渡辺さんの俳句傑作選






2011年 10月の俳句






ムーンウォーク練習する子あきあかね
                          ムーンウォークと言えばマイケル・ジャクソン。
                               だいたい連想するのにそれほど苦労はない言葉だ。
                        年代的にも幅広く意味の分かる言葉で、
                           子供から中年より少し上くらいまで大丈夫だ。
                          この言葉はなかなか面白いところがあって、
               年代別にとらえ方が違う。
                   中年からその下くらいの層では、
                            テレビでマイケル・ジャクソンの足さばきを見て、
           感心と驚き・・・!!
                    まあ罪のない感性と言おうか・・・。
            その下くらいになると、
                             今や伝説化しつつあるマイケルのテレビだけでなく、
             DVDを買いに走る・・・。
                      その世界にどっぷりつかってしまいたい、
             というところだろう・・・。
           そのまた下になると、
         見てるだけでなく、
                         実際にその歩き方を練習してみるという・・・。
        う〜〜〜ん・・・。
                  年代別のエネルギーの大きさで、
                           歩き方一つのとらえ方がこれだけ違ってくるのだ。
                            真似する元気はとりあえずない年代ではある・・・。








瓢箪の好きな祖父いて禿談義
               床屋にも20年同じところ、
                    同じおばさんに刈ってもらってると、
                           当然ながら髪の毛の質の変化が読まれている。
                   通い始めのころは太くて多い髪を、
                「すいてあげましょうか・・・?」
            などの言葉が出てくる。
                       だんだん年月とともにその言葉はなくなり、
                「髪の毛が細くなったねぇ・・・」
                        などという言葉出てきてどきっとさせられる。
                   鏡をまじまじ見るようになる年代だ。
                       さすがに通い始めて30年近くにもなると、
                 「だいぶ少なくなってきたねぇ・・・」
                  出てくる言葉が大幅に変化する。
                   これはどきっとさせられると同時に、
                        人生の下り坂を指摘されたような気がする。
         男の変わり目って、
                          意外とこんなところに潜んでるのかもしれない。
                         瓢箪が好きになるかはとりあえず未定だ・・・。









秋深し隣は犬の調教師
                        犬の調教師という職業を生業とする人が、
                            自分の身近にいたことはいまだかつてない・・・。
                          犬とじゃれる人は身近にかき分けるほどいる。
                          犬も特性によっていろんな仕事が与えられる。
                       人間より優秀な場合がけっこう多い・・・。
                 それを調教する人というのは、
              よほど物事の見分けが、
                    きちんとできる人ではないかと思う。
                                犬に教えることの意味をよほどしっかり理解してないと、
          訓練してるうちに、
                犬が全く意味の違う行動を、
                 覚えてしまいかねないからだ。
                  けっこう調教する人というのは、
                     人間が出来上がってないとできない。
                    そういう人が隣にもしいたとしても、
                こちらには全く影響されない。
                仕事をする犬ほどの感性は、
                   残念ながらというか当然というか、
                 持ち合わせてないということだ。








天高し甘藷先生眠る墓

                              サツマイモの研究と流布に功績のあった青木昆陽。
                             飢饉の時にも強いサツマイモが重要だった時代。
           重要な作物だった。
          今や飽食の時代。
                  とにかく何でも巷に溢れている。
                            ホームレスがかえっていいものを食べてたりする。
                              きびしい生活状況だと言ってさつまいもは食べない。
                               デフレ不況といっても厳しさのレベルが全く違う・・・。
                     飢饉のときに活躍したサツマイモが、
             今や活躍もしない時代。
                      それでも大変だと騒ぐ状況というのは、
                             やはり人間どんな時も一度つかんだ贅というのは、
                      そぎ落とすことはできないということだ。
         天高く食欲の秋。
               昔の飢饉に思いをはせて、
                      甘藷先生をしのんでみるのもいい・・・。








発声の練習佳境暮れの秋
      芸術の秋。
                             今年の秋が芸術を愛でる気候だったかどうかは、
               意見が分かれるところだ。
                    とにかく気温の高い日が続いた。
                 なにより湿度が高かった・・・。
                           この湿度というのが一番芸術脳にはよくない。
                     とりあえず感覚というのが鈍くなる。
                      頭の中もなんだかカラッとしない・・・。
                         芸術というのはある種集中力でもあるから、
                       これは厳しい気候が今年の秋となった。
                 しかし、芸術を提供する方は、
                        湿度がどうのこうのと言ってられない・・・。
               一年でも重要な稼ぎ時だ。
                      特に声楽の人は年末の第九にかけて、
         それ!の状態だ。
               湿度があろうがなかろうが、
                            声楽の人は頭の中を空っぽにして響かせるから、
                   この気候もあまり関係なさそうだ。
                            ギターを筆頭に弦楽器はそうもいかない辛さ・・・。
                  芸術の秋の悲喜こもごもだ・・・。







主催者吟

電線の隙間をうめる雪の富士

立ち読みの背並びたる長夜かな

溢れたる想いのゆくへ星月夜

ランドセル置きどんぐりの品定め

革靴の響き商店街の月





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