渡辺さんの俳句傑作選








11月の俳句






ゴスペルの聞こえてきそう花野道
             
秋も深まってきての郊外、
           日の光が傾いてきて、
                 少し黄色味がかってきたころ、
             透明感の増した空から、
                静かに聞こえてきそうな音楽。
                        音楽といってもいろいろなジャンルがある。
                    ほとんど無秩序状態の現代の音楽。
                          どんな音楽が聞こえても特別驚くものもない。
                          しかし、この季節の透明に傾く空気感の中で、
                     聞こえてくるのはまずゴスペルだろう。
                            無私の境地で歌われることが求められる音楽は、
                         道端の名もなき花に吸い込まれていく・・・・。










リハビリの母の手にある木の実独楽
                            母が逝ってもうずいぶん年月が過ぎてしまった。
                             夢枕に立つということもほぼなくなってしまったが、
                         この季節になるとフト思い出すことがある。
                      死の直前まで続けていたリハビリ・・・・。
                     次の世でも続けているだろうか・・・・。
                          しかし、もうここまでくるとこの世でのことは、
                        すでにほとんど記憶はないかもしれない。
                             しかし、 どんぐりに楊枝を刺して作られた独楽を、
              その手のひらに置けば、、
                    この世で自分がいかに存在したか、
                       子供であるわれわれと生活したことを、
                  思い出そうとするかもしれない。
                      どんぐりが落ちる季節にはこの独楽を、
             仏壇に置く意味がある。








それぞれの九品の仏木の実落つ
                      秋も深まって冬の様相を呈してくると
                        なんとなく見える景色も色薄く見えてくる。
                自然の生命力が衰えると、
                       人間自分を振り返ることたびたび・・・・。
                         振り返っていいことばかり出てこないのが、
            人間であるわけだが、
                      吹く風がいよいよ厳しくなってくると、
                         ついあの世の浄土における自分の階層が、
                     どのあたりか気になってきたりする。
                           気にしたところで過ぎたものは変わらないし、
                    これからのことは分からない・・・・。
                今迄ほど長くはなさそうだ。
                               分からないことは気にしないほうがいいということで、
                                木の実が落ちても顔色一つ変えない石仏を決め込む。
                                 結局、毎年凡人の哲学でこの季節は終ってしまう・・・・。








免震のビルの五階のゆず湯かな
                           大震災近しと言われてもう10年は過ぎている
                      なんとなくほとんどの人の記憶にも、
                この言葉は消えつつある。
                人間の喉もと過ぎればが、
                    ほんとだということがよく分かる。
                      しかし、住まいとするのは免震ビル。
            階が上がってくれば、
                       これがないビルでは不安で仕方がない。
            喉元を過ぎてるから、
                     気にしなければよさそうなものだが、
                                  いざとなると免震、耐震、OK!とならないと弱冠ながら、
                               ホッ!とするという感覚がどういうものかが分かる。
                                   給料が上がってホッとするなどという階層の気分ではない。
                      もっと上位を占めるホッとした感覚だ。
                           これがゆず湯のたびに確認できるんだな・・・・。








ウクレレの練習曲や大根煮る
          
ウクレレと聞いて、
                                すぐフラダンスなんてことを想像するのはよろしくない、
                             なんでも先入観というものがあることも確かだが、
               ウクレレはもっと高尚な、
                          独奏楽器という認識を持たないといけない。
                           最近ではJ・S・バッハをも弾くという話がある。
                   とみに一般化したウクレレだが、
                                練習するときのジャッ、ジャッというコードを打つ音は、
               大根をじっくり煮つめる、
                        最後の最後に発する音によく似ている。
                        秋においしい大根を煮る音にあわせて、
                                練習をすれば味わい深い音楽にもなるであろう・・・・。
                    ウクレレの音だけになったときは、
                       上手く聞こえるのかどうかは不明・・・・。








主催者吟


稟議書く手にも色ずく木の葉かな

手術せるベッドの窓の銀杏かな

川に沿うテールランプや霧下りる






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