渡辺さんの俳句傑作選
2026年 10月の俳句
躊躇いの臓器提供秋の草
臓器移植は長年記事になることが多いですね。
日本ではまだまだ少数という臓器移植。
日本では不可能ということで、
アメリカにわたる人もいますね。
アメリカでは膨大な金額がかかるので、
寄付を募るということがニュースになったりします。
日本ではまだまだ臓器を提供するということが、
意識の中に少ないということもあります。
これはほんと難しい問題ではありますね。
近頃ニュースになったのは、
豚の腎臓を人へ移植するという話。
なんだか最初聞くと「えっ!」と思いますね。
しかし、アメリカではすでに実行されていて、
成績は上がっているようです。
日本でも行われるようなニュースを、
やっていたような気がする・・・。
豚というとちょっと響きがよくないですが、
実際可能のようですね。
実際はもっと臓器提供が増えれば、
難しい状態の臓器を変えるということは、
できるんだと思う・・・。
じゃあ、自分自身はどうなんだという、
こういう問いかけには、
はっきりとは答えられない・・・。
死んでしまえば何も分からなくなるんだから、
と、自分に言ってみても、
なかなかスパッとは割り切れない。
臓器移植が比較的容易に受けられる、
東南アジアに渡る人もいるという。
それがまた犯罪の温床になったりするんですね。
臓器移植をテーマに語ろうとするとき、
自分の臓器をはっきり提供すると、
何人の人が手を挙げられるだろうか・・・。
100人いたら百人手を挙げる。
そんな光景が将来出現するだろうか。
単に永遠のテーマとして残っていくのだろうか・・・。
分っちゃいるけど堂々めぐり。
結局そんな風景が見えてきます。
なかなかスパッとした言葉にはできない(/ω\)
はたしてこれから先、
人の意識というのは変わっていくのだろうか。
まったく分からない。
どんぐりの笑い転げる外科病棟
秋深しと言いたいところですが、
雨が降り続いた後の10月も、
なんだか秋晴れという形容が、
ちょっと厳しいような感じ・・・。
10月というのはこんなにも湿度が高かったかな。
10月というイメージとしては、
カラッとした青空。
天高く馬肥ゆる秋。
というのが昭和の秋のイメージ・・・。
カラットとか馬とかいう言葉は、
令和の時代の人のイメージには、
わかないかもしれない。
10月も晴れて青空が出て日差しがあると、
「たんに暑い!」というのが、
令和の会話・・・。
昭和に歌われた動揺に、
「どんぐりコロコロどんぶりこ、
お池にはまってさあ大変、
ドジョウが出てきてこんにちわ」
今では全く歌われなくなりました。
まあ、理由を聞いてみると、
お池というほどのものはなく、
ドジョウというのも令和の子供たちは、
ほぼ見たことがない・・・。
田舎に行ってもあまり見かけないようです。
現実とあまりにかけ離れてしまったので、
歌われなくなったそうです。
日本の原風景が、
全く変わったということらしい・・・。
実際日本の自然の変容というのは、
笑えないほど大きく変わってしまったようだ。
外科病棟という言葉が出てきてますが、
今の外科手術は、
以前に比べれば安全に放ってきていて、
体への負担の軽くなってるようですね。
手術ということが、
笑い話になっていくことが、
これから現実になっていきそうです。
どんどんそうなっていって欲しいです・・・。
小鳥来るインプラントの手術の日
インプラントについては、
いま盛んにテレビでコマーシャルしてますね。
その安全性と利点についてのコマーシャルです。
資料を無料配布してますね。
身の回りにインプラントにしてる人もいますが、
やはり時々調整が必要のようです。
第二の歯茎とうたってますが、
どうももう一つよく分からんですね。
ただ高額になるという話は聞きますね。
幸いにもと言いますか、
今のところまだ縁はなさそうです。
それにしても歯の治療というのは、
時代とともに進歩はしてますね。
まあ、子供のころから歯医者さんには、
お世話になってますが、
小学校に通い始めると同時に、
歯医者通いをした気がする。
学校でも歯科検診というのがあって、
歯医者の先生がなんか記号を言ってみてる。
なんのことかは分かりませんが・・・。
しk誌、虫歯が見つかると、
そこから歯医者通いが始まる。
ほぼ毎年のように敗者には、
お世話になってた気がする
大人になっても歯医者にはよく通った。
しかし、不思議なことに、
俺だけ歯医者で歯を削られても、
歯は無くならない・・・。
とりあえずいまだ全部自分の生まれながらの歯だ。
これだ柄削られてきても、
今なを自分の歯というのが、
なんとも言えず不思議だ。
一回の治療でどのくらい削られるのか、
歯医者さんに聞いてみたいが、
まあ、そんな勇気はないな('◇')ゞ
こう書いていると、
あの歯を削るドリルの音がよみがえってきて、
なんだか顔面に響いてくる。
このまま自分の歯のまま終わりたいと、
この秋の空に向かって思うのです・・・(^^♪
訃報欄さらっと読んで秋刀魚焼く
新聞に載る訃報欄。
以前は時々目を通したりしていた。
しかし、知ってるような名前はまずない。
しかし、不思議と目を通すんですね。
自分の名前とちょっと似た名前があると、
えっ!と思わずじっと見る・・・。
しかし、似ているだけで自分の名前ではない。
分っちゃいるけど、
なんだかホッとする・・・。
昭和の時代の人間は、
こんなところにも神経をピリッとさせるんですね。
なんだかちょっとした寂しさを感じるわけですよ。
次は自分かぁ・・・なんて( 一一)
子の訃報欄に名前が乗るというのは、
どういう仕組みなんですかね。
当事者が新聞社に連絡するんですかね。
その仕組みはどうもよく分からない。
いやに人数の多い時と、
ほんとに二~三人の時がある。
それにしても毎日、
あの世に行く人がいるわけで、
よく人口が減らないなという気がする。
まあ、それだけ生まれてくる命もあるのか・・・。
消える命と生まれる命。
この需給バランスが大事なんですね。
今の日本の人口は、
凄い勢いで減っているわけで、
まあ、最終的にどこまで減るのかって気はしますね。
自分が子供の頃は、
回りに4人5人の兄弟はざらにいましたからね。
今の主流は二人かな。
訃報欄の数もだんだん減っていって、
最後はほんの一部の人って気もする・・・。
秋刀魚かぁ・・・。
近年まったくの不漁ってことですね。
秋刀魚もマツタケのように、
高級食材入りするのも、
もう少しですね。
古くはニシンが今そうなってますよね。
昔の大衆魚ニシン。
今あまり姿も見ない魚です・・・。
自画像の鼻の辺りに鰯雲
今年の秋は鰯雲と言える雲はあまり見てないなぁ・・・。
季節は秋ですが、
なんだか夏っぽい雲が空には浮いている。
雲が太陽の光を受けてるのを見ると、
眩しい・・・。
秋の雲の少し愁いを含んだ光り方とは違うな。
10月も半ばになっても、
夏は完全に終わってない気がする昨今。
秋という季節の象徴ともいえる、
鰯雲はどこにいるんだろう・・・。
ちょっと季節感の乏しい空気感に、
秋を満喫するよりなにより冬か・・・。
記憶にあるのは鰯雲が頭の上から、
富士山の頂まで続いてるような空。
令和になってから見ることは無くなった。
秋という季節を情緒的に、
感じる材料が少なくなった。
自画像というのを描いたことはありませんが、
自分で自分の顔を描くってどんなんだろう・・・。
鏡に映ってる顔を見ると、
自分の顔を絵にするというのは、
複雑な気分だ・・・。
自画像に残すほどの偉人でもないか(-.-)
それにしても、
フト、思うのは、
自分の顔を絵にすると、
どんな顔になるんだろうということ。
写真じゃないから描く人の主観も入るわけで、
まったくそのものというわけにはいかないだろう。
古今の自画像を見ても、
中には写真もの残ってる人もいて、
見比べてみると、
あまり似てない人もいるわけですよ。
こういう絵というのは作品と見るか、
その人のそのものを残すかで、
けっこう変わってくる気がする。
なかなか好き嫌いというのが、
実はあるんじゃないかな・・・。
髭を剃るために鏡に映った、
自分の顔を見ると、
なんの感慨もないなぁ・・・。
主催者吟
父子遊ぶ砂場の上のうろこ雲
子猫取る病院バスを待つ日陰
炎天の街に人なく色もなく
ブランコで見上げる果ての雲の峰
コーヒーの冷めて飲み干す炎天下
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