渡辺さんの俳句傑作選







2011年 2月の俳句






黄昏のタカラジェンヌの冬帽子
                 黄昏とついた名詞というのは、
                      わびしく回りの空気も乾いてる印象だ。
                           ま、実際そんな様子を表す言葉なのだろう・・・。
         宝塚歌劇団星組、
              組はなんでもいいのだが、
            宝塚のスターと言えば、
          華やかさにおいて、
                   ほかになかなか見つからない・・・。
                      そういう華やかさと羨望に包まれている。
                                 しかし、いったん離れてしまうと大きく道は分かれるだろう。
              そのまま華やかさを持って、
               芸能の世界で輝き続ける人。
           それとは全く対照的に、
                     一般の人いきれの中に埋没していく人。
                  どちらがいいかということではなく、
                   その華やかさを背負っているだけに、
                        埋没組は黄昏という冠詞がついてしまう・・・。
                       人間のイメージとはさようなものである・・・、
        ということだ・・・。








新任の店長もまた花粉症
                  いよいよ花粉症の季節到来。
             あっちでもこっちでも、
                      花粉との戦いが繰り広げられている。
                    自分が花粉症族になってみると、
                     それまで花粉症の人を見ていたと、
                         全く違った自分の目があることに驚く・・・。
              花粉症デビューの前は、
                             花粉症の人を見て大変だなという感想しかなく、
               ほとんど関心がない・・・。
                    しかし、花粉症族に属してみると、
                  花粉症族から外れている人に、
              異様に関心を持つ・・・。
              属意識が強くなるのか、
                          同じ族同士は妙に分かり合えてる気がする。
                               実際は何も接点がないのにもかかわらずである・・・。
           そうなってくるとだ、
                     自分の上司が花粉症族かどうかは、
                     結構大きな問題だったりするわけだ。








実千両電子辞書の聖書読む
                世界的ベストセラー「聖書」。
               その昔、紙が発明されて、
                  そこに書写できるようになった。
                         印刷技術によって印刷できるようになった。
                         それによって各家庭に一冊の時代が来た。
                      もちろんキリスト教徒においてである。
                               なんだかテレビの普及の仕方に似てる気がするのは、
                   単に部外者だからだろうか・・・。
                              街頭に一台から各家庭に一台そして個人に一台。
           いまやiPadの時代。
                  聖書も各家庭一冊の域を出て、
                 各個人に一冊の時代が来た。
                       iPadであれば好きな時に好きな場所を、
                 簡単に取り出して読めるのだ。
                                   聖書の普及度にこれがどのくらい貢献するのだろうか・・・。








抗がん剤飲まぬこときめ冬ぬくし

                    いまだに完全に克服されない癌。
               抗がん剤があるにはある。
                       しかし、その効能と裏腹にある副作用。
                               いわゆる陽だまりと酷寒の地獄が表裏一体なわけだ。
                              抗がん剤治療が進むほどに楽になるわけでもない。
                        医者は抗がん剤を使うことをまず進める。
                            しかし、実際に選択権があるのは患者本人だ。
                選択権があるということは、
                  家族の意思とも反する決断も、
                   当然選択肢にあるということだ。
                       回りを囲む人たちの願望とは関係なく、
                        抗がん剤治療を拒否できるだろうか・・・。
                 しかし一度決断してしまえば、
                            意外と本人は気が軽くなるのかもしれない・・・。
                   回りの反応のがどうであれだ・・・。








羊水の胎児の欠伸春兆す
                      今年はまた低温状態が続く気配・・・。
                       春に低温状態が続くと夏が猛暑になる。
                   これが状態になると恐ろしい・・・。
                   歳を感じるとなんだか熱中症で、
                     コロッということもないとは限らない。
                          ま、そんなことも考えに浮かんでくるこの頃。
                         いまだ遠い春がどこまで来ているのか・・・。
           知るすべもないが、
                  冬眠中の動物たちは間違えて、
                出てきてしまってるのもいる。
                    人間で春を感じるのに敏感なのは、
                            まだ動物的要素の残っている胎児かもしれない。
                            人間は長ずるに及んで感覚もなにも衰えるから、
             感覚的に分かることは、
                   ほんとに狭い範囲でしかなくなる。
                         退治となると感覚の範囲は無限に広い・・・。
                           欠伸一つで春と自分の距離が分かるのだろう。
                        子供以前は子供よりさらにすごい・・・!!







主催者吟

梅林の輝き増して朝日かな

病室の窓に鳥影春立ちぬ

ジョウビタキ振り向く先の朝日かな

時迫る駅の灯見えて春霞

けたたまし小鳥の群れて梅の蜜





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