渡辺さんの俳句傑作選
2025年 9月の俳句
かくもある二足歩行や風の盆
二足歩行という言葉が、
なんとなく大きく感じられてくる。
普段歩くということが、
特に特別なこととは感じられないが、
歳とともに一歩が意識されるようになってくる。
歩幅が狭くなったことを感じ、
足の運びもゆっくりになっている。
大股でガンガン歩くことが、
普通と思っていたころとは大きな差だ。
人間というのは、
なぜ人間というホモサピエンスになりえたか、
間違いなく二足歩行という動物的変化を、
受け入れたからだと思う。
類人猿という猿の仲間もいることはいる、
しかし完全な二足歩行はできていない。
二足歩行を完成させたゆえに人間となったと思う。
しかし、二足歩行を獲得したがゆえに、
失ったものもあるんですね。
しかしそれでも二足歩行を取り入れて、
現代に生きている人間。
脳みその容量が増えて、
知恵がより回るようになったんですね。
知恵が回るようになったと同時に、
良いことも悪いことも独創的になり、
他の動物以上に、
どうしようもない感覚を持ったんですね。
同時に行動範囲も広がってきたわけですよ。
そうすると外の人間の持ってるものを、
奪ってやるという行動が出てくるわけです。
ようするに知恵が回るようになっただけ、
より自分の持ち物を増やそうとするわけですよ。
二足歩行で行動範囲が広がったために、
動物本来の貪欲な面が大きくなって、
より奪うことに残虐になって、
戦争の歴史を刻んでいくことになったんですね。
その簒奪本能というのは、
独裁という個人的な権力を持つと、
より強調されていくんですね。
プーチンのウクライナ侵攻は、
現代の人間の簒奪本能を、
最もよくあらわしてますよね。
独裁者というのは、
人間の本能が最も凝縮された形になって、
出てくるんですよね。
自分の本能的残酷を、
最大限発揮できる環境にいるわけだから、
回りの国民という連中に、
おもねる必要はないわけですよ。
戦争が独裁国家では起こりやすくなるんですね。
民主主義国家というのは、
一人の人間の簒奪本能を、
選挙という方法で分散させることができるんですね。
その面ではこの制度はいいことなんだと思う。
独裁ちうのは、
人間の獣的本能を最大限広げることができるから、
危険なことこの上ないわけですよ。
赤面の初恋談義赤とんぼ
初恋という言葉はそこにどことなく、
初々しさの感覚を含んでるので、
歳とともに懐かしさが増してきますね。
この懐かしいという感覚は、
還暦を過ぎてからがより増幅する気がします。
やはり初恋という感覚を、
初めて持った時期との距離感が離れるほど、
懐かしいという感覚は強くなるんでしょうね。
人間の感性というのは年がたつほどに、
なんというのか乾燥してくる感覚ってありますよね。
果物をテーマにしたコマーシャルに、
老人ってあまり登場しないですよね。
やはり果物の新鮮さとかは、
若さの象徴と重なるんですね。
初恋の思い出を語る時、
いくばくかの照れくささというのはありますよ。
その時の恋心が真剣であればあるほど、
なんだか照れくささも大きいのですね。
だからいつの時代でも、
人間の初恋に関しての感覚というのは、
変わらないのですよ。
人間が人間として存在する限り、
変わらないんじゃないかな・・・。
ロボットがどんどん発達して、
人間のかわりの動作をしたとしても、
感性を持つことはできない。
鉄腕アトムに違和感を持つのは、
人間の感性を持ったロボッとして、
描かれている点ですよ。
まあ、物語だからそこはそれでいいと思いますが、
実際はロボットが、
人間の感性を持つことはないですね。
そうでないとほんと怖い存在になりますから・・・。
初恋という言葉を聞いて思い浮かべるのは、
島崎藤村の詩集「若菜集」に収められている、
「初恋」という詩ですね。
少女から大人へ変わる娘に恋心を持つという、
瑞々しい感性が綴られてますね。
日本古来の七五調が、
ほんとにきれいに響く詩です。
今はこういう形で響く詩というのはないですね。
言葉が自由になって、
現代詩があるということですが、
日本語の持つ形で響く美しさは失われましたね。
有名どころの詩では、
「荒城の月」が五七調ですが、
現代っ子には受けないということで、
音楽の教科書から削除されちゃったのかな。
これこそ日本独自の言葉文化の崩壊ですね。
ゲルマニウムラジオを作る敗戦日
ゲルマニウムラジオという言葉も、
懐かしい言葉の一つですね。
戦後の昭和の子供たちには、
このゲルマニウムラジオを、
組み立てて聞くのが流行りましたね。
簡単にいうと鉱石ラジオ。
詳しいことは分かりませんが、
雑誌の付録にもなっていた気がする。
兄たちが組み立てていくのを、
そばで見ていた記憶がある。
見ているとわりと簡単に完成するんですね。
しかし、不思議なことに、
簡単なつくりなのに、
ラジオの音が聴こえるんですよ。
これはちょっと驚いた記憶があります。
令和の時代の子供たちに聞いても誰も知らない。
言葉自体聞いたことがないという・・・。
まあ、今やスマホの時代。
ゲルマニウムラジオといっても、
なんのこっちゃってな感じ・・・。
今や簡単にラジオも聞けるし、
特に自分で組み立てるという感覚もないのです。
自分で組み立てるなんていうと、
パソコンを組み立てるという話になってしまう。
テレビ東京の番組で、
「ところさんのそこんところ」という、
番組がありますが、
そこになんでも修理するおじさんが出てきます。
おじさんというかもうおじいさんかな・・・。
どこにも出せなくなった電気製品修理を、
請け負うんですね。
まあ、番組の中では、
とんでもなく古い電気製品でも修理してしまう。
その原点はどうもラジオなどを、
子供時代に組み立てた経験が
ものを言ってるようだ。
子供の頃に経験した組み立てるという行為が、
今のなんでも修理につながってるんですね。
やはり子供の頃に、
簡単なものでも組み立てていくという経験は、
大人になってからのイマジネーションに、
つながっていくんですね。
今の子供たちには、
この自分で作り出していくという、
簡単な経験が不足してるんじゃないかな・・・。
今のお父さん世代でも、
あまり経験してないかもしれない。
塾に追われてエネルギーを消耗していく現代の子供。
イマジネーション不足で起こす事件が多すぎる。
これからそういう事件は、
さらに増えていくんじゃないかな。
七人に七等分にメロン切る
小さい子供たちにとって、
メロンとかスイカとか、
切り分けて食べる食物というのは、
子供頃の思い出の中でも、
結構残っているイメージだと思う、
子供の頃というのは、
生きるということがまず基本にあって、
その本能的なものが一番大きいかもしれない。
母親が切り分ける手元をじっと見て、
少しでも大きいところをつかみたい。
こういう本能的に生きるということが、
一番大きい時期ではないかと思う。
子供の仕事というのは、
生きるためにどのくらい食べるか、
というのがあるわけで、
大人では考えられないくらい、
大きな面積を占めている。
大人になっても若いうちは、
まだまだ食べるという本能は強くて、
食堂に入ってもここの盛りはどうか、
なんてことが話題になるわけです。
さらに歳を重ねていくと、
だんだん生きるということが薄くなってきて、
量より質が重要になってくる。
そこはやはり歳とともに、
味覚という部分が大きくなっていき、
同時に生きるということへの執着が、
薄くなっていくんだと思う。
生きるは食べるということに、
一番直結してるのが子供時代だと思う。
だからガザの子供たちの悲惨は人間として、
見るに堪えないものがある。
生きるために食べるということが、
できてない子供というのは、
人類の悲惨そのものだと思う。
その状況を作り出してるのは、
食べて生きるということが半減してる、
大人ということになる。
子供というのはどのくらい平等に切り分けられるのか、
目をさらのようにして見つめる。
生きようとする本能のなせることなんだと思う。
二十歳くらいになると、
食べることプラス知識を蓄える時期が来る。
食べることプラス知識欲。
ここでだいたいどういう人生を送っていくのか、
その後が決まってくると言ってもいいかもしれない。
食べ物を切り分ける。
土地を切り分ける・・・。
分けるということが、
人間の生存本能の根本かもしれない。
猛暑かな無条件降伏します
今年の暑さは尋常じゃなかった。
日本列島の四季という概念が、
崩壊した最初の年として記録に残るかもしれない・
とにかく暑さが経験したことのないような暑さだった。
今の子供たちは、
夏はこの猛暑という記憶が、
刷り込まれるんだろうと思う。
敗戦後の昭和の人間にとっては、
この暑さは耐えきれないほどの暑さだと感じる。
これが地球規模で起こっているというのが怖いね。
パリとかロンドンで40度を記録したり、
イタリア、スペインでも大変な高気温を記録してる。
どこもかしこも大変な気候に襲われている。
地球全体の変動ということだろう。
まあ、温暖化と言われてすでに久しい。
トランプ大統領は地球は寒冷化してるという主張だ。
パリ協定からもさっさと脱退してるからね。
自分が大統領のうちは、
石炭でもガンガン燃やしていこうということらしい。
自分の任期のうちは、
何でもやってもいいということだろう。
人間の住む環境は、
間違いなく崩壊に向かっている。
人類の滅亡は環境の破壊で決まり。
地球の生物の絶滅の歴史は、
環境の変化で始まり終わっている。
恐竜がいい例だと思う。
今の地球は絶滅危惧種であふれている。
いつ人間がそのリストに載るかだ。
人間というのはそういう点では楽天的で、
自分たちは大丈夫と常に思っていて、
なんでも克服できると信じている。
まあ、おめでたいと言えばそうなんだろうけど、
そういう楽天的なところで、
今まで生存を確保してきたのかな。
今回の夏の猛暑でも、
とにかくクーラーを全開にしてしのいでいく。
クーラーを全開にすれば、
外気温はさらに上がっていく。
昭和の時代は扇風機だけでよかった。
夏休みが終わって新学期が来て、
だんだん涼しい風が吹いてきた。
そういう自然はもはや失われている。
今回の猛暑はこれからも続いていくんだろうと思う。
それはすなわち自然が破壊されていくということだと思う。
こういう地球規模の環境の変化に、
ただ我々は無条件降伏するしか道は残されてはいない。
ここまでくると扇風機の時代を取り戻そうというのは、
もうすでに手遅れなのかもしれない・・・。
主催者吟
夏雲や放浪気取って旅したし
風鈴や風は何言うチロリンと
炎帝の居座る街の白さかな
大の字に寝る板の間へ蝉しぐれ
頂で見る銀河横切る宇宙船
topへ