渡辺さんの俳句傑作選
2011年 6月の俳句
まどろめば潮の香の立つ籐寝椅子
いよいよ梅雨明け近しのお天気になってきた。
梅雨が明ければ猛暑が待っている。
そういう予想がすでに確立されている。
気温35℃を超える日が続くわけだ。
夜はもうほとんど火炎地獄のようになり、
まず眠れない・・・。
寝不足で起き上がってお昼を食べる・・・。
食べてしばらくするとお昼寝Timeのswitchが入る。
居眠りtimeに大活躍する籐椅子・・・。
節電で若干設定温度の高いクーラーを感じながら、
まどろみの世界の中へ足を踏み入れる。
ここからは勝手な自分流の世界が広がる。
やはり夏は海辺がいい。
潮の香りが鼻をつく・・・。
籐椅子の香りをまどろみの世界で、
勝手に潮の香りにアレンジする・・・。
これは実は最高の贅沢なのだ。
エキナカを悠然と行く夏帽子
いま、日本の夏というと、
かえってくる言葉は猛暑。
昭和の時代は夏と言えば蚊取り線香だった。
かの大歌手もコマーシャルしてた・・・。
平成の御世になって夏と言って、
蚊取り線香という人はいない。
東北大地震の後は、
夏と言えば猛暑+節電が付く。
庶民には節電を必死の形相で訴えてる陰で、
クーラーのきいてる部屋で会議なんかしてる。
被災した人たちにとっては、
鼻くその足しにもならない会議なのだ・・・。
句とは全然違う方向の話になった・・・。
猛暑になって帽子をかぶる人が増えたと思う。
帽子をかぶってる人というのは、
なんか悠然と歩いてるように見える。
帽子をかぶってない人はセカセカ歩いてる・・・。
帽子で自分を一部覆ってるということで、
安心感が出るのかもしれない・・・。
人間の微妙な心理は不思議だ・・・。
路地裏の猫一斉の昼寝かな
今の新興住宅地に路地裏が存在するのか、
路地裏という不是を持った場所は見当たらない。
路地裏という雰囲気を醸し出してるのは、
やはり木造住宅の並ぶ下町だろう。
路地裏というなんとなく湿気た空気感というのは、
新興住宅地には似合わないということだ。
家のつくりがそうなってはいない・・・。
やはり木造住宅の湿気の多い、
重ための空気がよどんでいる場所。
これが路地裏の定義と呼びたい。
夏のとなると藪蚊の巣窟となるが、
かえって人を寄せ付けない安全さがある。
ドラ猫たちの昼寝にはもってこいの場所なのだ。
安心しきったドラ猫たちの寝息が聞こえてきそうだ・・・。
炎天のビルの谷間の古書祭り
最近は活字もiPadなるものの電子活字が、
繁栄期を迎えようとしている。
活字を本という紙の媒体で読むという行為が、
昭和のレトロな雰囲気と定義されそうになってきた。
古本屋自体がレトロな存在と見られ始めているのだ。
高価な本は古本で・・・、
この意識は昭和の人間の共有意識とのことだ。
今や古本も「なんでも鑑定団」レベルかどうかが問題になる。
ただ古いだけでは見向きもされないのだ。
真夏の古書祭り・・・。
来るのは昭和生まれとわかる御仁ばかりだ。
年齢層を考えれば谷間の日の当たらない、
風が若干通りそうな場所。
場所選びにもなかなか気を使うレベルから、
細やかな神経まで必要になる時代なのだ。
梅雨晴れの外人墓地の三家族
梅雨の中休みというのは、
雨が続いたあとは気分的にうれしい。
毎日陰鬱な梅雨空を眺めてれば当然だ。
雨がシトシトの場合、
空を眺めるまでもなく陰鬱な気分だ。
それがパッと晴れて日差しが射せば、
気分はいきなり上昇傾向となる。
そんな気分の時に横浜外人墓地。
明治の昔から横浜で亡くなった外国の方の墓地だ。
外人墓地というと、
なんだかそれだけで異国情緒が漂う。
外人という言葉に、
独特の感性が日本人にはあるのだろう。
しかし、現代になるとその言葉で墓地が観光地化する。
この外人墓地の方と親戚という人はそういないと思う。
だいたいは物見胡散で訪れる。
ま、梅雨の晴れ間の目撃談というところか・・・。
主催者吟
蚊に刺され泣く妹をあやす兄
髪上げる娘離れて夏祭り
松かさの重さや夏の塩見岳
夕立を避け山小屋の暗さかな
破壊されヒナも消えたりツバメの巣
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