渡辺さんの俳句傑作選
6月の俳句
気管支の精緻な模型ほととぎす
春の音を聞くというと、
まず思い浮かべるのは、
花粉症の鼻水をすする音。
最も現代的な発想のように思えるが、
まあ、味も素っ気もない・・・・。
一歩外に出ると、
野山には野鳥の声がうるさいくらいに聞こえてくる。
ほんとにうるさいと聞こえてしまうか、
春の風情に聞こえるかは紙一重というところだろう。
その中でひときは鋭く聞こえるのがほととぎすの声だ。
ほととぎすというのは万葉集の時代から歌には、
もっとも頻繁に登場する鳥の名前だが、
実態は姿かたち、声に至るまでたいしたことはない。
なぜ読み込まれるかというと春一番に、
やたら目立つ鳴き方をするせいかもしれない・・・・。
この鋭い声が、花粉症か風邪か分からぬ咳の出る、
気管支のレントゲン写真を見せられると、
自分の気管支の模型に見えて、
その隅々にまで鋭く響いてくる!
ケイタイの跳梁跋扈街薄暑
いまや携帯なしで生活できるという人は、
リタイア組みの一部しかいないのではないだろうか・・・・。
若者層では、ほぼ100パーセント持っているだろう。
会社勤めの人は会社から持たされているだろう。
住まいから駅まで、歩いていようが乗り物に乗っていようが、
携帯を眺めている人に会わない、などということはまずない。
地面と75度の角度で下を向いていたら、
その手には開いた携帯が握られている・・・・。
もう、あたりかまわず、むやみやたらと携帯の画面を見ている。
梅雨に入って夏の暑さが予想される頃合になって、
その呼び出し音で夏バテまで想像できてしまう・・・・。
これは結構不幸の先取りではないだろうか・・・・。
風薫る羅漢五百の名前読む
5月に入って天気も安定してさわやかな風の中・・・・。
という状況には今年はならなかった!
年が始まってすぐから悪天候の連続・・・・。
5月に入っても毎日天気が悪い。
そいう毎日の中、
いきなりすっきり晴れた一日が出現したりすると、
気分の許容範囲も広がってくる。
五百はある羅漢の一つ一つに足を止めて、
じっくりとその顔を拝見しつつ、
書かれている名前も、その彫りと同じくらいの彫りで、
脳みそに刻みつけてみる。
なにしろ五百体あるから、
味わいもその数と同じにあるわけで、
真冬の寒さの中では刻んでいるうちに、
脳みそは凍ってしまうだろう・・・・。
真夏の暑さの中では、
その名前を刻もうとした時には、
脳みそが溶け出してしまって彫り込めないだろう。
やはり風薫る今の時期が、
刻み込む脳みそにとって最適であることが分かる。
考古学ファンの集い雲の峰
考古学により興味を示す人たちというのは、
いつの時代にもいたことと思う。
日本書紀に始まる記録などは、
そういう人たちによって現代まで伝えられたと思う。
考古学ファンということもないだろうが、
水戸黄門でお馴染みの水戸光圀の歴史書などは、
明治維新をも引き起こしたというくらいのもので、
考古学、歴史学なる学問も決して、
その時代、その時代で侮れないということだろう。
織田信長の安土城跡などには、
ほとんど毎日ファンがつめかているという。
時代的な発掘現場ともなると、
ヨン様的追っかけファンまで出現するという・・・・。
恐ろしいほどなのだ。
空に浮かぶ雲だけは考古学にはなりえない、
その時代のままということでしょうな・・・・。
歳時記に付箋をつけてラムネ飲む
俳句を作るうえで欠かせないのが歳時記。
季節をあらわす季語とそのたとえばの句がお、
ぎっしり詰まっている本だ。
梅雨も峠を過ぎて一句ひねっていこうとすると、
外は真夏日・・・・。
打てば響くのは愚痴ばかり・・・・。
夏になるとコカコーラ初め炭酸類が売れるのは、
暑いばかりではなく、
緩んだ感覚をピッとさせる意味もあるらしい。
ついでに脳天への刺激ももちろんだ!
ダランと伸びた脳のしわがきゅっ!と引き締まりそうだ
これと思うページに付箋をはさんで、
暑さ負けするところをグッとこらえて、
一句だろう・・・・。
主催者吟
雨止んで陽が届ききて傘並ぶ
親ツバメ顔出すままににらめっこ
紫陽花の過ぎ行く車窓冷雨打つ
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