渡辺さんの俳句傑作選

2025年 11月の俳句

菊日和初恋の人行き過ぎる

初恋というのは誰しも経験するんですが、
26年前の主婦殺人事件のような結果は、
どうにもいただけない・・・。
犯人は最近捕まって、
謝ったりしてるんですが、
26年間怯え続けていたんですよね。
まあ殺された主婦のご主人に、
一方的に恋心を抱いていたってことですよね。
それがつのっての犯行ということですね。
捕まってから謝ったりしてるんですが、
もう遅いということですよ。
死んでしまった人は、
帰っては来ないんですから・・・。
ご主人の方もなんとも言えない気分だと思いますね。
一つの感情が制御できなくなると、
こういうことが起こるんですね。
ようするに青春時代の淡い恋心を、
いい思い出として消化できずに、
いつまでもくすぶらせてしまった、
結果なんですね。
このくらい空しい話ってそうはないのかな。
誰しも初恋ってあると思うのですが、
まあ、ほとんどは大人になるにしたがって、
いい思い出として消化されて、
自分の情緒の中の一部としていくんですよね。
それができずにいつまでもその思いを、
具体的なものとして引きずっていけば、
その部分の情緒が大きくなりすぎてしまって、
理性で押さえきれなくなるんですね。
人間にとって理性というのは、
感情的な部分を制御する、
ブレーキの役割なんだと思いますが、
そのブレーキが利かないほどに、
膨れ上がってしまった感情というのは、
極端な行動へと駆り立ててしまうんですよね。
人はなぜと一般の人が思うことを、
行動に起こしてしまうのですが、
恋愛など人間の根幹たる情緒を、
常にコントロールするブレーキを、
成長と共に育てていかないと、
突如として常軌を逸した行動に、
なってしまうんですね。
今回の事件というのは人間の情緒という面で、
考えさせられることが多いですよね。





目覚まし時計鳴らず勤労感謝の日


仕事を始めたばかりの頃、
出勤時間に遅れないようにと、
目覚まし時計をセットして寝ましたよね。
まあ、若き日に見た光景は、
今でも覚えているのですが、
時計を打っている店先で若い女性が二人、
目覚まし時計を買おうとしてるんですね。
転任の人となんだかんだやり取りをしている中で、
「音の大きさってどのくらいですか」
「ちょっと鳴らしてみましょうか」
と言って時計の音を鳴らしてみるのですが、
「このくらいだと起きられないかもしれない」
もう一人の女性が、
「一つじゃダメなんじゃない」という。
店員さんも少し煽り気味に、
「二つ三つ場所を変えて置くといいですよ」
なんだか調子を合わせて売り込んでいく。
若い女性二人はなかなか決められず、
店員の人とやり取りをしている。
ずっと聞いてることもできないので、
結局どうなったかは分からないで、
その場を立ち去りましたが、
今はスマホで起きる時間をセットできる時代。
目覚まし時計と買う話は、
昭和の時代の話って気がする。
今でも時計店では売っていると思うが、
まあ、どのくらいの人が買うのかな・・・。
昭和の時代の若者は、
とにかく出勤時間をオーバーしないように、
目覚まし解けは必須アイテムだった。
今はスマホのセットでことは足りますが、
昭和の時代の青年は、
今は時間をセットしなくても、
決まった時間に目が覚めてしまう。
かなり夜更かししてしまうということがないので、
早朝きっちり同じ時間に目が覚める。
スマホのセットも目覚まし時計も、
何もいらない・・・。
もう寝る時間も起きる時間も決められていて、
毎日きっちり守られているという状況。
歳を経ていくと、
なんだか終身鴇商がきっちりしてくる。
残り少なくなってきた時間を、
無駄にしないように、
体内時計は合わせてくるんですね。





十一月のなぞり絵捗らず

最近なぞり絵というのが、
いい流行りになってるようですね。
いろいろもとになり線画がアップされていて、
部屋に飾る額絵になったり、
自分専用のカレンダーにしたり、
子供の塗り絵としても重宝されてるようです。
昭和の時代、
よくセットで売ってましたよね。
子供時に買ってもらって色を塗りましたよ。
色鉛筆でなぞったり、
なんだかありえないような色を塗ったり、
兄弟からバカにされて憤慨したり、
母親だけは褒めてくれるんですよ。
今はネットにいろんな種類がアップされていて、
自由にダウンロードして、
色を塗ることができます。
今や高齢者のトレーニングアイテムとしても、
注目されているようです。
絵は苦手という高齢者の方でも、
簡単に色を塗って楽しむことができる。
また線をなぞるという、
指先トレーニングにもいいようです。
特に昨今のように気温が下がってきて、
指を動かすのも億劫になってくると、
この線をなぞるというのは、
高齢者の冬場のいいトレーニングになるんですね。
歳を経るにしたがって、
線のような繊細なものをなぞっていくというのは、
指先への集中力のトレーニングにもなりますよね。
そういう細かい作業が億劫になる、
これからの冬場には最適ですね。
自分の趣味に合った画像を、
いくらでもダウンロードできる。
令和の御世はほんと便利です。
気温が下がってくるこれからの時期、
子供たちとこういうなぞり絵が一緒に出来たら、
昭和の人間にはいい刺激となり、
いい楽しみとなるのかな・・・。
自分の思ったように色が濡れて、
作品として仕上げていくのは、
こもりやすい冬場には、
けっこう最高の楽しみになりますよね。





秋の雷森の彼方にピカソ館

11月になってもいい天気の日が少ないですね。
今年の流行語大賞の候補に、
「二期」という言葉がノミネートされてるようです。
ようするに春と秋がほとんどないという、
季節感を表してるということですね。
10月には結構な雷が鳴りました。
11月に入っても、
どうも台風の影響を受けそうですね。
雷は夏の風物詩として認識していたのですが、
今やそんなことでもないらしい・・・。
11月になっても天気予報では、
台風の話をしている。
11月に雷が鳴ってもおかしくない感じ・・・。
11月に雷が鳴れば、
季節感はますますおかしな感じになり、
雷は夏のもんだという認識も、
薄れてくるのかもしれない。
春夏秋冬という季節感は曖昧になり、
夏と冬の認識しか、
これからの子は持てないかもしれない。
こういうなんだか季節感の迷走は、
ピカソの絵に、
すでに描き表されてるかもしれない。
ピカソの絵の特徴であるキュピズムは、
なかなか感性として認識するのは、
難しいと思われていた。
ピカソの絵を見て、
パッと素晴らしいと感じられる人って、
そうはいないんじゃないかな。
なんだか非常にあいまいで形も整ってはいない。
それが時代とともに値打ちが出てきて、
今や大変な金額で取引されている。
ピカソの絵というのは、
具体的な人間の目で見たものを表すのではなく、
人間の感情、情緒の奥底を表している。
ようするに具体的に目には見えない世界を、
描いてるんですね。
今や日本の季節感というのは、
はっきりしたものは存在せず、
ピカソの絵のように、
何か崩れたようになってきていて、
人々の心理の中の季節感は、
崩れてしまっているということですね。
令和の時代はピカソの絵が、
いよいよ具体化されてる世界に、
なってきてるってことですよね。





秋蛍絶版となる私小説

最近、私小説の出版の宣伝がないですね。
だいぶ前ですが、
一時芸能人とかの赤裸々な私小説が、
話題になったりしてましたよね。
エッセイというものだったのかな・・・。
有名作家との不倫劇を、
赤裸々に書き記したのがありました。
どこまでほんとか分かりませんが、
よくここまで書くなという感想を、
持ったことがあります。
まあ、買うことはありませんでしたが、
あまりに赤裸々だと、
なんだかきれいな部分というのが、
感じられなくなって、
拒否反応を覚えるのかな・・・。
こういう私的な小説というのは、
書いた本人がそこそこ有名人だったり、
相手が有名人であったりすると、
それなりの興味をもって買われるんですが、
まあ、ほぼすべて一過性のもので終わり・・・ですね。
人間にはゴシップ好きという面があって、
良きにつけ悪しきにつけ、
デバガメ的な面があるので、
まあ、出版された当初は売れるんですね。
以前神戸で起こった殺人事件を、
犯人が書いたものが出版されて、
物議をかもしたことがありましたよね。
まあ、これなんかすごい話ですよね。
店頭に並んだのを見たことがありますが、
とても買う気にはならなかった。
また、英語の家庭教師を、
殺して逃げまわった犯人が書いた、
これは告白本というのかな、
逃げ回ってる時期のことを、
書いたエッセイが出ましたね。
こういうのが結構売れたりするんですよ。
売り切れたらお終いのパターンですが、
これによって印税が著者に入ったりする。
なんかな・・・ていう気分にはなりますね。
親族の方に渡してほしい、
なんてこともあったみたいですが、
受け取れるわけないですよね。
こういう本はすべて絶版になってます。




主催者吟


思い出の空き地にビル落ち葉散る

避難小屋のランプ灯してきのこ飯

塩にぎり一味違う秋登山

文化の日テレビつけるとゴッホの絵

後悔も遅きに失っす落ち葉踏む



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