渡辺さんの俳句傑作選
2009年 5月の俳句
涙腺のゆるい隊長遍路行
陽気もよくなる5月、
風薫などという言葉も5月ならではだ。
寒いと外に出る気力は大体出てこない。
やはり風薫という言葉が出てこないと、
足は元気にはなら名ということだ。
お遍路の旅もこの時期が一年でも多くなるらしい・・・。
白装束に身を固めて歩きだす。
こういう遍路の集団というのは、
大体少し年齢が高い場合が多い。
人生の終盤にきてのお参りの旅だ・・・。
皆少しづつ涙腺の緩みを感じる年ごろだ。
手を合わせるたびごとに、
隊長の涙腺から涙が流れると、
一斉に皆の涙腺の蓋が開く・・・。
この鳥も鳴いて飛び去るような行こそ、
お遍路行の意味をより大きくするのだろう・・・。
太文字の男のレシピ鳥帰る
男の料理がもてはやされてから、
だいぶの年月が過ぎた。
今や特に話題にも上らないくらいに定着した感がある。
男もよもやの一人暮らしに備えて、
料理の腕を磨いておこうが、
うたい文句だったと思う。
がしかし、果たして一人残されて、
どのくらい料理の腕をふるう機会が続くだろうか・・・。
統計を見てみると男一人になって、
生き延びる期間というのは、
えっ!と思うくらい短いようだ。
結局一人になって作るというより、
家族そろってる時に腕を振るということが現実のようだ。
自分で書きとったレシピを見ながら、
集中して料理を作るというのは、
一人になってからは必要なさそうだ・・・。
父の日や卒寿の父の武勇伝
父の日があることも普段忘れがち・・・。
回りの話題で初めて知る状況だ。
なんとなく母の日ほどの話題性もなく、
淡々と過ぎていくのがこの日だ。
母の笑顔には花があっても、
父親の笑顔は特に記憶にも残らないようだ。
それでも父の日という名前のある日が設けられてるだけ、
存在感は確保されているのだろう。
特に語ることもない父の日という日に、
父親の話を聞けば勇ましい話が次々出てくる。
卒寿の父の顔に血の気が戻ってくる・・・。
この語りが次の自分の語りになるのかと思うと、
父の日が子供たちに、
あまりほんわかした雰囲気をもたらさないだろう・・・。
じゃ父の日に合う話とはなんだろう・・・。
結局思い浮かばない・・・。
バケツもち立った廊下や鳥雲に
人間一番記憶に深く残り、
また容易に思い出せるのはいつのことだろう。
歳とともに直近のことほど思いだすことが困難になる。
一番記憶としては遠い、
小学生のころのことはよく覚えている。
そこの部分がくりぬかれたように、
鮮明に輪郭がはっきりしている。
中学高校と少しづつ曖昧になっていく・・・。
小学校など校歌まで覚えていたりする。
いたずらをして先生にバレた瞬間など、
特によく覚えている。
その時は結構嫌なものだが、
いまや脳内モルヒネと言えるような、
甘美なものとして思い出される。
その思い出に癒されるのだ。
しかし、今の子供たちにそういう罰はないという・・・。
先生からの怒られ方が、
全く変わってしまってるようだ。
今の子供たちが50歳過ぎて、
思いだす記憶というのは、
どんなものになっているのだろうか・・・。
亀鳴くや角のとれたる老教師
カメは長寿のシンボル的な生き物だ。
カメの鳴き声を聞くということは、
まずあり得ないことだが、
長寿を重ねると聞こえることがあるという・・・。
ホントかウソかはまだ長寿を重ねた族には属してないから、
分からない・・・。
カメも動物である以上、
鳴き声が出せないということはないと思うが、
実際生きている間に、
声を出すということはまずないようだ。
しかし、長寿を重ねてると、
カメのささやく声が聞こえるという。
謹厳実直融通がきかない教師。
昭和も中盤以前のタイプだ。
しかし、年月とともに角が取れて、
穏やかに変身するという・・・。
これは実に亀のささやきが聞こえたからだという。
穏やかに変身した長寿の方がいたら、
カメのささやきを聞いたと思って、
間違いなさそうだ。
主催者吟
祖母逝きて笑顔懐かし梅酒かな
アジサイをつかみて落つるしずくかな
来ぬままに雨に崩れしツバメの巣
雨の日の車内の位置やツバメ飛ぶ
新聞の広げし匂い梅雨の雨
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