくい手元不如意な異国人
令和の御世になって外国人観光客が激増ですね。
こんなところにもという感じで増えている。
少し名の知れた観光地には、
外国人観光客であふれている。
なんだか昭和人としては、
ちょっと想像外の風景だ・・・。
まあ、出かけって行って、
という元気もちょっとうすらぐね。
なんだかテレビ画面を見る限り、
日本人観光客より外人さんの方が多い。
お店の物の値段を見ても、
日本人感覚では高い・・・。
外人の観光客からすると、
特に高くは感じないみたい。
ただお祭りの画面が出てみてると、
外人さんの腕前はいやはや無理って感じ・・・。
回りで見てる人も外人さんたちで、
よく見てないと日本人が分からない。
店の人が見かねてコツを教えようとするが、
まったくダメって感じ・・・。
それでもこういう経験が、
日本を満喫するってことなんだろうな。
連休の観光地のテレビニュースの映像を見ても、
映し出されるのは外人さんね。
日本人が出てくるのは、
コメの値段についてのインタビューくらい。
20年前くらいの浅草なんて、
外人さんを見るのは稀だった。
今は、ほぼ外人さん・・・。
金魚すくいの映像が外人さんで、
それが話題となってることが、
昭和人としては、なんだかピンとこないかな。
冬の北海道のスキー場には外人さんばかりで、
しかも、モノの値段も外人さん用の値段。
日本人はほとんどいないから、
それでいいということらしいですが、
日本国内の外人専用地域化してる。
そういう場所が多くなってきてるみたい・・・。
自分自身の出不精化が進んでる(-_-;)
軽いウソ少し悔やんで森林浴
軽いウソというのは、
日常それほどまれということもない。
ほんとに軽いウソとなれば、
箸をもっていかなければいけないところで、
割り箸を持っていき、
とがめられると割りばしと言っていたと、
しっかり言ってそうかと思わせてしまう。
軽いウソを信じ込ませたパターンですな。
ウソというのは、
人間が持つ最も強い防御なんだと思う。
国同士になると大ウソのつき合いという感じ・・・。
そっちがちょっかいを出した、
いやそっちが先だ!と、
こんなところから戦争になったりするから怖い。
ほとんど国民はなんだか分からないうちに、
戦争へ行くはめになったりするから怖い。
だいたいこういう時の国のトップの言うことは、
嘘八百でもっともらしいウソで、
しっかり固めたことを言う。
あとはメディアが煽れば、
きちんとした戦争の理由になってしまう。
今のウ露戦争なんか、
プーチン氏のいい加減なことこの上ない。
自分から侵略しておいて、
悪いのは西欧の連中だと言い張っている。
それに刃向かう奴は、
みんな逮捕しちゃえのスタンス。
国民は何で戦争してるのかも、
よく分かってないんじゃないかな。
分らないようにウソで固めてるってことなんですな。
戦前の日本も似たようなもんだったと思う。
正義を振りかざしてあちこっち侵略したけど、
戦争に負けてしまうと、
それまで言っていたことは全部ウソ・・・。
これは人間個人同士でもないとは言えないかも。
ただウソも地球レベルになると、
それがウソかどうか判断するのも難しい。
軽いウソを悔やむようなメンタルだったら、
まだまだ平和な部分があるってことですな。
いまNHKの「朝ドラ」は逆転しない正義がテーマ。
アンパンマンの誕生のお話。
逆転しない正義にウソはないんだろうな・・・。
高山の古民家カフェや水を打つ
飛騨高山というのは、
古い日本の風情を残す町並みとして、
非常に有名な観光地ですよね。
なんだか行ってみたい気もしますが、
人が多いのと、
外人さんがわんさかいそうなので躊躇しますね。
ま、観光地なのでそれなりの収益を上げないと、
維持できないというのは分かりますが、
あんまり人が多いと、
風情に合わないという気分が支配的になり、
行こうとしていけてないのが今の自分かな・・・。
でも、今でこそ観光地として成り立ってますが、
その昔に想いを巡らせると、
雪深いこの地で生活を営んでいくのは、
かなりの大変さだったろうなと、
そちらに想いが寄っていく・・・。
江戸時代は寒冷期にあたっていて、
どこも冬になれば厳しさが、
今とは比較ならなかったんだろうと思う。
自然が豊かなことでも知られてますが、
それだけ昔は生活は厳しかったんじゃないかな。
高山は江戸期の城下町という側面もありますね。
過去は厳しい生活の営みの後が、
今では観光地になってその生活を支える。
なんとも不思議な感じはします。
豊かな自然に囲まれてるってことは、
現代においては貴重なことなんだと思いますが、
時代というのはそこに住む人を、
否応なく変えていくんですね。
現代では厳しい自然環境によって、
住む人々は潤っているかもしれない。
しかし、江戸の昔に目を転じてみれば、
厳しい自然との壮絶な戦いの日々だったんじゃないかな。
同じ場所でも時とともにその状況は変わり、
その自然を楽しむまで変わってきた。
今はほとんど外人さんが、
古き日本を堪能する地域になってますね。
しかし、この古き日本の風景を見て、
なにを感じるのかなぁ・・・。
異国の人にとっての古き日本って、
どう見えるんだろう・・・。
なんだかそっちの方に興味をひかれるね。
現代人の自分としては、
ブラックコーヒーをすすりながら、
古い町並み辛い西への時代に、
想いを馳せてみたいな・・・。
水羊羹巡洋艦と駆逐艦
巡洋艦と駆逐艦の違いってなんだろう。
駆逐艦というのはその名の通り、
潜水艦などを駆逐する比較的小さい軍艦だ。
巡洋艦は駆逐艦より仕事が多く、
艦隊同士の戦闘にも参加する。
駆逐艦は小型なだけに小回りもきき、
主に海に放り出された、
乗組員などの救出にも力を発揮する。
艦隊の使い走り的な艦船かな。
ただ小さいだけに損耗率も高く、
ほとんど沈められると生存の可能性はない・・・。
いま、NHKの朝ドラの「あんぱん」で、
主人公の弟が海軍少尉として、
南方へ派遣されるというところをやっていた。
選定の一番深いとことで、
潜水艦の音をキャッチして、
爆雷を落とすという任務に就くということだ。
これはもう帰還はないと、
言ってるようなもんですね。
実際このドラマの主人公の弟は、
駆逐艦に乗って戦死してるわけです。
これからこのドラマも本土爆撃という、
最も悲惨な章に入っていくわけで、
なかなか厳しい場面が続きそうです。
羊羹は普通の羊羹と水羊羹とありますね。
羊羹といえば虎屋の羊羹が美味しいわけですが、
普通の羊羹t水羊羹とでは、
どちらが巡洋艦でどちらが駆逐艦か、
両方書いてあると、
しばし考えてしまう・・・。
どっちがどっちでもいいと言えばいいのですが、
それだけで終わりたくないのが、
ここのスペースなわけです。
やはり同じ羊羹でも、
水羊羹を加えて二種類あるとすれば、
駆逐艦が普通の羊羹、
水羊羹が巡洋艦。
なぜ巡洋艦が水羊羹かといえば、
夏の猛暑への対抗策としての存在感が大きい。
猛暑への防御的な効果が大きいと思える。
猛暑という大きな壁に対抗する力が大きい。
普通の羊羹が駆逐艦ということになると、
一年をオールマイティーにカバーする美味しさかな。
どんな気候であってもすっと入り込んで、
その味覚を楽しませてくれる。
またどんな気分の時でも、
癒しの美味しさを持っている。
こんな特徴の違いを持っている。
なんだかどうでもいいという、
気がしないでもないですが・・・。
七色のそうめん食って句会行く
俳句もTBSのプレバトが始まって、
若手芸人たちが競って句作に取り組むのが面白く、
結構人気を博してるようだ。
講師の夏井線背にのしゃべるのも、
結構ズバリな言葉が出てくるので、
ちょっと刺激があっていいのかもしれない。
毎回欠かさず見て少し俳句の勉強をしている。
とりあえず努力というところではあります。
だからといって、
そう簡単に進歩するということもないです。
下手の横好きの息から、
なかなか脱することができないのです・・・。
俳句結社では、
月に一度くらい会員が集まって、
テーマなど決め手作句をする。
先生が添削とかしてくれるんですよね。
これが非常に貴重なことだと思いますね。
独学だとやはりなかなか壁を、
ドンと打ち破ることができないですから・・・。
それにしても梅雨はどこへ行ってしまったんだ、
というくらい暑い日が続きますね。
こういう季節感が無くなってしまった時期に、
季節感のある句をというと、
これまた難しいわけです。
まだ6月だというのにそうめんを食べながら句作。
やはり7月になってから素麺の句は作りたい。
まだ梅雨の句を作ろうとしてるところに、
そうめんが出現すると、
梅雨の句の世界は終わりかって感じが、
いっきに出てきてしまう。
俳句の世界の季節感も、
少し変更が必要になってきそうだ。
季語が一番変更の対象になりそうですよ。
そうめんも時々色のついた面が、
それとなく混じってることがある。
そういうそうめんを食べて句会に行くと、
バラエティーに富んだ句が読めるかもしれない。
人間の感性というのは、
ほんのちょっとしたことで動くもんですよね。
わたくしの感性は動くでしょうか(/ω\)
主催者吟
紫陽花や板の間ゆるり足の裏
梅雨の夜の眠れぬままの百句かな
山に建つ赤き社殿や若葉萌ゆ
天の川横切ってゆく宇宙船
喫茶店昭和を残すソーダ水
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