渡辺さんの俳句傑作選






2012年 1月の俳句






裏富士に願かけながら冬耕す
           富士山の裏と表は、
                      静岡県と山梨県が主張し合っていて、
                     互いに譲らず決着がついていない。
                        どちらが表富士でどちらが裏富士か・・・。
                             どちらかというと静岡県のほうが分がありそうだ。
                         しかし、山梨側から見る富士の壮麗さは、
         また格別なのだ。
                      年が改まって気持ちも切り替わり・・・。
         と、思いたいが、
                         実際はそう簡単に切り替わるものでもない。
              一つご来光に願かけたり、
                富士山お姿に願かける・・・。
             初詣にお賽銭を投げる。
              これはある意味強引に、
                          気持ちの切り替えを図っているといえそうだ。
                            何もなければ何も変わらないただの休日なのだ。
                              気持ちを切り替えながらまた励んでいく一年なのだ。








東京の質屋の屋根に寒雀     
            一億総貧乏の時代。
                         正確には一握りは大金持ちなのだが・・・。
                             金持ちの年金を減額しようという政府案もある。
                              まあ、ほとんどは中流崩れの時代に入ったわけだ。
                        終戦直後は物も仕事もなかなかなくて、
                         質屋通いが日頃って時代があったようだ。
                      両親にそんな話も聞いたことがある。
                      しかし、めぐりめぐって下り坂の時代。
                      質屋がクローズアップされてきている。
           質草さえ諦めれば、
                   こんな安全な借金処もない・・・。
                 戦後登ってきて平成で下って、
                元に戻ったということだろう。
                          高度成長期廃れていた質屋が復権してきた。
                       暖簾の見分け方を学ぶ時代なのだ・・・。









日脚伸ぶサザエさんちのマスオさん
                   一時マスオさん現象なる言葉が、
               巷間流行ったことがある。
                       今廃れたかどうかわからないというより、
                            もう市民権を得た言葉になったのかもしれない。
                                ま、平たく言えば女房の家にいっしょに同居する亭主。
                      これが結構楽ちんな状態じゃいかと、
                           どっちかというと男サイドの言葉になっていた。
                            まあ、家のローンを抱えなくて済むということだ。
                      これをせこい打算とみるかどうか・・・。
               マスオさんを見ていると、
                           なんだか全然プレッシャーもなく同居している。
                                  これを見てるとこの状態大歓迎と思う男性諸氏が増えて、
            当たり前って感じだ。
                      実際の現実としてどうなんだろう・・・。
                           なんかあまり考えたくないってのが本音か・・・。
                         サザエさん家ちって陽だまりなんですよね。
                                これって単純に理想の範疇って気がするんですが・・・。








原発や心の枯野果てしなく
                            3,11の大震災から一年が過ぎようとしている
                          原発の放射能はいまだ行くへも定まらない。
                     町全体が廃墟と化してしまった・・・。
                    石もて故郷を追われた人たち・・・。
                               寄る辺なき身となって日本全国に散っていった人々。
                      一年たっても全く見通しも立ってない。
                   仕事も奪われ失業保険も奪われ、
                       何もかも奪われた人たちの見る故郷は、
                       いったいどんな色に見えるだろうか・・・。
                バラ色などはあり得ない・・・。
                        色を失ったモノトーンの世界に他ならない。
                            全国に散っていった被災民の方たちが見るのは、
                     避難していった先も全く色を失った、
               モノトーンの世界だと思う。
                すべてを失った心の中には、
           色を失った空間が、
                       どこまでも広がっているに過ぎない・・・。








春近し帰宅時間をメールする
                      今年の冬は厳しい寒さが続いている。
                             日本海側の雪は雪害となり猛威をふるっている。
                                なんともどこを向いても日本は厳しいことばかり・・・。
                              まあ、厳しいことはまとめてくるのが常ではあるが、
                        こう立て続けだと身構える暇もない・・・。
              国全体が厳しくなれば、
                       個人に降りかかってこないわけがない。
                        これまたどこの話も厳しい話ばかり・・・。
                             大企業も赤字決算のニュースが飛び交っている。
                人心倦んでゆとりなし・・・。
               そんな時に帰るところは、
                        やはり明るいLED蛍光灯灯る我が家だ。
                     厳しい寒さも立春にたどり着けば、
                            春遠からじのわずかにホッとする気分にもなる。
                             そんなホッとする隙間から帰宅時間をメールする。
                            やはり自分を受け止めてもらおうという気分て、
                       情緒の中にはどこかにあるんだと思う。
                     なかなか深層心理的な句かな・・・。








主催者吟

暗き海あれよと迫る吹雪かな

病院の窓に鳥来る梅咲きて

襟立てし夕暮れの街風冴ゆる

改札を背中いろいろ霙降る

流れくる紫煙の匂い除夜のカフェ




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