渡辺さんの俳句傑作選








2010年 3月の俳句







王妃の名猫に名付けて冬薔薇
                           庶民から見ればはるか遠くにいる存在だろう。
                              どこの王家にしても庶民が話をすることもできない。
                            実際どういう人かを知る手だてというのはなくて、
                  すべて想像の中の人となる・・・。
             マスコミの流す報道で、
                    すべてが決まっているというわけだ。
                  実際に人格があるように見えて、
                   実は本人以外誰も知らない・・・。
                             家族でさえどこまで分っているのか疑問だろう・・・。
                   ローマの休日の王妃のイメージと、
                         結びつけてしまってる人もいるかもしれない。
                意外とあり得そうな気もする。
                                どうせ手の届かないところから出てきそうにないのなら、
                     せめて飼いネコに名前をいただいて、
                      毎日呼び捨てもいいかもしれない・・・。








待ち春や拾い読みする龍馬伝
                  今年の3月は雪が降るという、
                            記憶にも残っていないような状況が出現した。
               低温状況が続いていた。
                         4月になっても続いてるのかもしれない。
                低温状況が続いたせいか、
                         また予備薬を飲むのがいき渡ったせいか、
                  花粉症の話が少なかった・・・。
                       しかし、春らしい柔らかい太陽の光は、
                なかなか届いてこない・・・。
                今年は坂本龍馬の年・・・。
                           高知は当然ながら長崎、京都は大変らしい。
            去年は新潟だった。
                               戦国、維新のころに目立った人物がいないところは、
                              なんとなく都道府県の冷や飯食いって感じだ・・・。
                春もたけなわになる前に、
                           話題についていけるくらいの龍馬の知識は、
                     身につけておいたほうがいい・・・。
               さ して興味がなくてもだ。
             高知の人にあったら、
                      知らないではすまないのだから・・・。








娘の愚痴を聞いてから食う桜餅
           季節ごとに色合い、
                    形を変えて出てくるのが和菓子だ。
                            これは洋菓子にはあまり見られないことらしい。
                                   四季のある日本人の情緒性からきているということだろう。
                         見て楽しんで食べて納得の味わいなのだ。
                               春というのは子供たちにとっては一番変化の季節だ。
                             大人にとっても変化のある季節には違いはない。
                                   しかし、子供たちにとっては将来がかかってることが多い。
                        思うようにかないのが世の中と言っても、
                             それで納得するほどまだ下界との接触もない・・・。
                         そんなときに出るのは愚痴と決まっている。
                          さくら餅が目の前にあって生唾が出てきても、
                       娘の愚痴が終わらないと食べられない。
                女の子の愚痴は長いから、
                            終わるころにはさくら餅もなんか乾燥している。
                 娘の愚痴が抜けると同時に、
                           さくら餅の瑞々しさも抜けているってところだ。








姉妹とは似て非なるもの桜餅

                   さくら餅を並べて家族で食べる。
               季節柄ありそうな場面だ。
                             なんだかんだとおしゃべりしながら食べるのだが、
                            まあ、父親がしゃべる機会はほとんどない・・・。
                                 女の子の話に入れるほどイマジネーションは広がらない。
              なんだか曖昧な笑みと、
                       時々同意を求められるとうなづく・・・。
                       誰からも同意を求められるとうなづく。
                       まあ、都合のいいところだけ使われる。
                                  しかし、その分娘たちの観察だけは結構しっかりしている。
                      そのしぐさの驚いたり納得したり・・・。
                              姉妹でも名字は一緒でも名前の違いくらい違う。
                    同じ親から生まれているはずだが、
                         姉妹での共通項って意外に少ないものだ。
                そういろいろ観察しながら、
                         黙々とさくら餅を食べているわけだが・・・。
                            近、中高年の英語熱が少し下降気味のようだ、








春愁やいまだ俳号定まらず
                              この俳句傑作選のメイン投句者である渡辺氏には、
                        いまだ俳号と呼べる名前がまだない・・・。
                               キャリア的にいえば当然あってもおかしくないのだが、
             いまだ発表がない・・・。
                               俳句というのは文字数が極端に少ない文学であって、
                  世界にも類を見ないものだろう。
               日本独自のものだと思う。
                                 しかし、短いがゆえに一字も無駄にできないのが俳句だ。
                                  一時で言わんとする世界が全く違った方向を向いてしまう。
            なかなか手強い・・・。
                           渡辺氏の作品の下に小さく載せているのだが、
                           毎回けっこう頭の血管を太くしてうなっている。
                     こういうほんとに言葉数が少なくて、
                    大きな世界を持っている俳句だが、
                                 少ない文字からイマジネーションを働かせようとするなら、
                               作者の俳号から入っていければ効果は絶大だと思う。
                                    俳号の二文字三文字をも無駄にしないことが大事だと思う。
                                俳号を読んだ時からもうその世界に引きずり込みたい。






主催者吟

春風やギターの音の睡魔かな

遠巻きの真中の死体や桜散る

花粉症見上げてごらん朧月

屁の泡もぬる湯にのどか春の宵

雨音もかすかなりけり余寒かな





メニューへ



topへ