渡辺さんの俳句傑作選
2026年 6月の俳句
麦の秋PASMOで通る無人駅
駅の改札を通る。
切符を買うことはない。
パスモで通るから券売機にも寄らない。
電車に乗る時の記憶をたどってみると、
物心ついたころは、
券売機で切符を買って、
改札を抜けるとき駅員のおじさんが、
パチンと切符に切れ込みを入れる。
3~4枚まとめてパチンとするときは、
その力が凄いと子供心に思った記憶がある。
券売機がまだないころは、
窓口で行き先の切符を買って、
日付を機械の上下をガチャンと間を通らせて、
日付なんかを切符に刻印していた。
券売機が出てきて、
お金を入れて切符を買うのだが、
行き先の駅までの金額が分からないと、
駅員さんに聞いたり、
ちょっとめんどくさかった。
こういうのは昭和の時代の駅の改札口の風景ですね。
切符を改札口で、
駅員さんが改札ばさみでパチンと切るのも、
今から思うと味があったな・・・。
今はもうパスモで機械にかざせば、
簡単に通れてしまう。
まあ、便利で何の抵抗もない。
この何の抵抗もないというのが、
実は人間の思考の一部を、
ダメにしてるんじゃないかとも思える。
人間というのは手間をかけるということで、
より細かい思考を育てるという特徴があると思う。
切符を買う改札口でパンチを入れてもらう。
こういう一連の動作というのは、
指先をフルに使っていくんですね。
目的の駅までいくらかかるだろう、
いろんなことに考えをめぐらす。
結構面倒なのですよ。
PASMOとかスイカは、
こういう一連の面倒な動作を、
根こそぎ省略できる。
カードを探知機にかざせば、
まあ、どこにでも行ける。
特に何も考えることもない・・・。
指先から来る思考の一部を取り去ってるんですね。
便利になるってことは、
思考する部分を取り去っていくことですからね。
はたして今とこれからのこういう状況が、
人間の思考の発達に寄与してるのか疑問ですね。
脱皮する心と体サングラス
脱皮というのは、
おもに昆虫類の成長過程で起こる現象ですよね。
哺乳類ではまずない現象です。
昆虫類というのは、
脱皮を繰り返し長成長するんですね。
蛇の脱皮した抜け殻を子供の頃、
時々見かけました。
物珍しく見ていた記憶がある。
人間の脱皮というのを考えてみると、
よく言われるのが一皮むけてどうだという、
第三者を指してつかわれる言葉がある。
「あの人、最近一皮むけていい感じになった」
なんて会話を時々聞くことがありますよね。
この人間で一皮むけた状態を、
一番感じるのは、二十歳前後かな。
見た目も小中高の時とは違って、
いわゆる大人びた感じになって、
接した時の雰囲気も、
はっきり変わった印象を受ける。
特に会話の印象もそれまでとは違って、
一つ壁を感じさせるような話し方に変わる。
小学校に入る時、中学校に入る時、
高校に入る時・・・。
もう大学に入る時と雰囲気もどんどん変わってくる。
(これがあの子か・・・)と
びっくりさせられるくらい変わってくる。
最近犯罪の若年化が進んでいるという。
脱皮する前にどういう環境にいたのか・・・。
なんだか考えさせるよね。
16才で強盗殺人の犯罪を犯す・・・。
16才と言えばまだ脱皮の途中でしかない。
その段階までの脱皮で、
なんだか欠けるものがあったと思う。
16才で強盗殺人にかかわれば、
その後の人生の大半が失われてしまう・・・。
そういう面たりーを育んできた親の責任も重い。
今の親たちは脱皮の仕方を、
教えられてないのかもしれない。
脱皮する時にしっかり育ってなければ、
若年層というのは何をしでかすか分からない。
これからもっと若年犯罪は増えていくと思う。
危ない世の中が進んでいく気もする・・・。
終活のリストを挙げて雲の峰
いよいよ終活という言葉が身近になってきた。
70代になるまでに溜め込んだもろもろ・・・。
一体どのくらい処分業者に頼むと、
さっぱりするんだろう。
しかし、若い時はあれほどこだわり大切にしてきたものが、
なんとも終活の大きなお荷物になるとは・・・。
とにかくすごい荷物がうず高く重なりあっている。
今見ると何であれほどこだわったんだろうという、
不思議な感慨にとらわれる・・・。
それにしてもスッキリするまで、
何年かかるんだろうという、
言いようのない不安な気持ちにもなる。
開かずの扉なんてものがあったりする。
ようするに何が入ってるか、
分からないスペースがあるということだ。
一体ここには何がおさまってるのだろう。
まったく見当もつかない状況がある。
なんとなく怖くて、
開けられないという現実もあるね。
そんな個所がいくつかある。
否が応でもそういうところを、
開けなくてはならない時は来るのだろう。
時が経つのほんとに早いと思う。
しかし、その早い時の流れの中で、
驚くほどのものがたまっている・・・。
気づけばすでに忘れ去られたものもある。
何に使ったのか思い出せない・・・。
ほんとに自分が使ったのかなと、
疑問符をつけたりする。
なんで買い求めたのか、
分からないものもかなりある・・・。
そんな人生という時の流れの中でたまった垢が、
今立ちはだかっている・・・。
昭和、平成、令和・・・。
その時代には必要だったものだったのだろう。
昭和の物って今は使えなくなってるものが多い。
その時は便利だと思って買っても今となっては、
ほんとに終活の目玉でしかない。
人間の人生というのは、
あっ!という間に過ぎたように思えても、
終活で見えてくるのは、
長い長い地層なんですよね・・・。
半夏生じっくり巡るピカソ館
ピカソという名前を聞くと、
まずパッと頭に浮かぶのはゲルニカという絵。
スペイン内戦の悲劇を描いた作品だ。
「誰がために鐘は鳴る」の映画の舞台にもなった。
ゲーリー・クーパーと、
イングリット・バーグマンの共演の映画だ。
イングリット・バーグマンがやたら美人で、
一世を風靡した女優だということが分かる。
スペインの小さな町ゲルニカへのナチスドイツ軍の爆撃。
市場に人が集まるところを狙った、
無差別爆撃。
ピカソはこの戦争の理不尽さと残酷さに怒り爆発。
絵はピカソの代名詞、キュピズムで描かれており、
パッと見なんだか分からい、
しかし、画面全体に広がる風景は、
人々の苦しみと絶望が描かれており、
見つめ続けるとなんだか恐怖的気分が、
どんどん湧いてくる・・・。
この絵は実際にスペインに行った時に、
ピカソ館で見たが、
かなりのでかさの絵であり、
非常に迫力がある。
戦争の絵というのは絵画史の中で、
かなり描かれていて、
有名な画家の絵もある。
しかしこのゲルニカは、
現代絵画の一つの表現として、
圧倒的迫力を持って迫ってくるものがある。
ピカソの絵は抽象画のみで語られることが多いが、
全体で見ると青の時代など、
いくつかの特徴的な時代があり、
抽象画だけではない絵も興味深い。
ピカソはその名前の長さでも結構有名だ、
なぜ長いのか意味はあるみたいだが、
とても覚えられるものではない。
しかも寿命も長く91歳まで生きた。
梅雨の時期鬱陶しい空気感の中で、
ピカソの絵をじっくり眺めて歩く、
というのもなかなかいいですね。
天才の描き出す作品には、
言葉にはできない象徴的な語りかけ、
訴えかけがあるんですね。
六月の日記は少し自嘲気味
日記という文字を見ると思い出すのは、
子供のころ夏休みになると課題で出る絵日記。
絵日記ということは小学生の頃かな・・・。
しかし、まず毎日まめに書くということはなくて、
夏休みも終わりころになって、
宿題の総仕上げとなって、
初めて日記に向かい合うわけですよ。
しかし、まずわからないのが天気。
まずまめに毎日なんて付けてないから、
当然ながら分からない・・・。
そうなると頼りは新聞。
夏休み中の新聞をかき集めて、
天気予報の欄を見る。
当然その日の自分の住んでるところの天気だけ、
載ってるわけではないから、
そこから記憶をたどったり、
近くに住む同級生を訪ねて聞いたり、
行けないことにはその同級生も、
絵日記をまともに書いてない。
親に聞いても覚えてるわけない・・・。
とにかく記憶をひねりにひねって、
とにかく書き上げるわけですよ。
家族のイベントがある時は、
スイスイ書けるのですが、
なにもない日は思い出すのも一苦労。
それでもこのころの記憶力というのは、
結構素晴らしく、
断片的には覚えてるんですね。
いろいろあちこち聞いてつなぎ合わせて完成。
そんな付け焼刃の絵日記もなんとかなった。
先生も分かっていたのかどうなのか、
特に何も言わなかった・・・。
6月は陰鬱な日が続く。
今年の梅雨入りは少し早めに出た。
いつもだと梅雨入りが出て、
いきなり晴れの日が続いたりして、
アリャリャということもあるのですが、
今年は梅雨入り宣言が出て、
なんとも鬱陶しい日が続いている。
こういう日が続くとなんだか内省的になるんですよね。
なんとも言えない重さが、
心の一部にぶら下がるんですよ。
はじけた明るい筆致の日記にはならないかな。
なんとなくどんよりした気分を書き写す感じかな。
主催者吟
砂時計さらりと流す春の闇
自動ドア開いて眩しさ増して夏
畔の角地蔵の笑みに菜花咲く
歯科助手の声の迫力春嵐
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