渡辺さんの俳句傑作選
2009年 3月の俳句
ビビンバで終止符を打つ花疲れ
桜の花は咲く時も一気に咲く。
一夜のうちにびっくりするほど花が咲く。
そうするとお花見モードが全国的な流れになる。
この時期の挨がわりになっている。
全国的なお祭りといったほうがいいかもしれない・・・。
地方ごとのお祭りというのは当然あるわけで、
何万何十万の人出といったニュースが流れる。
これがお花見となると全国共通だ。
実際人出を言ったら何千万単位だろうか・・・。
そうなるともうニュースにもならない。
誰の興味も誘わないということだ。
その状態が約一週間。
夜、まだ寒いのもなんのその、
乾杯が繰り返される。
中には二つ三つ掛け持ちなんてことも・・・
そして桜が一気に散る日。
なにごとなかったように日常が待っている。
お花見疲れはビビンバで・・・。
平常心さわさりながら花粉症
どこを向いてもマスク。
マスクをしていない人が何だか物珍しく見える日。
花粉が日本列島を覆い尽くす。
くしゃみと鼻水・・・
鼻水は情け無用に流れる。
くしゃみは涙も引っ張って飛び出す。
花粉症の最盛期には、
お隣の国から黄砂が舞い降りる。
ここまで来ると何をどうするという気力も無くなってくる。
全国的な無気力・・・。
花粉が飛び散り終わるまではもう騒がず・・・。
誰もがあきらめて、
心静かに通り過ぎるのを待っている。
これはこの時期の平常心ということになる。
諦めと平常心は紙一重なのがよく分かる。
杉が終わればヒノキ・・・。
それが終われば・・・で、一年中さして変わらない
時を止め心を止めて花万朶
満開の桜、どこまでも続く菜の花畑。
チューリップの帯がどこまでも続く道。
春の季節感の最たるものは、
あふれるばかりに咲くこの花だろう。
満開の花の中心に立つとき、
今までいた世界からは完全に途絶して、
全く自分の存在を忘れる瞬間だ・・・。
自分の姿を意識することもなく、
10年前も今も全く同じ感覚の中にいる。
流れた歳月は全く存在しない・・・。
満開の花を初めてみて、
感動した自分がそのまま居る。
全く年齢を重ねていないのだ・・・。
そして満開の花の中を出た時に、
浦島太郎の玉手箱の蓋を開けるがごとく、
瞬時にして今の自分に戻ってしまうのだ・・・。
疼きだす昭和の傷や花なずな
昭和という時代は平成になって振り返ると、
まさに傷だらけの時代だったと、
いえるのではないだろうか・・・。
太平洋戦争、労働争議、自然災害・・・。
安保闘争、イデオロギー戦争・・・。
とにかく数えるときりなく出てくる。
山と谷の間がいかに激しい時代だったか・・・。
山は高度成長政策で一億総中流となり、
飽食の時代が到来・・・。
しかし、今どうだろうか、
ほとんど一億総貧民状態となり、
飽食はガン、アレルギー、
車社会で便利になって杉花粉症蔓延。
今や昭和の傷が一気に悪化してしまい、
国民の指導者たちは、
慌てて、治すより蓋をしている。
平成になって悪化してきている。
蓋が飛ばないように、
必死で押さえる人材づくりが、
急務になっている。
菜の花は猫のたまり場城ケ島
菜の花が咲くころ、
猫がどこからともなく城ケ島に集まってくる。
あっちこっちたむろしている。
菜の花のあるところなんだか明るい。
明るいところには、
何かありそうな気配を感じて、
集まってくるのだろうか、
都会の公園の菜の花畑には、
特に集まることはない・・・。
なぜ城ケ島のような、
ちょっと離れた観光地に集まるのだろう。
集まってきた猫の取締役の猫に聞いてみた。
なぜここに集まるのか・・・、
菜の花が咲くとなぜか人は、
猫など気にも留めなくなり、
いきなり安全度が高くなる。
黄色という色が人のストレスを緩和すつようだ。
ストレスのない人間は、
いたって猫にとって扱いやすい・・・。
なるほど・・・。
主催者吟
アジサイの芽にもまぶしき朝日かな
あくびする猫もひねもす春日和
髪切りて床屋の匂い桜咲く
パソコンの熱に手かざす春の雪
夜雨あがり芽吹きのしずく輝けり
新芽のしずくを揺らす春の風
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